幕末、大洲藩内の英才を数多、世に送り出した古学堂の常磐井厳戈(ときわい いかしほこ)。厳戈は、大洲領総鎮守八幡神社という由緒ある神社の宮司でもあった。
筆者は戦前、その古学堂に、松前町徳丸の高忍日売神社(たかおしひめのじんじゃ)から嫁いできた社家のお嫁さん。その花嫁姿の筆者に「古学堂を頼みまする」ととりすがって涙を流した老人は、シーボルトのさいごの弟子・三瀬諸淵の甥であった。その唐突な振る舞いに驚いた筆者だったが、やがてこの神社が大洲の人々にとって心のよりどころとなっていることを知り、そのことを深く心にとどめた。
筆者は、大洲で教員をつとめる夫とともに、幸せな日々を送ったが、戦争、洪水と、苦難の日々が続き、やがて大洲を中心に肱川が氾濫し、洪水の後かたづけの勤労奉仕に出かけた夫はそれがもとで病死してしまった。それから始まった筆者の苦難の日々。その悲しさに誰もが涙するが、そのなかで凛と生きた親子の清々しさが、深い感動を呼ぶ。
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