夜のアパート

夜のアパート

三浦稔著

定価 1350円+税  1458円
285p B6判


 著者3作目となる小説で、愛媛を舞台にした書き下ろしです。
「あとがき」によりますと、三浦さんのお父さんは、東予を管轄する獣医師だったとか。牛や馬の具合が悪くなると、夜中でも眠い目を擦って出かけていったそうで「酒好きで、いい気分で寝ているところを起こされて行くわけですから、辛かったと思います」と獣医師の実態について書いています。
 お父さんは絵が好きで、毎年県展に出品し、愛媛県美術協会の会員にもなっていたとか。小説では、別の理由で絵を中断していますが、実際は病気のために筆が持てなくなったそうです。
 「私は、小説の一番初めに書かれているスズキのスズライトの助手席に乗って父と一緒に山に出かけ、農家の庭先でサトウキビなどもらって食べていたのを覚えています。
 この小説をひと言で言うとしたら『亡き父の回想から始まり、杏子という絵の天才を登場させて作った愛の物語』ということになります」とあります。
 絵と、さまざまな人生が交錯し、一枚の絵が不思議な力をもたらす物語です。

 父の影響で絵が好きになった倉本澄夫は、中学二年の時、美術教師に言われて、市主催の展覧会に「夜のアパート」という絵を出品した。展覧会に行くと、澄夫の絵だけが黒いカラスのようで賞はない。衝撃を受けた澄夫が逃げるようにその場を去ろうとした時、前島杏子という少女を見かけた。学校は違うが杏子も新居浜に住む同級生で「春」という絵を出品しており、特別賞を受賞した杏子の絵は注目の的だった。
この日の出来事がトラウマになった澄夫は、父の願いでもあった美術大学を受験せず、徳島の工科大学へ進むが、画家への夢が捨てきれず、「入り江」の絵を描く。
この「入り江」の絵が完成したとき、澄夫は以前から絵の制作過程を見ていた見ず知らずの男から譲ってほしいと懇願される。その理由を、行きつけの食堂の妻から聞いた澄夫は、手放したくなかったその絵を譲った。この絵は、同じく絵の制作過程を見ていた、病弱な息子を持つ庭師の妻・典子の心も動かしていた。そして、息子の文雄は心臓の病気でいずれ亡くなるかもしれないから、肖像画を描いてほしいと澄夫に懇願した。澄夫は典子の家に行くが、文雄は澄夫と会おうとしない。その後、澄夫は公園で一人の青年と親しくなるが、やがてそれが文雄であることに気づく。そして二人の間で友情が少しずつ育まれていったが、それは文雄の意外な死で終わってしまった。
澄夫は、卒業や就職活動を控えているにもかかわらず、文雄の肖像画を完成させることに没頭した。卒業に必要な単位が足りなかったが、澄夫は、「ナレッジ工業」という今治市の船舶関係の会社に入社することができた。澄夫の描いた船のデッサンが評価されたためで、澄夫は採用を働きかけた課長の横田のもとで懸命に働いた。
杏子はフランスに留学し、在学中から画家の協会である「新風会」に入っていた。新風会が松山で会展を催したとき、澄夫と杏子は初めて言葉を交わした。フランスの美術大学を卒業した杏子は、帰国して新居浜の中学校美術教師になった。
澄夫は、横田課長が会社で起きたある事故の責任を取って退社してしまったことから、絵を再開するようになった。このころ、杏子と澄夫の仲は次第に深くなり、杏子は澄夫の家を訪ねてきて何かを告げようとするのだが、何も言えないで終わってしまう。
その後、澄夫は「入り江」の絵の買い主から新たな絵の制作を依頼される。澄夫は一カ月の休暇を取り、祖谷のコテージで四枚の山の絵を描き始め、あることからぐみの木にまつわる哀しい話を聞き、その絵を描き始めたため、山の絵の制作が遅れた。杏子が駆け付け、期限までに絵を完成させることができたが、杏子は倒れてそのまま病院に搬送される。

絵にまつわるさまざまな話が、輪舞曲(ロンド)のようにつながり、それぞれの人が抱える哀しさが一枚の絵で癒され、心の救いとなっていく。絵に自信が持てなかった澄夫は、多くの人との出会いから、自分の絵が持つ力を少しずつ感じるようになるのだが、自分とは桁違いの才能を持つ杏子が少女の頃から澄夫の絵を認めていたことを知らされ、二人の出会いと愛も、「夜のアパート」という一枚の絵がもたらしたものだったと気付く。
アトラス出版 〒790-0023 愛媛県松山市末広町18-8
TEL 089-932-8131 FAX 089-932-8131