謡曲(謡い)

 能の脚本(台本)にあたるのが謡本で、曲をなしていて謡いとして数人で役割を演じ楽しみます。文体は候(そうろう)調で室町時代の武士の用語を基にしており、掛け言葉も多く意味深長で難解です。発音も独特でこの世界に入っていない人にはいきなりの理解は難しく、馴染み難いといわれる由縁ですが、ひとたび入ると音楽性、文学性、芸術性が高く、味わい深い魅力に取りつかれます。座ればすぐに稽古が出来、本を閉じれば終われます。10分でも30分でも、都合のいい時間で稽古が出来る点、忙しくて時間が取れない人にはうってつけの趣味になります。  

 数多い謡曲のうちの二曲を紹介します。

能 松風

 松風  シテ 松風   ツレ 村雨   ワキ 旅僧  

あらすじ  

 西国へ下る旅僧が須磨の浦でいわくありげな松を見つけ、浦人から在原行平(ありわらのゆきひら)が愛した松風・村雨という姉妹のゆかりの跡だと聞いた。弔ううちに秋の日もしだいに暮れてきた。折りから二人の女が月に照らされながら汐汲車を引いて帰ってきた。二人は恵まれない境遇を嘆きつつ暮らしていた。僧は一夜の宿を乞い、先ほど松風村雨の旧跡を弔うたことを話すと、女達は涙ぐんで、「実は自分達はその松風村雨の幽霊である」と打明け、中納言在原行平の寵愛を受けた昔を物語るうちに、松風は恋慕のあまりに心乱れ、形見の鳥帽子(えぼし)と狩衣(かりぎぬ)を着て、近くの松を見て行平と勘違いし、寄り添い思いにふけって舞を舞うたあと、僧に回向を乞うて別れを告げた。それとともに僧の夢はさめ、見回すと残るのはただ松風ばかりであった。

 解説  行平は不祥事を起こして3年ほど須磨の浦に流された。そこは長く延びた砂浜に松が立ち並ぶわびしい漁村である。都人の行平にはつらく淋しい暮らしだったが、松風・村雨という海女の姉妹が彼を慰めていた。やがて行平は二人を残して都に帰っていった。

「立ちわかれ いなばの山の 峰に生(お)うる 松としきかば 今帰りこむ」 行平  

百人一首のこの歌は掛け言葉で構成されています。

 通小町(かよいこまち)  シテ 深草少将の怨霊  ツレ 里女  ワキ 僧  

前段  

 ある僧が八瀬の山里で夏ごもりをしていると、木の実や薪を毎日持ってくる女があるので、ある日持ってきた木の実のことを訊ねたのち名を問うと、「おのが名を小町とはいわじ薄(すすき)生いたる市原野辺に住む姥(うば)ぞ」と答え、回向を乞うて消え失せた。  

後段  

 そこでこの女を小町の幽霊と察した僧は、市原野に行って供養をしていると、小町がすすきの中から現われて授戒を乞う。すると更に一人の男が現われてそれを止め、「私を唯一人取残すのか」と言って、共に愛欲の地獄に留まろうと女を引留める。僧は両人が小町と少将との亡霊であることを知って、「懺悔のために百夜(ももよ)通いの有様を示されよ」と言い、その勧めに応じて、少将の亡霊は雨の日も雪の日も通った時の事を物語ったが、「いよいよ明日は望みが達成する。今宵は名月だ。いい気分で酒でも飲もう。」、「いやいや」と小町が諭した飲酒j戒を守った。これが一念発起の基となって、急転直下で両人共に成仏する。  

解説  

 小町が少将の求愛を受ける条件として百夜通いを出した。小町に言い寄る男達の中で、深草少将は思いは特別深かった。小町はいたずら心から愛の証(あかし)を求める。「百夜通ってらっしゃい。目立ってはいけないから姿をやつして、竹の杖をついて、歩いてきなさい」と。この間飲酒もだめ。99夜目に彼は死ぬ。いよいよ明日が満願成就の日、きれいに着飾って行こうと幸せな気分に浸っていたが、突然死してしまったのである。長い月日がたち、小町も少将も冥土の苦しみにある。この世に未練ある少将の霊はこの地に留まっていた。能は少将の恋慕と怨恨とを強調している。小町の亡霊が仏にすがろうとするのを、少将の亡霊が妨げる構想。僧にすがって成仏を願う小町に、髪を振り乱した少将の亡霊が「ならぬ」ととりすがる。あの世までもつれ込んだ愛の凄惨な物語り。秋の季感を入れるために、木の実やすすきを利用している。