[所在地]香川県木田郡庵治町、牟礼町
[登山日]2001年2月24日
[参加数]3人
[概要]「・・この山は高く険しく、峰は三つに分かれ、雲は山の中腹にかかり、夏でも雪、霜をふくんでいる。その高さは七百余丈。・・弘法大師は、精神を集中して虚空蔵求聞持の法を勧修された。すると七日目に明星が来影し、三十七日目に至って利剣五柄が空から降ってきたのだ。この五剣を山頂に埋めたから、五剣山と号するようになった・・」(四国遍礼霊場記(現代訳)教育社)。五剣山は、言わずと知れた四国霊場85番札所、八栗寺の背後に聳える峻峰である。ここは古来からの行場で、北から一の剣、二の剣、・・五の剣と続き、それぞれに「薬師如来」「蔵王権現、以空上人」「せりわり石の行者」「金時不動」「身代わり不動」がお祭りされ鎖、梯子を伝って回峰修行する。(八栗聖天 不二出版社)しかし、昭和51年以降、寺側からの登山は禁止されている。写真は二の剣頂上の金剛蔵王権現社。ここに天から降ってきた利剣の一振が納められている。これ程の名峰、谷文晁の「諸国名山図会」にも記載され、四国で十指に入れてもなんら不思議ではない。しかし最近出版された「四国百名山」では選外である。はなはだ遺憾という他ない。
[コースタイム]
高尻(9:10)―282m峰(11:20)―五剣山(12:20)―八栗寺(13:30)
[登山手記]私が小学生の頃、もうかれこれ30年以上前のことですが、今は亡き父に連れられて八栗寺にお参りしたことがあります。中将坊という天狗をお祭りしたお堂まで来ると、多くの白装束の行者さん達が、なにやらお経を唱えつつ山に登っていくのを見たことを今でも鮮明に記憶しています。一緒に登りたいと父にせがんだのですが、「きぶい(険しい)山だから大人になってからだ。」と許してもらえず、泣く泣く帰っていったのですが、そのうち、昭和51年の台風で、至るところ山崩れを起こし滑落事故も発生して「入山禁止」となり、永久にその機会は失われてしまったのでした。
その想いに再び火を付けたのは、「わたり鳥山の会」の第250回登山記念特集号(平成12年発行)の記事でした。「・・さて今回は、五剣山へと向かう、入山禁止板が出ている中将坊から登らず、最近まったく使用されていない旧道を行く。コトデン塩屋駅から、庵治町高尻へと約1時間足らずで、葛原港北側に「大穴」の看板がある。ここにはかっての林道らしき跡があり、登って行くと沢にでる・・五剣山の尾根を越えると、目の下にケーブルカーの山頂駅が見える、・・昼食後は、五剣山の縦走コースを通り、ケーブルカー麓駅に下る。(平成3年1月13日)」・・なるほど裏側から登れば山頂に行けるのか、よし、このコースの通りに登ってみよう、思い立ったら吉日!と急遽、30年間の想いを込めた計画をしました。このような低山は冬場でないと魑魅魍魎が足下をはうブッシュ漕ぎを強いられるからです。当日はあいにくの雨。おまけに霧が深く近くに来ても山の姿を見ることはできません。葛原は、志度の北西、五剣山の東麓に位置します。「大穴」の看板を探すのですが、それらしいものはありません。何度も行ったり来たりして、結局、高尻海水浴場手前の未舗装の林道跡から登り始めました。潮騒の聞こえる0mからのスタートです。林道はすぐ新道工事現場で寸断されてしまいます。適当に斜面を横掛けしていくのですが、イバラが多く、スズタケが密生していて前進が困難になってしまいました。仕方なく、右手の沢に入り、流れに沿って登っていきます。小さな沢ですが苔蒸す岩がゴロゴロしていて幽玄な雰囲気です。今日はスニーカーのため、水が入ってしまいましたが、気にせずどんどん登っていくと平坦地に出ます。これは水田跡です。意外なところに・・と思いつつ、手持ちの本を調べると次の様に出ていました。「・・大穴 源氏峰の北方地獄谷の下邊に大穴と称する所あり。両三軒の民家を有し此部落に大なる土穴あり。