手箱山

[所在地]高知県土佐郡本川村

[登山日]2000年8月20日

[参加数]4人+1匹

[概要]手箱山は高知県だけに属する山としては最高峰であり、大峰宗覚心寺の道場でもある。今回は寺川の「大瀧の滝」登山口から登って、矢筈の森(覚心寺のコル)を通り、名野川に下山する最もキツい一日コ−スである。展望のない最悪の日におよそ「物好き」としか言いようがないが、手箱の誇る大笹原は、ここを登る者にしか、その醍醐味を味わわせてはくれない。また、道の途中には有名な「氷室番所跡」がある。「寺川郷談」にも「・・此山に雪屋と云所あり。いわゆる氷室なり。むかしハ毎年雪を詰し所也。(山内)忠義君の御代迄、毎年六月朔日に此雪屋の雪を取て壺に納め、夜送の早飛脚にて雪を献しけるとかや。領家郷より直に行近道を今も雪屋と云、此故なり。今ハ止りて其事なし。・・」と記されている。伝承地ではあるが、番所跡には石垣などが明瞭に残っている。毎年、「氷室祭り」が執り行われるので登山道は、常に整備され、頂上まで安心して登山を楽しめる。矢筈の森は、キレンゲショウマの群落地。踏みしだかれ、折り取られた可憐な花が、むせびながら悲しく咲いている。

[コ−スタイム]

 大瀧の滝登山口(8:10)―氷室番所跡(10:25)―手箱山(12:15)

    ―矢筈の森(13:55)―名野川分岐(14:30)―名野川登山口(15:45)

[登山手記]「あ〜、もう、なんでこんなに週末は雨ばっかりなの?もう、どうする?」と朝早くから集合場所で一問答。CLの「ネイチャ−ハントの檜板は要らないの?」の一言で女性軍もシブシブ承諾。新寒風山トンネルを抜け、長沢から越裏門を過ぎて、寺川の「大瀧の滝」登山口に8時着。一台を「名野川下山口」に手配した後、鬱とうしい小雨の中、指導標に従って沢沿いに登り始めました。しばらくは展望も何もない植林帯のダラダラした登りです。蒸し暑くて、早くも私はバテ気味。ひっきりなしに付きまとうアブの大群にも閉口です。ただ一人(一匹)元気なのはK君の連れてきた愛犬の「ハル」だけです。みんなの周りを行ったり来たり。その姿を見るだけで陰鬱な気分が和らいできます。また、猟犬としては「土佐犬」の血統を受け継ぐ名犬だけに、たとえクマが出ようがイノシシが襲おうが大丈夫の筈?で、心強い存在です。山道は、次第に水平道に移行し尾根を廻りながらどこまでも続いています。沢の音も近くなったり、遠くなったり。いいかげんにウンザリする頃、やっと沢のどん詰まりのところから、ジグザグの登りとなりました。ここまで、まだ200mほどしか登っていません。風もなく、じっとりと汗ばみ、ザックの重みが妙に苦痛で、ひとりが立ち止まると、これ幸いと座り込んでしまいたい衝動に駆られます。喘ぎつつ、やっとのことで1321m峰西側の稜線に到着。一陣の涼風が疲れた体に心地よく、小休止。ここは2万5千分図「筒上山」に記されている通りに越裏門へと下る分岐点でもあります。古びた指導標が草に埋もれて立っていました。しばらくは稜線上の快適な小径。草刈りも万全で、「氷室祭り」にかける本川村の意気込みが伝わってくるようです。晴れておれば、周囲の山岳が望めそうな場所だけに実に残念です。見えるのは山上を覆う暗雲のみで「今日は、やっぱりダメだね。」と早くもあきらめム−ド。休む回数も自然に多くなってきました。

