矢筈山〜黒笠山

[所在地]徳島県三好郡東祖谷山村、美馬郡一宇村

[登山日]2000年7月29日

[参加数]7人

[概要]祖谷山脈の盟主である矢筈山から、「阿波のマッタ−ホルン」の異名をとる黒笠山への縦走コ−スである。矢筈山は徳島県第五の高峰で「西の大関」の貫禄を以て、「東の横綱」剣山と、祖谷川を挟んで対峙している。矢筈山山頂の西の肩には、中央の窪んだ矢筈石が鎮座し、これが山名の由来となっているが、古くは「筑ヶ山」と呼ばれていた。新編美馬郡郷土誌(笠井藍水著 昭和32年)によれば、この山脈を総称して「筑ヶ峰」と言い、矢筈山を「雌筑(メンツク)」、黒笠山を「雄筑(オンツク)」と崇め小祠を祀っていたと伝えられる。また、縦走路上の岩峰の南側にある断崖を「膳棚さん」といい、古く「阿波誌」にも記述がある。菅生からも遠望できる名物で、昔はカモシカが居たそうである。このコ−スは、北川淳一郎先生が、昭和4年に単独縦走したことでも有名。「・・矢筈から黒笠までは一里内外だったが、馬の背のような狭い痩尾根。しかも右側は垂直に近い高い断崖で、かなり危険だった。黒笠の手前の一七五三メ−トルのところからは雑木林になった。・・」今もまったくその通りで、70年経ってもここは時間が止まったままの静寂な空間がそのまま残されている。(写真は矢筈山山頂にて)

[コ−スタイム]

 落合峠(7:15)―矢筈山(9:10)―黒笠山(13:25)―白井林道(15:30)

[登山手記]一週間近く沖縄近海でウロウロしていた台風6号が、登山前日になって北上を開始。週末に九州西岸を抜けていくであろうという最悪の天気予報に茫然自失。「くそ〜!台風の頸を締めてやる!」「いつもいつも台風ヤロ−め!年に一回の剣山なのに〜!もう、中止だ!」などと出発直前まで”雨男”のマネ−ジャ−が駄々をこねていましたが、女性軍に「ハイハイ、ご勝手に。」と軽くあしらわれて計画通り、終業後に出発。Xハイウェイを「美馬」で降り、貞光から国道438号線に入り剣山を目指します。途中、明渡橋を渡って菅生に通じる「林道白井線」をしばらく進み、黒笠山からの下山口となる白井集落付近に一台、車デポ。国道438号線に戻って、見の越、名頃を経て菅生の「東祖谷山村青少年旅行村」に22時30分着。(林道白井線をそのまま進んだ方がずっと近道のはずですが路面の状況が不明のため今回はパスしました)管理人さんをたたき起こして、詫びを言いながらチェックイン。なんとかバンガロ−に転がり込みました。さすがにみんな疲れ切っていて、ミ−ティングもほどほどに就寝。

 翌29日(土)は5時起床。雨は降っていないものの山上は動きの早い黒雲に覆われています。ああ、やっぱりネ、と諦めにも似た達観が心を支配して、もう何の怒りも悲しみも感じません。ただ機械的に登山の準備をして落合峠に車を走らせます。大展望が自慢の峠も深いガスで、視界0。記念撮影してから道標に従って笹原の斜面を登ってゆきます。50mほど急登に汗を流すと、しばらくは高原状のゆったりとした尾根道が続きます。突然、辺りが明るくなったと思うと、サッとガスが晴れ、目前に聳える矢筈第2,3峰(サガリハゲ分岐南側の二つの岩峰)が現れ、振り返れば落合峠方面の来し方が一望のもとで、みんなを喜ばせました。台風特有の変わりやすい天気で、雲の切れ目から覗く紺碧の空がとても眩しく感じます。今日一日、なんとかこの調子で持ちこたえて欲しいと祈りつつ進むのみです。高原上の漫歩が終わると、サガリハゲ分岐までは100mの直登です。木の根や枝につかまりながら体を引き上げていきます。トラバ−スに移行するところがサガリハゲ分岐。指導標が設置されています。この山は尾野益大氏の「徳島の静かな名峰」で紹介されており、なかなか名実ともに面白そうですが、今日は分岐で写真だけ撮って先を急ぎます。トラバ−スに移ってフと北を見ると、なんと讃岐富士や瀬戸大橋が遠くで光っていて感激しました。後は矢筈山主峰まで明瞭な斜面の登りです。一カ所、大きな岩を捲かなければならないところがあります。うっかりすると岩の上に出てしまいますが、慎重に下れば別にどうってことはありません。周囲が笹原となり、「四国百山」に載っている矢筈石を過ぎるとあこがれの山頂です。残念ながらガスの中で視界はありませんでした。大展望が期待されるだけに残念極まりなく、来年は多分、違うル−トからの矢筈山リベンジ登山になると思います。忌々しい台風め・・と舌打ちしながらミカンを食べ、黒笠山への縦走に移りました。

