野地峰

[所在地]高知県土佐郡大川村、愛媛県伊予三島市

[登山日]2000年9月24日

[参加数]3人

[概要]高知県土佐郡大川村に、かって高知県最大の銅山として君臨した白滝鉱山があった。ここから採掘された良質の「斑銅鉱」は、現在も代表的鉱物標本として諸々の書物(例えば、「鉱物 カラ−図鑑」ナツメ社 1999年)やHP(例えば「秋田大学付属工業博物館」)で観ることができる。野地峰は、その背後に聳える伊予方面への往還として利用されてきた。「大川村史」には、「伊予三島方面に出るためには野地峯を越え、城師の坂を下り、銅山川を一キロ計り川沿いに進み、また豊坂の坂道を八キロ位上り続けてやっと寒川山の頂き近くの道につき・・、三島から鉱山宅に帰った当日は足が立たず一日寝込む有様でした。」と記されている。白滝から野地峰までは、そのほんの出発点に過ぎないが、別子の仲持道と同様、当時の雰囲気を偲ぶに充分である。

[コ−スタイム]

  白滝登山口(8:20)―野地峰(9:18)―登山口(10:13)

[登山手記]これからしばらくは、ネイチャ−ハント檜板獲得のためのピ−クハントの旅が続きます。単純なPHは、出来れば一昨年来のダブルハイクの要領で、てっとり早く終わらせたい、というのがCLの希望ですが、まあ中高年の仲間になりつつある昨今、のんびりと低山ハイクに打ち込むのも、また一興!とすなおに女性軍の意見に従って今後のコ−スを選ぶことにしました。手始めは旧白滝鉱山付近に位置する2山です。新寒風山トンネルを抜け、白滝、大田尾越、別子と辿る周遊コ−スで、最後はマイントピア別子で入浴予定。昨夜の雨も上がり、白滝に到着する頃には青空が拡がり絶好の登山日和となりました。鉱山跡は「自然王国・白滝の里」として諸施設が整い、道路も全て舗装され道標も万全で、順調に登山口に到着。登山口には、立派なトイレやロッカ−ル−ム?などの設備も整っています。トロッコ道を5分ほど辿った所から山道に入ります。草が生い茂るトロッコ道をなおも進むと本坑である「白滝坑通洞」跡に至ることができますが、今は閉鎖されています。またすぐ下方には選鉱場の廃墟も望めますが、危険なので近づかない方が無難でしょう。さて、山道に入ると単調な植林帯のジグザグ道に終始します。取り立てて記載するものもありません。植林帯を抜け、周囲が笹原になってくると巨大な反射板が現れ、そこを過ぎるとアッと言う間に頂上に飛び出しました。首の無いお地蔵様は、どのガイドブックにも登場してお馴染みと思います。視界は南に広く開けて「白滝の里」が一望の下です。そして峠の北側には一条の道がそのまま灌木帯の中に消えていて、流れていくガスに行き交った旅人の幻を偲ぶことができます。ここは四国山脈脊梁の十字路でもあり、東に行くと黒岩山へ、西に行くと東光森山へと縦走路が通じています。ほとんど薮のようですが、いつの日か、また、その脊梁を辿れる日を夢見ながら、名残惜しく山頂を後にしました。

 下山後、「自然王国・白滝の里」を見学。研修センタ−には、トトロやム−ミンのぬいぐるみがたくさんあって女性軍を喜ばせました。売店では、白滝鉱山の鉱石を入れたガラスの小瓶があったので記念に買い求めてから、次の登山口である大田尾越へと向かいました。

 

東光森山

[所在地]高知県土佐郡大川村、愛媛県宇摩郡別子山村

[概要]東光森山の山名の由来は、東の「三ツ森山」で本当に良いのだろうか。「三森」の由来は別子の高僧、南光院快盛法印に因む伝説が伝えられている。「・・南光院が炭焼人夫を教化して居た頃、下七番の路上に一匹の白い大蛇が横たわり、格別害はしないけれども人夫がおそれて仕事が出来なかった。南光院は人々の為に太刀を揮ってこれをきった、その頭はとんで下七番の「遠(頭)の石」に、尾は南光院上方の白尾大権現のある処に、その胴体は三森大権現のある処におちた。(三森とは本来、三盛、即ち頭胴尾三体を合わせ祭るの意也と云ふ)」(文献で偲ぶ南光院 芥川三平編)。ほかにも諸説があったようだが、今思い出せない。登山口は太田尾越。ブナの大木で名高い大座礼山登山口の向かいにある。頂上まで一時間半程。尾根縦走の雰囲気をちょっぴり味わえる。土佐方面の眺望にも優れて快適だが、最後は顎が出るほどの急登が待ちかまえている。

[コ−スタイム]登山口(11:50)―頂上(13:15)

[登山手記]白滝から太田尾越までは、県道「高知伊予三島線」を走ります。途中、紛らわしい分岐が一カ所ありますが、「伊予三島方面」にお進みください。全体の三分の一程は未舗装です。山懐ろ深く入っている感が強く、高度感もなかなかあって、ツ−リングだけでも面白いコ−スだと思います。大座礼山登山口には、10台ほどの車が止められていて人気の程が伺えますが、東光森山登山口には一台もなく、少々寂しい限りです。「大座礼の後から登って来るのかもしれない。」と言いながら足早に出発。取り付きからアキレス腱の軋るような急坂を耐えながら登りきると、しばらくは快適な尾根縦走となります。なだらかな小ピ−クを一つ過ぎますが、このあたりから見る東光森山はキリッと引き締まって男性的です。同時に「なんかキツそ〜!」と早くも怖じけずいて歩調が鈍ってきました。しかし、振り返れば、大座礼山の巨大な山体や西赤石山方面が遠望でき心が和んできます。土佐の重畳たる山並みも疲れを取るのに一服の清涼剤です。ゆるやかな下りから、一旦、北斜面を捲いて予想通り急登となってきます。木の根、木の枝にすがりながら一歩一歩、体を引き上げて行きます。ザレのような足場の悪さにも閉口です。ここの上りは、かの大森山(伊予三島市富郷)を彷彿とさせ、上に行くほどますます急になり、もう限界だ!と座り込もうとした時、フッと狭い山頂に到着しました。13時15分。なにはともあれ、まずネイチャ−ハント標識で証拠写真を撮ったあと、息を整えてからのんびりと昼食タイム。展望はあまりありませんが、美しい蝶が周囲を舞い、あくまでも静かな、とても良い山頂でした。(結局、この日は誰も登ってきませんでした。)東には縦走路が延び、辿れば野地峰に行くことができます。今度は絶対、縦走で2山を制覇するぞ!と誓いを新たにしながら、のんびりと元来た道を下っていきました。