8月11日(日)
 盆は7月の満月に行われていたが、月遅れの8月15日が定着した。日本では、一年を1月と7月でふたつに分け、1月15日は小正月、7月15日を盆節句としていたようだ。
 釈迦の弟子にあたる目蓮は、母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることの相談を釈迦にした。すると、釈迦は7月15日に供養をすると、功徳によって餓鬼道から救うことができるという供養をすると、目蓮の母は苦しみから救われたという伝説に基づいている。魂の救済のために盂蘭盆会が行われるようになったというのである。
 お中元は、こうした盆の風習のひとつで、江戸時代には死んだ親には墓参りをし、生きている親にはサバの干物を送った。サバは、神に捧げる「散飯」と同じ音のため、生臭なものでも許されたという。現在の中元は、大丸・松坂屋調べによると一位が美味リクエスト便、二位がビール、三位がそうめん、四位がジュース、五位が魚の粕漬けだという。かろうじて、元来の意味につながるものが五位に選ばれている。
中元のお礼に向かう腕の数珠
8月12日(月)
 暑い日が続くと、墓に飾ったシキビは水がなくなり、すぐに枯れてしまう。元来はシキミといい、モクレン科の常緑樹である。「シキビ」も「シキミ」も、四季を通じて美しいという意味だといい、弘法大師が天竺の無熱池に生えているという「青蓮華」に似ていることから、供養に使ったといわれている。
 嫁の父親が丹原出身なので、山にあるシキビをもらうことがある。スーパーなどで売っているものと違い、長持ちする。盆の時期は、座布団のような実がついていることがあるが、これは毒を含んでいるという。仏に捧げる花ではあるが、その毒で獣が墓を荒らすのを防ぎ、その毒で悪鬼を防ぐのである。
 甘い顔ばかり見せていては、相手を増長させるだけであることを、シキビが教えてくれているのかもしれない。
冷水を墓に手向けてシキビ差し
8月13日(火)
 13日は、迎え火を焚く。燃やすものは、麻の茎を干した「オガラ」である。麻といえば、異形のものの正体を見破ろうと、衣服の裾に麻糸をつけ、その糸をたどっていくという三輪山伝説に登場する。つまり、麻は、現世と異界を結ぶ糸であり、祖先の霊をつなぐ糸ということになる。
 つまり、現世と異界を結ぶ「オガラ」で霊や神々、仏を結び、火で現世を浄めるという意味を持つ。祖先の霊を家に迎えるための合図の火ではなく、迎え入れる家々の穢れを落とすための火なのである。
 夜ではなく、夕方に火を焚くのは、昼と夜の境の時間、家の内と外と、現世と異界を対応させる。私たちの身や現世の家を「オガラ」の火で浄めて、先祖の霊を迎えるということらしい。
迎え火で我が家を迷う新仏
8月14日(水)
 仏壇に供えるナスの牛やキュウリの馬の足に当たるのは「オガラ」である。野菜の牛と馬がいるのは、馬に乗って早く家にたどり着き、帰りは牛に乗ってゆっくり帰ってほしいという願いなのだそうだ。かつては、こうした供物は川に流したものだが、昨今は環境汚染につながるので、川や海に流すことは少なくなった。
 精霊流しも同様の習俗だ。祖先の霊を送るために、盆に載せた灯篭や提灯を川の流れに置き、祖先の霊は精霊舟に乗せて常世に流す。霊は、蝶の姿でこの世にやってきて、船に乗り夜に帰っていく。
 歌舞伎に登場する蝶は、もの忌みや狂いを表す。安倍晴明の父・安倍保名が好きな女が去って狂った「保名」の舞では、蝶に誘われて花道から舞台に登場する。蝶は、あの世から訪れる狂いなどの異形の象徴でもあるようだ。
魂が野菜の牛馬で駆けていく
8月15日(木)

 大学時代は京都に住んでいたが、大文字焼きを見たことがない。この時期は、ほとんど帰郷していて、家でゴロゴロしていた。
 大文字焼きは五山送り火というのが正式な名称で、「大文字」「松ヶ崎妙法」「舟形万灯篭」「左大文字」「鳥居型松明」がそれぞれの山で午後8時頃に火がつけられ、死者の霊を送る。
 こうした送り火の行事は、日本各地でも行われている。高地の四万十市では「大」の字が十代地山で焚かれ、「一條公ゆかりの火」として多くの人をあつめる。また、内子町小田では、六角山の真下に「山ノ神」の火文字が描かれ、5,000灯のオヒカリが灯される。

送り火に浄めた心大の字に
8月16日(金)
 嫁さんの家の墓参りに行って来た。丹原鞍瀬の山の中に墓があり、険しい道をめぐって墓にたどり着き、祈りを捧げた。今年の夏は暑いので、日が照ると、体中に汗が噴き出す。しかし、木陰に入ると、めっぽう涼しく、山の香りと涼風を愉しむことができる。
 鞍瀬の集落に入る途中に、大きなワラジがかかっていた。ワラジを挙げる習慣は、全国各地に分布しており、この地方特有のものではない。仁王門などに大きなワラジがしめ縄とともに掲げられているところもあり、悪霊退散の意味を持つようだ。
 盆や正月に掲げられるワラジは、ほとんどが村の境に見られ、ここには大きな人間が住んでいると、侵入者を威嚇するようでもある。柳田国男によれば「遠くから来訪する神をもてなす方法の一つ」であるという。
大わらじ誰が履くのか皆知らず
8月17日(土)

 この時期には、盆踊りが各地で催される。中央にやぐらを組み、上で太鼓を叩いて、その周りを踊り巡る。『歳時記のコスモロジー』という本には、やぐらは雷神の和魂である太鼓の音を響かせ、その音を通じて人びとは魂の再生をはかるという。また、手拍子は、神社の拝礼と同じく、神の力や加護を願うものだそうだ。
 盆踊りの代表というと阿波踊りだが、編み笠をかぶって踊る。そろいの浴衣に手甲脚絆。まるで、水戸黄門に登場する鳥追い姿のお銀のようである。鳥追いといえば、昔は下層の人びとで、家々を回って門付をし、祝儀をもらっていた。その姿に身をやつすということは、自分自身を無一物とし、何も持たない姿で神に近づくということを表すという。
 つまり、盆踊りは、現世の地位や名誉をかなぐり捨て、霊場めぐりをする遍路のようになることであり、みんなで平等に、祖先への感謝と心の平安を願うことのようだ。ひと月遅れで、15日の終戦記念日がお盆であることも、何かの因縁なのかもしれない。

盆踊り生命と御霊が競演し

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