原野に挑んだ大野ヶ原開拓の60年
四国の西端、愛媛県と高知県との県境に位置する標高1100メートル超の高原、四国カルスト。
戦後切り拓かれた開拓地の中でも最も厳しい土地と言われた四国カルストを、いかにして豊かな牧草地へと変えていったのか。
当時の貴重な写真と共に、開拓一世の夫婦が過ぎし日の苦難を綴る。
終戦後、全国各地で深刻な食糧不足が起きた。国は食糧増産と、満州や朝鮮など外地からの引揚げ者の受け入れ先、あるいは失業対策などの一つとして、農地拡大に向けた「開拓」を全国的に行った。
愛媛県でも150カ所の開拓地が定められ、たくさんの人が入植していったが、そのなかでも最も苛酷といわれたのが、標高1100〜1400メートルの高地、しかも石灰岩が点在する四国カルストの一角、大野ヶ原の開拓である。
道も水も電気もなく、カヤとクマザサの茂る原野を鍬一つで開墾していったが、土壌は強い酸性でそれに適した作物はなかなか見つからず、台風や冷害といった厳しい自然の猛威もあって、見るべき収穫もなく、離農して山を下りる人があとを絶たなかった。
そうした中、この広大な地に適しているのは酪農ではないかと、昭和34年から乳牛を買い入れ、手探りでの酪農が始まった。
この本は、開拓一世の黒河氏がそうした数々の苦難を乗り越え、大野ヶ原一帯が豊かな酪農地帯となるまでの、入植60年の歴史を綴ったものである。
また、地域のために奔走する夫を支え、牛の世話や開墾の手伝いをした妻・アヤ子さんも、子どもの世話もできないほどの忙しさと、病気やケガをしても病院がない僻地ならではの不安に、母として悩んでいた。女性ならではの視点で描いた生活描写は、開拓の厳しい現実を浮き彫りにして、胸を打つ。
このほか、5メートルを超える豪雪に見舞われた昭和38年の「三八豪雪」では、陸の孤島となり、牛乳を捨てる日々が続いたこと、豊かなブナ原生林が次第に伐採され、水が枯渇する危機に見舞われてその阻止運動に立ち上がったことなど、地域の歴史も綴られていて、今では貴重な証言となっている。 |