 水平道からふたたび登り一辺倒に・・・。女性軍は「もうすぐ頂上だよネ!頑張ろうネ!」と励まし合いながらますますペ−スアップぎみ。「冗談じゃないぜ。まだ600mはある・・」と私は絶望的につぶやきましたが、それも聞こえない程、距離をあけられてしまいました。しかし、これほど山上に来てもアブの多いこと、多いこと。可哀想だったのはハルでした。時折、「キャイ−ン。」と悲鳴を上げてうずくまっています。見ると、キ〇タ〇が2倍以上に腫れ上がってとても痛そ〜!!アブも慣れたもので体の最も柔らかい場所を攻撃してくるからでしょう。どうしてやることもできず、ほとんど見殺しの状態でした。ゴメンネ・・。道は次第にきつく、休み休み登って行くと、沢の音が近づき、鬱蒼とした林の中に「氷室番所跡」着、10:25。推定地ではありますが、苔むした石塁が残り、昔から「番所跡」と伝えられている場所からしても、まず「氷室番所」に間違いないでしょう。以前、発掘調査が行われ、石臼や鉄製品なども発見されています。ゆっくり見たいところですがアブも多いので記念撮影だけしてすぐ出発。水場も近く人が住むには最適の場所ですが、それだけアブが多いのも納得できました。ここを過ぎても急登の連続。笹とブナの生い茂る神秘的な斜面をひたすら登り続け、11:20,やっとのことで「名野川」からの合流点に到着。バテバテではありますが、手箱山の真価はここから頂上までの大笹原です。最後の力を振り絞って、一歩一歩、進んでいきます。

左の写真は参考です。これは5年前の登山時のものです。天気さえ良ければ、瓶ヶ森でも、笹ヶ峰でも、堂ヶ森でもない、ここだけの雰囲気を持つ笹原を堪能することができます。しかし、今日は最悪のガスの中。まったく瓶ヶ森でも、笹ヶ峰でも、堂ヶ森でも、どこでも同じ、何の変哲もない笹道が続いているだけです。さらに悪いことは、こういう雨後の笹道は、蛇の格好の昼寝場所と見えて、次から次に現れる蛇の姿に、さすがのH女史も怖じてしまい、K君が先頭を替わりましたが、マムシを掴めるほどのK君でも辟易するほどの蛇地獄が山頂まで続いていました。手箱山東側の象徴である石門を過ぎ、傾斜が緩くなると、遂に山頂です、12:15。手箱山権現の立派な祠にお参りして、倒れ込むようにヘタりこんでしまいました。しかし、4時間かけて登ってきた達成感は何者にも替え難く心からの歓びを感じることができました。数人の登山者が呆れるように見つめる中、「そば焼きめし」を手短に食べて筒上山に向かいます。キレンゲショウマが見頃と聞いたからです。覚心寺までは稜線上の縦走路。アップダウンもほとんどなく快適に進んでいきます。ガスのため大展望が得られないのはかえすがえす残念。まあ、それがわかっていながら登ってきたのですから仕方ありませんが・・。覚心寺では、キレンゲショウマが目的の何十人もの登山者がたむろして、今までの静寂とは対照的な賑やかさです。筒上山は、結局中止。そのまま、有名なキレンゲショウマの群落地に到着して目にしたものは、踏みしだかれ、折られ、持ち去られた、まさにレイプされたキレンゲショウマの悲しい姿でした。北川先生にこよなく愛され、名著「四国アルプス」の巻頭をも飾った、その花の余りに無惨な姿は、怒りを通り越して身を切られるほど悲しかった。彼らははっきりいって私たちの「敵」です。「撮っていいのは写真だけ。」とよく言われますが、そんな人間は写真も撮って欲しくはない。レイプして、その姿を写真に撮るのはヤクザに等しい。「山のヤクザ」に美しい山を蹂躙して欲しくはありませんよネ!どうして日本人はいつも、こうなのでしょうか?本当に情けなくなってしまいます。今日一日の楽しい登山が、この一瞬で台無しにされてしまったような虚脱感に襲われながら、足早にその場所を立ち去りました。・・

 しばらく土小屋方面に進むと、右手に下っていく立派な山道が見つかります。赤テ−プを捲いている板きれが目印ですが、さて、いつまであることでしょう?くれぐれも通りすぎないように注意してください。筒上山への直登コ−ス分岐まで行くと行き過ぎとなります。あとは、美しいブナ林の素晴らしい道を、ハルに慰められながら黙々と名野川まで下っていきました。