[所在地]愛媛県西条市
[登山日]2000年3月4日
[参加数]2人
[概要]愛媛県にあった世界一のアンチモニ−鉱山跡である。アンチモンは硫黄との結合物である輝安鉱として採掘される。鉱山は昭和32年に閉山され、市ノ川集落も西条市の一寒村に零落して、若い人はその所在さえ知らない。しかし、ここから採掘された輝安鉱は、その大きさ、美しさともに他の追随を許さず、世界の著名な博物館の鉱物部門の女王として今もなお君臨している。欧米では、「シコク」とか「マツヤマ」といっても理解されないが、「イチノカワ」を知っている人は以外に多いという。いわば輝安鉱と言えば「イチノカワ」、「イチノカワ」と言えば輝安鉱という世界ブランドが出来上がっているわけだ。明治23年発行「四国名所誌」(得能通義著)には、「・・此頃、万国アンチモニ−産出所の比考評を閲るに、多額の地は此地を指て世界第一と評せり。故にや西洋の人、日本をアンチモニ−国なりといへり。・・」と記されている。この表現はマルコポ−ロの「黄金国ジパング」にも匹敵すると思われる。ダイヤモンドに次ぐ輝きと言われる、その妖しく光る槍のような美晶を見ればたちまち輝安鉱の虜となってしまうであろう。今も美しい輝安鉱を求めて西条市を訪れる外国人は後を絶たないが、美晶は既に過去のものである。地元でも容易に入手することはできない。坑道もご覧のように塞がれて入坑不能だが、付近の河原を根気強く探せば、輝安鉱の神秘的な輝きに巡り会えるかもしれない。頑張って採集していただきたい。
[登山手記]3月は病院業務が多忙を極め、残念ながら会山行はできませんでした。半日だけ「市ノ川鉱山跡」で遊ぶ機会があったので、興味ある人のために紹介しておきたいと思います。この「市ノ川鉱山」は「石鎚山」とともに西条市の最大の誇りの一つです。世界中の知名度からすれば優に石鎚山を凌ぐ西条市の宝だと思います。しかし、「神戸より賑やかだ。」と形容された明治から昭和初期にかけての繁栄を偲ぶよすがもなく、今は十軒程度の民家が寄り添う寂しい山村に過ぎません。それでも、明治初期に採掘された輝安鉱の巨晶は高く評価され、世界の博物館や大学に争って買い取られ、いかに立派な市ノ川の輝安鉱を所有しているかによって、その研究機関の格が決まったとさえ伝えられています。しかし当時、現地ではその価値があまり理解されず、乱売しすぎたり、仕事の邪魔になるからと言って、せっかく採りだした巨晶を打ち砕いてしまったりして(これは、北斎の版画を風呂のたきつけに使ったような野蛮な行為であると非難されています「楽しい鉱物学 堀 秀道著 1990年」)国内には立派な標本がほとんど残っていないという、なんとも不名誉な、情けない状況が現在も続いているのです。
左図は、「大英博物館」所蔵の市ノ川産、輝安鉱の群晶です。大きさは45×30×55cmで世界最大級の美晶です。モノクロ写真なのが残念ですが、保存状態も良好で鉛白色の輝きも保たれているようです。(輝安鉱は、日光に長時間当てると酸化してまっくろに変色してしまう。)槍のような一本一本が輝安鉱の単晶で、それでも十数センチの大きさを有する極めて立派なものです。ちょっと見学に行くのには、イギリスはあまりに遠いですが、西条市の陣屋跡(西条高校敷地)内にある「西条市立郷土博物館」には、田中大祐翁が苦心して蒐集された美しい結晶が保存されているので、ぜひ見学してください。最も大きな結晶は昭和34年に、「世界重要鉱物標本」に登録されております。
さて、左は「愛媛労災病院」が秘蔵する輝安鉱です。ちょっと写真が悪くて恐縮ですが、単晶が三本、コンクリ−トの台に固定されています。最も大きな結晶で長さ15センチ程度。あまり大きくはありませんが、条線も整い、先端も欠けておらず、結晶成長の様子を伺い知ることのできる良品です。東京の鉱物専門店の話によると、単純には1cmにつき1万円が相場だそうですが、その美しさ、保存性などの付加価値が付くため、安くても一本、十万円は下らないとの事です。そうすると、愛媛労災病院のは、3本セットで計30cm近くあるわけですから30〜40万円の値がつくということでしょうか?思わず、よだれが出てきます。会員の眼も血走っているようなので、なくならないように、しっかり保管しなければなりません。以前、外来に置いてあった頃は、「うわ〜、珍しいものがありますネ!」と患者様にも、たいそう喜ばれていたそうです。しかし、今は、これが何かわかる人のほうが少ないのではないでしょうか?寂しいことです。
現在、市ノ川鉱山跡に行っても、そんな立派な結晶を拾うことはできません。もと在ったズリ場も整地されて、なかなか鉱石を見つけることは困難です。しかし、千荷坑(最初の写真)前に流れる川沿いを根気強く探せば、左のような銀色に輝く輝安鉱の標本を見つけることができるかもしれません。鉱石は表面が酸化して黄色っぽくなっています。ハンマ−を持参して割ってみてください。新鮮な輝安鉱の輝きは、小さくても私たちを魅了するのに充分です。発見した時は、おもわず大きな歓声をあげてしまいました。そして、何度も何度も日光に透かしながら、キラキラ光る、その妖しい輝きを飽きることなく楽しみました。「輝−」と言う接頭語は硫化物を表す符号ですが、「名は体を表す」の通りに、その輝きをも象徴しているようです。今回の採集では、輝安鉱の他に、黄鉄鉱や孔雀石、水晶など、さまざまな鉱物を見つけることができました。市ノ川には「ひすい」(「愛媛ひすい」または「加茂川ひすい」と呼ばれる。実際の「ひすい輝石」ではなく珪ニッケル鉱や蛇文石などの入り交じったもの)も見つかるそうで、ここは土居町「関川」とならぶ、愛媛を代表する鉱物収集の穴場です。皆さんも、ぜひチャレンジしてみてください。
昔、採鉱が盛んな頃は、小さなカンテラ一つでも、輝安鉱の一面の輝きで坑内は非常に明るかったと伝えられています。そんなこの世のものとも思えない美しい世界を、一度体験してみたいものですネ。ものの本によると、地底にはまだまだ鉱脈が眠り、輝安鉱の巨晶の取り残しもあるようです。再び「千荷坑」を塞ぐコンクリ−トを取り除き、「世界」の市ノ川にあの賑わいが取り戻せる日が来ることを心に念じつつ筆を置くことにいたします。