木標の指導標に従って南の笹原を下っていきます。頂上の東斜面は急な谷筋になっていますので迷いこまないように注意が必要です。西に縦走路上の岩峰が不気味な姿を覗かせています。縦走路は概して狭い稜線で、忠実にそれを辿れば良い訳ですが、道にはブッシュがはびこり、ツル性の植物も多く、足下の悪さは三嶺縦走の「高の瀬」付近を思い起こさせます。ここぞ、というところに赤テ−プがないのも、この縦走路の特徴で慎重に進んでいきました。一度、岩峰の上に出たようですが、ガスのため恐怖感はありませんでした。しかし南側は鋭く切れ落ちているようなので、稜線の北側を捲いていきます。このあたりは道が不明瞭です。注意してください。捲きおわって再び稜線に出ると、しばらくはなだらかな笹の小径となり快適です。黒笠山も、その特徴ある円錐型の姿が木の間より見え隠れしています。1750m峰付近の木陰で昼食。風が強いだけに暑さもさほどでもなく全員元気で安心しました。ここを過ぎると100m一気に下ってから、黒笠山手前の分岐まで登り返していきます。稜線は原生林の中を辿るしっとりとした良い道で心が和んできます。(写真参照)北川先生の縦走記の記載も、此のあたりの事であろうと容易に推測できます。女性軍の軽やかな笑い声があたりにこだましていきました。ここが縦走路上、最後のオアシスです。登り返しは赤テ−プから始まりますが、色あせてわかりにくいので少し注意が必要。気づかず過ぎてしまうと幅広い緩斜面に迷い込んでしまいます。50mほど登ると小さな沢のようなゴロゴロのガレ場があって再び道が不明瞭です。もう黒笠分岐もすぐだと思うのですがブッシュでよくわかりません。倒木が行く手を遮り、赤テ−プもぷっつりなくなって不安感が募ります。元気なH女史が斥候に出て、正しい道を発見して事なきを得ましたが、そこがすなわち黒笠分岐でした。立派な指導標もあってヤレヤレ。最後の最後になって一番、緊張しました。とにかく13時、無事、縦走終了!あとは立派な道を辿って、ご愛敬の鎖場をよじ、ほどなく黒笠山着。狭い山頂からは来し方が一望のもとで、副峰を従えた矢筈の勇姿が早雲の上に聳え立ち実に感動的。山頂の周囲は目も眩むような断崖絶壁で、さすが「阿波のマッタ−ホルン」の面目躍如たるものがあり満足しました。名残は尽きませんが、記念撮影して一気に白井まで、標高差1000mを下っていきます。途中、黒笠神社で「筑ヶ峰」の神様に、感謝を捧げていきました。ここの拝殿の扉は、透明のプラスチック製で、最近は神様もスケルトンを好むのかと驚き入りました。あとは沢筋の単調な下りに終始し、足もガクガクになって白井着。登山口では、地元のおじさんの接待所が本日完成とかでコ−ヒ−をごちそうになりました。本当にありがとうございました。全部手作りの苦心作だそうですので、皆様もぜひ利用してあげてください!

 見の越の「大塚製薬つるぎ山荘」に帰着する頃には風雨が強くなり、今日一日、天気が崩れなかったのは、かえすがえすラッキ−!と騒ぎながら、例年の通り、焼き肉で大満足。疲れた体をふかふかの布団で癒しました。翌日は朝から大雨で計画は全て中止となり、ゆっくりと朝食を戴いてから、祖谷温泉(男性軍に好評)、ラピス大歩危峡(女性軍に好評)、閑定洞窟(両軍に不評、案内したT氏に非難集中)とのんびりと観光しながら、新居浜へと向かいました。