6月1日(土)
 6月1日といえば「衣替え」である。重たい服を脱ぎ捨て、軽やかな衣装に身を包む。ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』に登場する少年は、スニーカーを新しくすることで、夏の日の訪れを感じた。同じように「衣替え」は、近づく夏に心が解放される一日だ。
 「衣替え」は、宮中に始まり、もともとは中国の行事に由来する。「衣」に関係する地名には松山の「衣干」があり、菅原道真に関係するといわれている。「衣」の字のはつかないが、松山市姫原には古代の皇族・衣通姫の伝説が残る。衣通姫は、薄衣を通して、その美しさが輝いていたといわれる美女であった。その姫が入水した場所が「姫原」というのである。
 高校生時代、夏の「衣替え」では、男子は学生服から白いシャツ姿となり、女子は白いセーラー服に変身する。6月になると、黒っぽく重い雰囲気だった教室は、白く明るい解放感で溢れかえる。女子の半袖セーラー服からは、樟脳の香りがかすかに漂ってきた。
登校の声に目覚める衣替え
6月2日(日)
 今治城の近くに住んでいるので、犬をつれての散歩は、お堀を回る。今治城の堀は、海水を取り入れたもので、海水魚が泳いでいる。ボラや黒鯛が顔をのぞかせ、たまに河豚が胸ビレを一生懸命に動かしている姿を見かける。
 犬の散歩の途中、魚が堀から飛び出すシーンを見ることがある。高いときには1m以上も飛び上がり、三段跳びをすることもある。静かな水面に波紋を投げかけるのである。
 この空飛ぶ魚はボラだ。夏が近づき、水の温度に耐えかねて空中に飛び出すのかと思っていた。ガーシュインの「サマータイム」の一節、Fish are jumpin' And the cotton is highからの印象である。ところが、このボラのジャンプ「空飛ぶボラ」現象の理由は解明されていないという。驚いての行動か、水中の酸素欠乏なのか、定かではない。
 空飛ぶボラが何を夢見ているのか、知りたい気がする。
飛ぶ魚は鳥の心がわかるのか
6月3日(月)
 今年の梅雨は早い。四国は、九州地方や中国地方とともに5月27日に入梅した。このように早い梅雨入りは滅多にあるものではない。梅雨入りに際し、雨に関することわざを集めてみた。
 雨に関することわざを大きく分けると「自然現象」「体の変調」「動物の生態」の三パターンに集中する。「自然現象」に関することわざは月にかかる暈、朝焼け、東風、音が響くなどが雨の前兆だというもの。「体の変調」は、雨が近づくと古傷が痛んだり、髪が梳きやすくなるというもの。迫りくる低気圧の影響で、体にきたした変調が、雨の予知となるのだろう。「動物の生態」は、蛙が鳴く、燕や蜻蛉が低く飛ぶというもの。やはり気圧の関係で餌となる虫が低く飛ぶので、それを食べるために低く飛ぶのだという。
 「猫が顔を洗うと雨」ともいうが、晴れの日が続いて乾燥してきた顔に、唾液などで湿り気を与える猫の仕草が「顔を洗う」姿である。「猫が顔を洗うと雨」は、近々雨になるのではないかという予想でしかない。雨が降らなかったからといって、顔を洗っていた猫を責めることのないようにしていただきたい。
顔洗う暇もないのか梅雨の猫
6月4日(火)
 梅雨に関する愛媛のことわざに「ながせの蒸し上がり」「ながせの鳴り上がり」がある。「ながせ」とは梅雨のことで、「ながし」ともいい、四国地方で多く使われる方言だ。「長い雨」=「ながさめ」で、それがサ音便で転訛したものだろうか。「梅雨」の意味も、長雨で物が潰えることから「つゆ」となったといい、言葉の奥深さを知るための調べものに、雨降りは絶好の機会かもしれない。
 「ながせの蒸し上がり」「ながせの鳴り上がり」とは、梅雨が上がる時の現象を示したもので、梅雨明け頃には、湿度が高くなったり、雷が鳴ったりすることをことわざにしている。梅雨の終わる頃には、太陽の光も強烈になる。その光で暖められた空気が上空の冷たい空気とぶつかり、大量の積乱雲がつくられ、雷がそのなかで発生するということになる。積乱雲は、入道雲ともいい、夏を代表する雲だ。
 さて、今年の梅雨は、いつ頃明けるのだろうか?
