[愛媛・松山の歴史と文学を歩く]

愛媛・松山の歴史と文学を歩く
森本 繁
B5判・292p
¥1500+税

 平成二十一年(二〇〇九年)は広島県尾道と愛媛県今治を結ぶしまなみ海道が開通して十年が経過した記念すべき年であった。したがってわたしは、この十周年を記念して、かねてより研鑽を重ねて書きためていた論考をまとめて『瀬戸内しまなみ海道歴史と文学の旅』という著書を上梓した。
 これは、このしまなみ海道に、どのような故事来歴が秘められているか……どのような観光資源があるか……そして、この地域の風土と人情とが、古今の文人たちに、どのような感動を与え、どんな作品を物してきたかを綴ったもので、対象としたエリアは、平成の大合併が行われた新尾道市と新今治市および、新しく誕生した愛媛県越智郡上島町であった。
 しかし限られた紙面であったから、この地域をすべて網羅するというわけにもゆかず、かなりの積み残しがあり、それらを他の機会に委ねた見切り発車であった。今治市内の波方町・大西町・菊間町の関連史跡がそれで、それともう一つ今治市玉川町の古代・中世遺跡である楢原山(ならはらやま)地区がある。ここは伊予の国府があった道前(どうぜん)(みちのくち)と近世松山藩の藩庁があった道(どう)後(ご)(みちのしり)とをつなぐ接点で、どうしてもなおざりにはできない。そこで、これから話をはじめる伊予松山の風早(かざはや)・道後と、すでに話を終えた道前のしまなみ海道とを結ぶよすが(・・・)として、この楢原山遺跡のことを少しばかり書いておきたいと思う。

 楢原山(標高一〇四二メートル)は伊予高縄半島の中央部にそびえて、奈良原山とも表記され、晴れた日には瀬戸内海の島々や山陽道の山々を遠望し、東方に四国の石(いし)鎚(づち)山脈、南に道後平野を眺めることができる。蒼社(そうじゃ)川と木地(きじ)川の分水嶺で、山麓には道後に次ぐ古い歴史を秘めた鈍(にぶ)川(がわ)温泉がある。
 山頂に伊弉諾(いざなぎの)尊(みこと)を祭神とする奈良原神社が鎮座し、神社は持(じ)統(とう)四年(六九〇)に小千(おち)(越智)玉(たま)興(おき)が役(えんの)小(お)角(ずの)を迎えて創建したと伝える。南北朝の末、長(ちょう)慶(けい)天皇が遷幸されたという伝承があり、帝(みかど)の霊(みたま)も合祀されている。境内には樹齢千年を越すという子(こ)持(もち)杉(すぎ)(県天然記念物)があり、参道には古木の桜並木が延々と続いているが、これはこの山に入山された長慶天皇をお慰めするために植樹したといわれ、とりわけ千疋(せんびき)峠の「千疋さくら」は名高い。
 長慶天皇は北朝軍との戦いに敗れたあと、後亀山天皇に譲位されて上皇となったあと元中二年(一三八五)に高(こう)野(や)山(さん)に入られたが、そのあと下山して伊予国龍(りゅう)岡(おか)村の幸門(さいかど)城、鴨(かん)部(べ)郷高野玉川の光林寺を経て、この楢原山中に逃れて来たのだという。北朝方細川軍の追撃を受けたからだ。このときは、牛の背に乗って山頂へと歩まれたので、その故事から本山に鎮座する奈良原神社の氏子中に、牛馬を守護神とする牛馬繁栄講が誕生した。旧暦八月の午(うま)と丑の日に牛馬を連れた氏子の奈(な)良(ら)原(はら)詣(もうで)の風習が生まれたのである。
 またこの神社境内は経(きょう)塚(づか)遺跡としても知られ、建徳二年(一三七一)辛(かのと)亥(い)十二月の銘文のある経塚と金銅製の多宝塔(平安時代)が経筒・和鏡・鈴・檜(ひ)扇(おうぎ)・刀子(とうす)・香盒(こうごう)・瓶・銅銭二五〇枚などとともに出土している。そしてそれらは一括国宝に指定されているのだ。
 滋賀県神崎郡の永源寺村から移住してきた木地師(きじし)たちのふるさとであり、後の世には製炭業者として生計を立てたが、わたしがこれから探訪する伊予松山の風土と歴史の前史として、見逃してはならない由緒であるから、あえて本書の冒頭にこのことを記載した次第である。

 さて、平成二十一年から翌二十二年にかけて、全国の書店へ最もよく出回った書物は、「龍馬伝」と並んで、司馬遼太郎の『坂の上の雲』およびその関連本であった。これは平成二十二年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」とNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の影響である。このスペシャルドラマは平成二十一年の秋に第一回から第五回までが放送されたが、第六回から第九回までは翌年の秋に放送され、残りの第十回から十三回までは平成二十三年の秋に放送された。
 いうまでもなく、このスペシャルドラマ坂の上の雲は、伊予松山出身の正岡子規と秋山好古・真之兄弟が主人公で、この三人の名もなき少年たちが、明治の国運上昇期に立身出世を夢みて、その前途に輝く一(いち)朶(だ)(ひとむれ)の白い雲を見つめながら、ひたすらつとめて、それぞれの目的を果たしたというサクセス・ストーリーである。
 わたしのこの作品は、そのように傑出した人物を生み出した伊予松山の風土と歴史がどんなものであったかを、そこで物された文人たちの文学作品を取り上げながら、隈(くま)無く紹介したものである。だが、『坂の上の雲』の登場人物である正岡子規と秋山兄弟については、作家の司馬遼太郎がその作品の中でくわしく書いており、ほかにも多くの著書があるので、本書では取り上げない。この三人の活躍の舞台は、伊予の松山ではなく、そのほとんどが東京と外地だったからでもある。
 わたしがめざした執筆のねらいは、そうした人物を育(はぐく)んだ伊予松山の文学風土と歴史とをさぐり出すことで、本書により些かでもその深淵をのぞき見ることができれば、望外のしあわせである。

