[所在地]愛媛県宇摩郡土居町
[登山日]2000年4月30日
[参加数]8人
[概要]東赤石山の北斜面からのアプロ−チである。新居浜市と土居町の境目から関川に沿って、長い五良津林道を辿ってゆく。以前は、登山口まで車で行けたが、昨年の台風で、途中の「雲ヶ平橋」は跡形もなく崩壊し、40分ほどの林道歩きを余儀なくされる。途中、谷を隔てて、朽ち果てた索道の架台が不気味に聳え立っているのが印象的だ。クロムを採掘していた赤石鉱山の遺物である。登山口からは単調な山道が続くが、分岐には指導標が整備され、迷うことはない。「氷穴」を過ぎ、危なっかしい桟道を渡りきると再び指導標があり、頂上まで40分と書かれている。ここで登山道は南に折れ曲がって行くが、マネ−ジャ−の最近の鉱物趣味に感化されてか、そのまま、真っ直ぐに進んで赤石鉱山跡を見学する羽目になる。小さな沢を渡ると、石垣とトタンの残る集落跡に至る。石作りの事務所風の建物跡の脇を過ぎ、なおも小径を辿ると突然、視野が開け、索道場と坑道の残る鉱山跡に到達する。坑道は30メ−トル以上の深さで奥まで行くには勇気が要る。坑道の前には、クロム鉄鉱の鉱石が散乱している。紫色の菫泥石と、エメラルド色のクロム透輝石が入り交じるその様は、まさに赤石の秘められた宝石である、と言って過言ではないだろう。
[コ−スタイム]五良津林道 車デポ(9:30)―登山口(10:10)―氷穴(11:30)
[登山手記]天候は朝から急速に悪化し、快適登山は望めそうにありません。勤務の関係で出発も大幅に遅れ中止するべきかとも考えましたが、ひさしぶりに多くの会員の参加を得、御大のM先生も張り切っておられるので意気揚々と出発しました。関川の沿う「五良津林道」はダ−ティ路ながら路面の凹凸もさほどでなく順調に進んで行けます。途中、「河又」と呼ぶ集落跡は、住友林業の集材地であるばかりでなく、赤石鉱山索道の中継地でもあったところで、今もその繁栄が偲ばれます。また、かの北川淳一郎先生が峨蔵山系縦走の際、住友関係者から大変な歓待を受けて宿泊された記念すべき場所でもありますが、今はひっそりと静まり返っています。ここを過ぎてすぐ道は二股に分かれます。まっすぐ行くと「征木の滝」への住友林業私設道となりますので、右手の林道を選びます。「通行止」と書かれていますが、無視してしばらく進むと遂に本当の「工事中通行止め」となりました。車デポして、ユンボやパワ−ショベルの脇を歩んでいくと大きな沢に突き当たります。橋は崩れ去って跡形もありません。林道は一度左岸に渡って続いていますが、そのまま右岸沿いに直登してゆくと再び林道に出会う筈です。ここから登山口まで30分程度の退屈な林道歩きに終始します。しかし、この辺りの沢は鉱物好きにはたまらない場所でもあり、チタン鉄鉱、赤鉄鉱、クロム鉄鉱を始め藍晶石、透緑閃石、金紅石(ルチル)などおよそ50種類の鉱物が拾えるそうです。そんなT氏に影響されてしまってか、今日のみんなの目的も、頂上を踏むことより赤石鉱山跡の見学の方に傾き始めてしまいました。ガスの頂上に立っても仕方がないという諦めもあったのでしょうが・・・。とにかく10時過ぎ、登山口着。ゆっくりとしたペ−スで登りはじめました。しばらくは単調な斜面の登り。途中、旧道との分岐がありますが指導標があるので心配はありません。この辺りはゆったりとした平坦地で「新宿」と呼ばれています。昔は採炭の中継基地だったのでしょうが、東京の新宿に比べるとちょっと田舎かな―?あとは「氷穴」まで緩急の繰り返しです。展望もほとんどありません。「氷穴」は標識が建っているので見過ごすことはないでしょうが、氷そのものは発見することができませんでした。小さな沢を渡ると朽ちかけた木の桟道があり、少し緊張します。そして11:30、赤石鉱山への分岐にさしかかりました。M先生は予想以上のお疲れで大分遅れてしまいました。山上はすでに暗雲が垂れ込め、風も強そうです。頂上組と鉱山組に分かれては?という意見もありましたが、相談の結果、M先生の具合も考慮して、やはり頂上は諦め、全員、赤石鉱山一本に絞ることに決定しました。
分岐より細道を辿ると、石垣の残る集落跡があります。少し下ると、立派な石造りの廃墟があって、「屋根さえあれば、立派な山小屋になるよね。ここを改造して山のオヤジになろうかな〜。」と言ってみましたが、みんなに「フン!」と一笑に付されてしまいました。さらに先に進むと、一気に視界が開け、崩れかけた建造物の残る鉱山跡に到着です。坑道はちょっとわかりにくく、朽ちかけたトラックの脇にあります。坑道は30m以上の深さがあって、軌道やトロッコも中に放置されたままです。Y君が奥まで見てきましたが、途中で崩れてしまっているとのこと。私も10mほどはいってみましたが、足がすくんで、それ以上は進めませんでした。赤石鉱山は明治43年に発見され、当初はクロム鉄鉱を採掘。それを堀り尽くしてからは、耐火材として優秀なカンラン岩を採掘して昭和60年に閉山。日本一、高所にある鉱山としても有名でした。坑道の前には、そのクロム鉄鉱の鉱石が転がっています。赤褐色のカンラン岩に墨を流したような黒色の縞状の構造がクロム鉄鉱です。この縞は、カンラン岩とクロム鉄鉱がドロドロの高温状態時の流動方向を示していると考えられていて、凄まじい地質変動の息吹を今に感じることができます。興味ある方は、ハンマ−を持参して割ってみましょう。クロムの化合物は美しい色を持っていて、紫色の菫泥石やエメラルドグリ−ンのクロム透輝石などが見つかります。松山城内の愛媛県立博物館には、ここの素晴らしいクロム透輝石が展示されていますので、機会があればぜひご覧になってください。そのチャ−ミングな「石の花」は、まさに赤石の妖精の名に恥じません。ひとしきり遊んだ頃、M先生も到着。足が攣って大変だったとのこと。とにかく先生を囲んで、雨の中、久しぶりに賑やかな楽しい昼食時間となりました。・・そして東赤石に向かって「また来るときには笑っておくれ!」と口ずさみながら下山していきました。