芋の傘蝸牛とともに晴れを待つ
6月5日(水)
 蚕豆のシーズンがやってきた。初夏の限られた期間、八百屋には大きい莢の蚕豆が並ぶ。莢をあけるとブロードのような柔らかい繊維に包まれた豆が顔をのぞかせる。塩を入れて湯がくと、ビールによく似合う絶品のつまみができ上がる。
 この蚕豆を煎ってつくるのが「おいり」だ。そのまま奥歯で齧り、皮を吐き出すと素朴なふるさとの味がする。かつて松山の清水町は大振りの蚕豆「清水豆」の産地として知られていた。『坂の上の雲』の主人公のひとり秋山真之は、この蚕豆が大好物で、軍服のポケットに豆を入れ、いつもポリポリと齧っていたという。
 蚕豆のような莢で思い出すのが、ドン・シーゲルのSF映画「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」である。日本では未公開だったが、幼い頃に石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)がこの映画を翻案した(パクった)マンガが印象に残っている。街の人びとはインベーダーに肉体を乗っ取られていくのだが、その際、蚕豆の莢のような変換装置にくるまれる。映画は、莢がトラックで各地に運ばれていく様子で幕を閉じる。
蚕豆は野望を抱いて空に伸び
6月6日(木)
 時の記念日である。時計をはじめて腕にしたのは中学生の時だった。シチズン製だったと記憶しているが、どのようなものだったかの記憶が定かではない。おそらく、学習雑誌の広告につられて買ってもらったのではないかと思う。高校の時は、セイコー製に変わったが、果たして中学生や高校生に、時計が必要だったかどうか、はなはだ疑問である。
 大学の時は、ディズニーウォッチをしていた。振り返ると恥じ入るばかりだが、単に目立ちたかった、奇をてらって印象づけようという魂胆であった。これ以来、印象に残る時計のエピソードは少ない。
 最近に至っては、腕時計をすることもなくなった。携帯電話の表示で事足りるからである。時計を使うのは、講演の際。残り時間を確かめるために必要だ。このときの時計は、アナログでなければならない。デジタル表示だと、どのくらい時間が残っているかがわかりにくい。
 あっという間に時間が過ぎたと感じてもらう講演を心がけているが、そのような講演にするためには、多くの時間を費やさなければならない。そこに矛盾を感じる今日この頃である。
かみあわぬ針と針との日々送る
6月7日(金)
 ラッキョウづくりをはじめた。内子のからりで買った洗いラッキョウを一晩塩で水出しし、洗った後に半日乾かす。熱湯消毒した瓶に詰めて市販のラッキョウ酢を入れ、鷹の爪を加えて、冷暗所に保存する。
 そのまま、ラッキョウに酢を足せばいいと書いているレシビもあるが、それだとラッキョウの匂いが強くて、すぐには食べられない。半年以上過ぎれば、匂いが気になくなるのは確かだが…。
 ウチの嫁さんは、大のラッキョウ好きである。ランチの店でカレーを注文したところ、大振りのラッキョウ10数個がケースに入って出てきた。すると嫁さんはすべてのラッキョウを食べつくしてしまったのである。以後、その店でカレーを注文すると、ラッキョウ3個が乗った皿がでるようになった。
 ラッキョウのような男を知っている。70歳近いが、年の功など微塵もない。口から吐く言葉のすべてが悪口と嘘で固められている。金に汚く、騒いで周りをまきこみ、自分のことしか考えない。しかも、何もできないのに、人のやったことを自分の手柄にする。まさに中身がからっぽのトラブルメーカーなのだ。このような人間と関わると、ろくなことがない。笑顔で近づいてきても、心の中は損得勘定しかなく、貴重な時間を無駄にするしかない。このような手合いに会ったら、逃げるに限るのである。
ラッキョウの皮で飾った芯(品)のなさ
6月8日(土)

 四国バーテンダー協会発行の小冊子のデザインを担当した。私が文章しかできないと思っている人は数多いが、もともとデザイナーであり、広告に関する賞も何度かいただいている。コピーライターとして入った会社で、デザインを担当するようになり、デザインと文章、構成というひとり何役もこなすことで差別化を図り、コストパフォーマンスを追求してきた。
 二度目の家庭を持ってから、夜出かけることは少なくなったが、20代、30代はバーによく通った。「水割りよりもソーダ割りが酒の味がよくわかる」「ハードボイルド本に登場するカクテルは?」といった、バーでのうんちくと会話、静かにひとりで飲む作法を学んできた。「止まり木」と呼ばれるカウンターで、ちびちびと旨い酒をたしなんで喉を潤すのが、バーには似合う。
 「止まり木巡礼」というタイトルの小冊子は、四国のバー巡りの案内本になっている。遍路のようにバーという聖地を巡って、神の最大の贈り物である酒を愉しもうというコンセプトの本だ。松山、今治、徳島、香川、高知、四万十の各支部に加盟しているバーに6月10日頃から置かれるそうだ。44軒のバーを回ると、記念品がもらえるそうなので、お楽しみに。

止まり木に根を生やす日の苦い酒
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