◇◇◇泉貨紙(和紙)◇◇◇

私の住む町(愛媛県野村町)では、江戸から大正時代にかけて「泉貨紙(和紙)」
が製造されておりました。

やや厚紙となりますが、純質強靭で優雅さがあり、書画.書籍.帳簿等に重宝がられ
ておりました。
製品は、東京.京都.大阪.岐阜.名古屋方面に送られ、地方財政の軸となり、
野村町の発展の基礎を築いたのであります。
第2次大戦中は、軍需品としても需要が伸び、好況だったそうです。

しかし、その後、「西洋紙」の普及により、自然と衰退していったのであります。
今なお、古い家には、どこでも「紙すきの部屋」というのが残っております。

そもそも この「泉貨紙」を造りだしたのは、今から400年位前、「太郎左衛門」
という人であります。
お坊さんになるため、「安楽寺(野村町)」というお寺で修行をしておりました。
あまり立派な人物ですので、城主が武士になることを薦めました。
父親はもともと武士でありましたから、親子一緒に「鎌田ヶ城」に住むことになり
ました。

天正11年(1583年)、桜ヶ峠で「魚成源太」と戦い、その武勲により
領主から「兵頭」の性を賜っております。

しかし、少年時代の夢は忘れることが出来なかったのか、後に出家し、自ら「泉貨」
と名乗り、お坊さんになったのでございます。
そして、そこで修行をつむと共に、和紙の製法を発明したのでございます。

現在は、この修行をつんだ「安楽寺」で、静かに眠っておられます。
住民は、彼の徳をしたって「貨泉さま」としたい、今尚、香煙がたえることはあり
ません。


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