松山の坊っちゃん列車、
乗ってから読むか、
読んでから乗るか、
それが問題だ。
「坊っちゃん列車」は日本初の軽便鉄道で、夏目漱石の小説「坊っちゃん」に登場したことから、全国にその存在を知られ、ニックネームもつけられたわけですが、誕生の経緯や敷設当時の話、あるいは終戦後、老朽機関車ながら、燃えてしまった電車に代わって市民の足になったことなど、こまかな歴史についてはあまり知られていませんでした。
『走れ、坊っちゃん列車』は、そうした歴史についてふれたもので、「坊っちゃん列車」が誕生した明治時代から、廃止になる昭和29年までの時代背景や社会状況のほか、平成の世によみがえった経緯についても書かれています。
また、松山近辺では、鉄道会社の統廃合がひんぱんに行われたため、廃軌道が多いことでは全国的にも珍しい土地柄といわれ、「廃線跡ウォッチング」を掲載して、街なかを路上観察する楽しさも紹介しています。
漱石先生、坊っちゃん列車ぞなもし。
明治21年、蒸気機関車を見たことがなかった人々は、その姿を見て米をまき、かしわ手を打って拝んだ。
しかし、漱石は小さな客車を見て「マッチ箱のようだ」と小説に書いた。
電車の登場で、軽便鉄道の蒸気機関車は片隅に追いやられてしまったが、昭和20年の空襲で電車の大半が燃えてしまい、明治生まれの老朽車は再びお客さんを乗せて走ることになった。
人々に愛され、親しまれてきた坊っちゃん列車の心温まる話が、いっぱい。
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