平家平

[所在地]愛媛県宇摩郡別子山村、高知県土佐郡大川村

[登山日]2001年3月10日

[参加数]4人

[概要]別子山村南面に、その広大な尾根を誇示するように拡げる「平家平」。笹ヶ峰から平家平へのミニ縦走は「四国百山」で紹介されてから辿る人も結構多い。春には「ナスビ平」のカタクリに魅せられて、そのついで(と言っては平家平に失礼だが・・)に冠山から日帰り縦走を楽しむこともできる。昔から、その名の通りに伝説が多く伝えられている山でもある。最も有名なのは「毎年、旧十一月午の日に頂上に平家の赤旗が立ち、これを見た者は近日中に必ず死ぬ」というものであるが、「頂上付近に熊谷次郎直実が腰を下ろしたという”熊谷石”や平敦盛を祀った”敦盛塚”などが残っている」(旧別子の伝説 芥川三平著)に至っては「ほんまかいな??」と思わず眉に唾を付けたくなってしまう。さらに古老の話では古墳や洞窟もあるそうで、季節が良ければ頂上付近の笹原をのんびりと探検してみるのも面白いだろう。しかし、今回は、春未だ浅き雪の平家平ピストン。誰もいない山頂を吹きすさぶ寒風に、平家の人々の哀れさを偲ぶのみであった。

[コースタイム]

 住友フォレスターハウス(8:10)―211番鉄塔(稜線)(11:08)―

    ―平家平(12:44)・・昼食・・発(13:40)―登山口(15:55)

[登山手記]数日前から真冬並みの寒波到来で、真っ白になった山々を眺めながら、期待と不安の交錯する複雑な気持ちで登山前日を迎え、終業後に別子山に向けて出発。恐れていた道路凍結もさほどではなく、いつもの保土野のK君宅で大宴会。小用で外に出ると、満天の星明かりに黒い山影がくっきりと浮かんで明日の好天気を約束してくれます。シンとした冷たい空気がお酒で火照った頬に心地よく、心の底から幸せを感じつつ、しばらくひとり佇んでいました。翌日は予想通り、抜けるような青空で、意気揚々と住友フォレスターハウスに到着。記帳しながら管理人のオジサンに聞くと「さ〜。稜線で雪は1メートルくらいかな。気をつけてな。」・・「1メートル?ウソだろ?」「本当にそうなら日帰り登山など遭難ものだぜ。」と囁きあいながらも、とにかく出発する!というのが「山の会」の掟??「無理しないで早めに帰っておいで。コーヒーでも入れておくよ。」の声に見送られながら8:10出発。

 ハウス裏手から一旦、沢に下り橋を渡りゲートをくぐってから登山開始です。沢に下る分岐には何の標識もありません。まっすぐ進むとナスビ平を経て冠山に行ってしまうので、初めての方は注意が必要です。簡単な指導標が一つほしいところです。ゲートから沢を左岸に渡ると、しばらくは沢沿いの水平道です。道がところどころ崩れているため滑り落ちないよう気遣いが必要です。フィックスロープがあったのですが雪のためまったくわかりませんでした。雪を被った沢は本当にくせが悪く、雪の下は水の深みだったり、油断すると石と石の間に足が深く入り込んで事故につながりかねません。滑るとそのまま数メートル下まで落ち込むかもしれず緊張の連続でした。おまけにこのあたりは鉄塔の保線道が多く交錯しているため心理的に迷いやすい分岐があります。立派な鉄橋などもあるのですが渡ってはいけません。以前、遭難騒動も起きたほどです。そのためか、赤テープや赤布が数年前よりずっと万全になったのは嬉しい限りです。おかげで迷うこともなく沢のどんづまりまで順調に進むことができました。どんづまりから鉄ハシゴを注意して登ると本格的な山道です。尾根を回り込みながらジグザグに登っていきます。結構、急傾斜の斜面で深い谷に落ち込んでいるので、木が生えているからと言って油断はできません。一歩一歩、慎重に進みます。下りはアイゼンを装着した方が安全でしょう。汗が吹き出る頃、最初の鉄塔に到着。ようやく視野が開け向かいの赤石山系が美しく望まれました。ここから稜線の211番鉄塔までは、ほぼ頭の上の電線沿いに進みます。雪で夏道は不明瞭な箇所が多く、慎重なルートファインディングが必要ですが、分からなくなっても、電線の走行を見ながら直登してゆけばまず間違いありません。その意味では平家平は、比較的安全に冬山登山を楽しめる数少ない山と言えるでしょう。とはいっても稜線が目の前に迫ってもなかなか辿り着けません。膝程度のラッセルももどかしく中七番から3時間かけて、ようやく稜線に到着しました。

 11時過ぎ、稜線着。ゆっくりと休憩の後、山頂に向かって出発。標高差250m、1.3kmほどの行程です。ほとんど低木帯の笹原のため、次から次へと素晴らしい風景が展開してゆきます。大座礼山から笹ヶ峰までえんえんと続く四国の脊梁、南には、かの北川淳一郎先生が「石鎚縦走をしていると、いつも土佐側に、頂のむらむらした山が目障りになるが・・」(愛山 1953年)と一風変わった表現をした稲叢山塊、そして振り返れば峨々たるピークが林立する赤石山系が、すべて白銀に輝きながら紺碧の空を背に聳えたっています。目前には雪のたおやかな尾根が拡がり、そのバージンスノーを踏みしめながら一歩づつ頂上に近づいてゆきました。

このまま順調に頂上に至るのかな?と思いましたが、そこは雪山の厳しさです。なんと雪庇が南側に3メ−トル以上発達していて、その下側を進んでしまったためにブッシュと吹き溜まりの深雪に阻まれて前進困難になってしまったのです。雪庇の上によじ登ろうとしても、3メートルの堅く引き締まった垂直の壁は登ることができません。仕方なく引き返して北側斜面に回り込むかたちで雪庇の上に出て、やっと前に進むことができました。「やっぱりオジサンの言ったことは本当だったネ。」とはじめて「1メートル以上の雪」の意味が納得でき、お互い頷きあいました。写真は、その美しい雪庇の状況です。背後の大きな山は大座礼山。雪庇はさすがに堅く凍りついていて、上を歩いても崩れることはありません。キシキシと音を立てながら歩くと実に爽快!、指呼になった頂上を仰ぎつつ、4人一緒となってゆっくりとラストスロープを極めてゆきました・・そして12時44分、ついに平家平に到着。

 記念撮影して、さてのんびり・・としたいのですが、とにかく寒い!烈風が吹きすさび、雪煙が舞い上がって、身を隠すことのできない吹きさらしの頂上は5分と耐えられるところではありませんでした。笹ヶ峰から瓶ヶ森まで美しく輝いていたのですが、残念ながらほとんどその印象が残っていません。ほうほうの体で少し下ったところの岩陰に逃げ込んで、とにかくラ−メンの昼食で体を温め、やっと一息つきました。4時間半かけて登り、頂上に留まることわずかに5分。「あまりに、あっけないではないか。」とは後日の談で、そのときは頂上を踏むことができた歓びだけが支配して、一刻も早く下りなければ・・!というあせりで、せき立てられるように一気に元来た道を引き返してゆきました。最後に振り返り見た平家平は、あくまでも毅然として沈黙を守り、千年の歴史を秘めた名山であることを改めて認識しました。そして、なによりも「平家の赤旗が見えなくて良かった・・。」と秘かに安堵の胸をなで下ろしました。