是、上古穴居時代に土民の棲息せし遺跡なりといふ・・」(古今讃岐名勝図会)。竹藪生い茂る石垣の跡もあって、確かに集落跡のようです。かって有った「大穴」の看板も、その遺跡の案内表示であったのかもしれません。しかし、そんな悠長な想像を楽しむのもここまででした。適当に石垣を登ると道は無くなります。さらに上へ上へと登ると小さな溜池の畔にでて灌木の生い茂る斜面となります。道はなく枝をかき分けかき分け進んで行きます。それが終わると、今度は背丈以上のシダのヤブコギです。日当たりのいい斜面で育つとシダも大きくなるものです。泳ぐように、それを乗り越え乗り越え、ただ上へ上へと猛進します。もう雨具はズタズタ、手や腕は傷だらけ、H女史は顔にもひっかき傷を作ってしまい「お嫁に行けなくなる!」と騒いでいます。もう2時間近く登っているのですが、周囲の視界もなく自分の位置も分からず不安が募ります。しかし上に行くしかなく枝や幹にすがりながら直登を続けて、やっと小ピークに辿り着きました。282m峰です。眼下にはケーブルカー駅が俯瞰されます。遂に稜線に到着したのです。
気を良くしながら、山上の小径を歩みます。踏み跡はしっかりしており、そこここに石仏が安置され、結界に入ったことが分かります。しばらく行くと岩峰が有って、道が三つに分かれています。真ん中を進むと大岩壁のトラバースです。ここは五の剣、「明星壁」と呼ばれ、直下に八栗寺境内が見えています。20cm足らずの道、おまけに片側は木も生えていない垂直の断崖です。「ヒエ〜、恐い!」さすがに渡ることはできませんでした。しかし、霧に見え隠れしている岩峰は恐ろしいまでに荘厳で中国の深山を描いた墨絵そのもの、たかだか400m足らずの低山とは思えません。唖然としながら、しばらく言葉も失ってしまいました。引き返し、下側の道を行くと「泉聖天」と呼ばれるお堂があり、巨大な岩壁の下に出ます。石仏が立ち並び不思議な雰囲気に満ちています。ここを過ぎると梯子があって、登ると四の剣と五の剣の鞍部に出ます。大岩窟には不動明王がお祭りされ、護摩が焚かれているようです。脇に一条の鎖と梯子が整備され、四の剣へとよじ登ります。急傾斜の岩場ですが、危険な所には金網があり、フィックスロープも万全で安心です。今日は視界が無いためか恐怖感も全くありませんでした。登り切ると「不動明王」が安置されています。ここからは、一の剣までアップダウンの繰り返しですが平凡な山道に終始します。
三の剣には「白滝大権現」が、二の剣には前述した「金剛蔵王権現」の立派な祠が安置されています。一の剣は「八大龍王」と記され、そこを過ぎると一気に視界が開け大展望が楽しめます。ガスの切れ間から、北には瀬戸の多島海が、西には壇の浦を隔てて屋島の優雅な姿が現れました。ここは五剣山の果てです。私はフと石鎚の南尖峰を思い出してしまいました。なんとなく山の形もお互い似ているし、南尖峰もまた、鎖場や、弥山、天狗岳をクリアした者だけが到達できる最後の聖地で、修行を終えた安らぎを感ずることのできる山の”さいはて”です。ゆっくりと風景を楽しみ、仏様に感謝しつつ長年の夢を実現できたことを喜び合いました。ちなみに、この先は垂直の断崖となっていて、もうどこにも行くことはできません。注意してください。名残は尽きませんが、時間も過ぎたので、来た道を引き返し、梯子を下り、八栗寺にお参りしました。本堂から見上げる五剣山は実に雄大で、優に千メートル級以上の山に匹敵する素晴らしい名山であることを再認識できました。そして心の中で「おやじ!遂に登ってきたよ!」と何度も何度も快哉を叫びました。・・写真は、戦前の絵はがきに写された五剣山の鎖場です。寺側の「入山禁止」が解かれ、このように多くの行者が再び列をなす日が来ることを心から祈りながら満ち足りた気持ちで山を下っていきました。南無大師遍照金剛!南無大師遍照金剛!