第1章 幼少期の子規
【子規の誕生】松山ご城下にまんまる顔の男の子が誕生した
【正岡家の系譜】祖父の佐伯家・大原家は学者を多く輩出した家系
【正岡家の火事】曾祖母と父の過失で起こった自宅の火事
【幼いころの子規】へぼで弱虫、青瓢箪、いじめられっ子の子規
【子規のちょんまげ】髷を切ることが許されなかった子規
【子規の学んだ塾】親族から読み書きを教わった子規
【子規初めての漢詩】「聞子規」という題名の漢詩を初めてつくる
【子規の勝山学校時代】先生たちの話と読書を愛した子規
【子規の寄席好き】燕柳の軍談(講談)に夢中になった子規
【子規の回覧雑誌】さまざまな雑誌をつくり、友人たちに見せた子規
【子規の書斎】子規のために作られた三畳の書斎
【子規と五友】詩作と書画を楽しむために仲間が集まった
【子規初めての旅】子規初めての旅は自慢できるものではなかった
【自由民権運動と子規】政談に熱中した若き日の子規
【子規の旅立ち】渇望していた上京が現実のものとなる
【子規人脈1】幼なじみと学友たちとの交遊
【子規年表1】日本・松山・子規の動き(1867~1883)
第2章 学生時代の子規
【子規上京す】東京での子規を待ち受けた友人と恩人
【子規の予備門合格】軽い気持ちでの受験に合格していた子規
【子規の予備門落第】子規が一年間に体験した天国と地獄
【子規と寄席】寄席好きの子規の多彩なエピソード
【子規と秋山真之1】松山、東京と場所は違っても、変わらない友情
【子規と秋山真之2】七変人の面々と下宿での二人
【子規と秋山真之3】文学と軍隊に進路が分かれた二人
【子規とベースボール1】「野球」の雅号を持つ名選手・子規
【子規とベースボール2】「野球」の魅力を文学で伝えた子規
【子規と俳諧】松山帰省で出合った俳句の魅力
【子規と向島】執筆とロマンスに彩られた向島での子規
【子規と常盤会寄宿舎1】郷土の人たちが集まる寄宿舎で培った友情
【子規と号する】突然の喀血で決まった子規の雅号
【子規と漱石】互いの作品批評から芽生えた二人の友情
【子規の療養】松山で心と身体を養生した子規
【子規と漱石の手紙】子規と漱石の親密さを醸す手紙のやりとり
【子規の野球伝道】文学より早く野球の門弟となった碧梧桐と虚子
【子規と常盤会寄宿舎2】子規の文学熱は常盤会寄宿舎を二分した
【子規の小説】子規が書いた小説はすぐ活字にならなかった
【子規と陸羯南】拓川の友人・陸羯南は子規の生涯の師となった
【子規の退学決意】退学を前に就職先を決めていた子規
【子規の下宿がえ】下宿を頻繁に変えたのには理由がある
【子規の通った学校】子規の時代は、学校の名称が頻繁に変わった
【子規の帰郷】帰省した子規を温かく包んでくれたふるさと松山
【子規の紀行】喀血後、頻繁に各地を旅した子規
【子規人脈2】故郷の友人と文学仲間
【子規年表2】日本・松山・子規の動き(1883~1892)
第3章 社会人の子規
【日本新聞社員】一生を「日本」に捧げようと決めた子規
【小日本編集長】編集長の子規は新機軸を打ち出すが、短命に終わる
【従軍記者子規】清国に赴くが銃声を聞くことのなかった子規
【子規の喀血】船上での喀血が子規の健康をさらに蝕んだ
【愚陀仏庵の子規】子規と漱石の松山生活は子規が威張っていた
【子規の松山散策】松山を巡り句作に励んだ子規
【子規と松風会】病床の子規を訪れた松山の俳人たち
【子規の後継者】子規は俳句の将来を虚子に託したが拒否される
【病床の子規】身体を蝕んでいく病魔との闘い
【ほととぎすとホトトギス】松山発、東京育ちの俳句雑誌
【俳句革新】芭蕉を批判し、写生の効用を説いた子規
【和歌革新】万葉の時代に帰れと提唱した子規
【文章改革】子規が始めた文章修行の「山会」
【子規の絵】残された日々を絵を描いて過ごした子規
【子規の涙】漱石にぶつけた子規の泣き言
【子規の写真】子規の雰囲気と全く違う横顔写真
【墨汁一滴】子規が掲載を希望した墨汁一滴分の文
【仰臥漫録】公表を考えなかった日記にみる食へのこだわりと妹への罵詈雑言
【病牀六尺】動けなくても文章を書き続けた子規
【子規の死】絶筆三句を残して静かに死を迎えた子規
【子規の埋髪塔】生前に書かれていた子規の墓誌銘
【子規人脈3】文学革新で拡がる人脈
【子規年表3】日本・松山・子規の動き(1892~1902)
第4章 子規句碑マップ
【子規碑マップ1】松山市中心部
【子規碑マップ2】松山市西部
【子規碑マップ3】松山市道後
【子規碑マップ4】松山市南部
【子規碑マップ5】松山市北部
【子規碑マップ6】愛媛県の子規碑 |