[大野ヶ原に生きる]

愛媛文化出版賞

四国カルスト開拓一世の証言
大野ヶ原に生きる
黒河 高茂
A5判・192P
¥1429+税

原野に挑んだ大野ヶ原開拓の60年

四国の西端、愛媛県と高知県との県境に位置する標高1100メートル超の高原、四国カルスト。
戦後切り拓かれた開拓地の中でも最も厳しい土地と言われた四国カルストを、いかにして豊かな牧草地へと変えていったのか。
当時の貴重な写真と共に、開拓一世の夫婦が過ぎし日の苦難を綴る。

 終戦後、全国各地で深刻な食糧不足が起きた。国は食糧増産と、満州や朝鮮など外地からの引揚げ者の受け入れ先、あるいは失業対策などの一つとして、農地拡大に向けた「開拓」を全国的に行った。
 愛媛県でも150カ所の開拓地が定められ、たくさんの人が入植していったが、そのなかでも最も苛酷といわれたのが、標高1100〜1400メートルの高地、しかも石灰岩が点在する四国カルストの一角、大野ヶ原の開拓である。
 道も水も電気もなく、カヤとクマザサの茂る原野を鍬一つで開墾していったが、土壌は強い酸性でそれに適した作物はなかなか見つからず、台風や冷害といった厳しい自然の猛威もあって、見るべき収穫もなく、離農して山を下りる人があとを絶たなかった。
 そうした中、この広大な地に適しているのは酪農ではないかと、昭和34年から乳牛を買い入れ、手探りでの酪農が始まった。
 この本は、開拓一世の黒河氏がそうした数々の苦難を乗り越え、大野ヶ原一帯が豊かな酪農地帯となるまでの、入植60年の歴史を綴ったものである。
 また、地域のために奔走する夫を支え、牛の世話や開墾の手伝いをした妻・アヤ子さんも、子どもの世話もできないほどの忙しさと、病気やケガをしても病院がない僻地ならではの不安に、母として悩んでいた。女性ならではの視点で描いた生活描写は、開拓の厳しい現実を浮き彫りにして、胸を打つ。
 このほか、5メートルを超える豪雪に見舞われた昭和38年の「三八豪雪」では、陸の孤島となり、牛乳を捨てる日々が続いたこと、豊かなブナ原生林が次第に伐採され、水が枯渇する危機に見舞われてその阻止運動に立ち上がったことなど、地域の歴史も綴られていて、今では貴重な証言となっている。

■開拓前
 「開拓前」の四国カルスト、そこは伝説の残る秘境の地だった。
■開拓のはじまり
 大野ヶ原の「開拓」は、すべてが無からのスタートだった。
  入植前の実験。大野ヶ原は開拓地となり得るか。増産隊長・武田寛さんの挑戦。
開拓初期
  入植初期の試練、そして私自身が開拓者に。
 「なぜ大野ヶ原なのか、心に問うた日々」 黒河アヤ子
■酪農のはじまり
 高原に育つのは草ではないのか、長い道のりを経てたどり着いた酪農。
  初期の酪農。苦農からはじまった初期の酪農。
■水源林を守るために
 ブナ伐採阻止に向けて広がった、大きな支援の輪。
  ブナ原生林を守る。原生林伐採阻止から中止を獲得するまでの道のり。
■現在の大野ヶ原
 そして、今。夢のように変貌した四国カルスト。

黒河 高茂(くろかわ たかしげ)

昭和4年2月12日 愛媛県丹原町生まれ
昭和18年12月  鹿児島県海軍航空隊に予科練習生として入隊
昭和21年4月   愛媛県開拓基地農場勤務
昭和24年3月 農林省中央開拓講習所卒業
昭和24年5月 愛媛県開拓協会の指導員となり、大野ヶ原実験農場に着任
昭和25年 指導員を辞職し、大野ヶ原開拓地に入植
昭和25年より 大野ヶ原開拓組合長を5期務める
平成3年より15年まで 愛媛県自然保護指導員

受賞
昭和27年 開拓営農成果優秀賞(愛媛県知事)
昭和41年 開拓表彰(中国四国農政局長)
昭和51年 開拓30周年表彰(農林省構造改善局長)
昭和52年 草地コンクール 西日本ブロック賞(中央畜産会会長)
昭和52年 毎日農業記録賞(農林省農産園芸局長)
昭和60年 県総合畜産共進会 畜産振興功労者(愛媛県知事)
平成10年 パイオニア賞優良開拓農家(全国開拓振興協会)
平成21年 愛媛新聞賞受賞(愛媛新聞社)など

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