第一章 高縄山から和気浜へ
高縄山の高縄寺と善応寺
風早名物半鐘まつりと櫂練り
安楽山大通寺
恵良城跡と鹿島
柳原港と一心庵
虚子のふるさと柳原村西ノ下
風早の文学的風土
粟井坂
和気浜堀江
円明寺と太山寺
興居島の伝説と由来

第二章 伊予路そこかしこ
軽之神社
十六日桜
大宝寺の姥桜
熟田津の所在地
三津浜懐古
三津の朝市
軽便鉄道と高浜港
梅津寺公園
古三津の藤原純友遺跡
古三津刈屋口古戦場
久米の如来院と浄土寺
星ヶ岡
土居氏の本拠と館跡
来住廃寺跡より繁多寺へ
ていれぎと紫井戸の片目鮒

第三章 伊予松山巷談
烈女松江の話
中江藤樹「鑑草」から見た松江事件
烈女松江事件についての新史料
伊予絣と鍵谷カナ
松高生の見た松山のおんな
歩兵第二十二連隊と松山海軍航空隊

第四章 伊予の道後
湧ヶ淵の大蛇
石手寺
宝厳寺と一遍上人
道後の湯
湯釜薬師・湯神社・伊佐爾波神社
道後湯の町散歩
一草庵と山頭火
湯築城跡
河野家継嗣騒動
義安寺の螢塚と姫塚

第五章 松山城物語
加藤嘉明の勝山築城
孫六出世譚と会津転封
伝説「松山城の石垣」
蒲生家断絶
松平定行の松山入城
松平定政の意見封事
久松松平氏の治政
享保の大飢饉
久万山一揆
樗堂と一茶
松平定通と藩政改革

第六章 松山藩幕末維新こぼれ話
長州征伐女の夜這い
対長州藩応接始末
新選組十番組長原田佐之助
廃藩一揆騒動
大林寺の幽霊譚
岩村県政と自由民権思想
藩校明教館と松山中学

あとがき

■著者プロフィール
 1926年、愛媛県越智郡上島町岩城に生まれる。九州大学法学部卒業。教職を経て、文筆活動に入る。実証歴史作家。第二回歴史群像大賞受賞。
 著書は60冊に及ぶが、主な近著は『瀬戸内しまなみ海道歴史と文学の旅』『南蛮キリシタン女医明石レジーナ』『ルイス・デ・アルメイダ』『小西行長』『明石掃部』『村上水軍全史』『村上水軍全紀行』『源平海の合戦』『村上水軍興亡史』など。

■あとがき
 「あなたが日本の県名で最も好きなところはどこですか」と問われれば、わたしは即座に愛媛県と答える。また、近代日本文学の作家で誰が好きですかと聞かれると、泉鏡花と夏目漱石の名をあげる。さらに軍人のうち最も敬愛すべき人物はと聞かれれば、これも躊躇することなく秋山好古である。
 県名については言わずもがな。秋山は愛媛県の出身で、元帥直前にして官を辞し、余生を御里松山の中等教育に献身した。英文学者の夏目金之助を作家に導いたのは伊予松山の俳人正岡子規と高浜虚子だが、みんな伊予松山の人物で、わたしの生まれが愛媛県だから贔屓しているわけではない。
 ことほどさように、松山は恵まれた文学的風土を細やかな人情と『古事記』にさかのぼる古い歴史的由緒の町だ。
 冒頭のはしがきでも述べているように、わたしがこの作品の上梓を思い立ったのは、二〇〇九年八月に出版した『瀬戸内しまなみ海道歴史と文学の旅』に触発されたからである。愛媛県の松山を歩かずして伊予の歴史と文学の真髄にふれることはできないと悟ったからである。本音をいえば平成二十一年から二十三年にかけて放送されたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で巻き起こった松山ブームにあやかってこの本を出したかったのだが、その機会を逸した。
 とりわけ、松山の文学風土が文豪漱石に及ぼした影響については、もっと誌面を割きたかった。漱石は子規から俳諧の何であるかを教えられ、写生にある俳文調の文学表現を学んだ。これによって彼は明治三十八年(一九〇五)一月「ホトトギス」に小説の処女作『吾輩は猫である』を発表し、翌年四月に『坊っちゃん』を発表した。そしてその間にわずか十日前後の日程をついやして一気に書きあげたのが『草枕』である。この作品は同年九月「新小説」に発表されたが、俳文調写生文学の最高傑作で、わたしの一番好きな作品である。
 漱石の名を文豪として一躍有名にしたのは彼の処女作『吾輩は猫である』だが、これを彼に勧めて書かせたのは、当時東京で「ホトトギス」を主宰していた高浜虚子だ。この虚子および極堂、碧梧桐といった子規山脈のの文人と漱石との交流のことは、松山の文学散歩には不可欠のテーマだが、これは現代日本文学大系の『高浜虚子・河東碧梧桐』や『伊予史談』第九十六号などの関連本に委ねた。
 とまれ、現下未曾有の出版大不況のなかで、最後まで投げ出さずに、米寿記念出版としてのこの拙著を、上梓にまで漕ぎつけてくださったアトラス出版社長中村幸男氏に謝意を表しつつ、このあとがきの末尾を結ばせていただく。
平成二十五年

森本 繁

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