東赤石〜西赤石

[所在地]愛媛県宇摩郡別子山村

[登山日]2001年4月28日

[参加数]5人

[概要]赤石山系の平均的日帰り縦走コース。筏津登山口から東赤石を制した後、石室越を経て、前赤石、物住の頭、西赤石と辿ってゆく。なかでも、物住の頭は「物の怪の住む」意である。もともと南側の谷の名称であったが、ピークに名前がないのを遺憾として、昭和34年に伊藤玉男先生により命名された。このあたりは別子開坑当時から妖怪や野獣が出没して、坑夫たちを苦しめたため、別子の名僧「南光院快盛法印」がそれらを封じ込めたということである。しかし明治時代には、再び、面妖な白髭の老人がしばしば現れて人々を恐れさせたというから今も油断はできない。赤石山系は、それほど人々に畏怖され崇拝されてきた山である。銅山の需要のため自然を破壊し尽くした後ろめたさもあってのことであろう・・。その償いで植林された落葉松の美林が、縦走路の南斜面に見事に根付いているのを見て、百年前の伊庭貞剛支配人の力強い言葉が改めて思い出される。

「別子全山を旧のあおあおとした姿にして、これを大自然にかえさねばならない!」

 住友百年の計、まさに知るべし!!!、である。

[コースタイム]

 筏津登山口(7:30)―東赤石(11:30)―赤石山荘(12:10)・・昼食・・

   ―物住の頭(14:20)―西赤石(15:00)―日浦登山口(17:30)

[登山手記]予定していた一泊二日コースが、事情により不可能となったため、急遽、日帰り縦走に変更。天気もまずまずで順調に別子山の「筏津登山口」から登山開始。2,3組の別パーティと一緒に100mほど登ると、次第に水平道に移行しました。このあたりは「豊後」と呼ばれる古い集落跡です。「豊後」とは、平家の一族である余慶四郎兵衛、豊後兵衛、延仏兵衛の三兄弟にまつわる別子山開村の秘話を有する由緒ある場所ですが、今は無人の域となっています。瀬場からの登山口を合わせ、八間滝の轟音を過ぎると渓流を左岸に渡って分岐となります。左すれば赤石山荘に至る一般道、右すれば東赤石南側に直登する旧登山道です。多くの人が左する中、静かな山道を求めて右の旧道を選択しました。ところどころ伐採箇所や、斜面の崩壊が痛々しく残っていますが、道はしっかりしていて、なんの心配も要りません。ひたすら急登を耐えてゆくだけです。途中、アケボノツツジや、話題となったタムシバの白い花がそこここに咲き乱れ、心を慰めてくれます。視界があまり得られないため休憩の回数も多くなり、いい加減ウンザリする頃、突然、東赤石の鋭い岩峰が不気味な赤黒さで覆い被さってきました。「あれが見えると、もうすぐですヨ。」の声に励まされながら一歩一歩、階段状の山道を直登し続け、顎が出る頃、ようやく権現越と赤石山荘を結ぶ縦走路着。10:45。少し西に進んだ所から、一気に頂上を極めます。途中の屹立した岩峰群は絶好の被写体。お互い写真を撮り合っていると、横をピックハンマーや拡大鏡を手にした若者数名と教授らしい初老の先生が行き過ぎました。ここは珍しい鉱物の宝庫。おまけに今年9月には「第6回国際エクロジャイド会議」が新居浜と権現越の会場で開催されます。全世界から100名以上の地質学者が集まるとあって、今、地元はその準備に大わらわです。私たちも巡検に飛び入り参加の予定ですが、このあたりは、まさに”熱い”夏になる予定で、明日を担う若い学者に大いに頑張って欲しいと、これまた熱いエールを、去ってゆく逞しい背中に投げかけました。

 赤石越から5分あまりで東赤石頂上です。南斜面から白雲が湧きがっているものの展望もまずまず。双眼鏡で北側を俯瞰すると、赤石鉱山の廃墟や朽ちた索道鉄塔も認めることができます。今度こそ五良津からの登山を成功させるぞ!と、私はそこばかりにらみつけていたので、みんな怪訝そうな表情をして私を見ていました・・。少し休憩の後、頂上を後にして、八巻山のゴツゴツした岩山を楽しみながら渡り歩いてゆきます。ピークとおぼしき場所に、八巻大権現の新しい祠が設置されていました。最後まで稜線伝いに行きたかったのですが、結構、時間がかかりそうなので途中から赤石山荘に下って、一般縦走路を石室越に向かって進みました。途中の岩場でしばし昼食タイム。

石室越から西赤石までの稜線は、わが「山の会」人気投票第一位を誇る素晴らしい縦走路です。前赤石の迫力満点の厳しい岩場と、西赤石への高原状の優しい表情が見事に調和して、シンフォニックな響きを奏でています。南にはたたなずく四国の山々、北にはおだやかな瀬戸の海がこれまた好対照で、このような景観は日本広しといえどもここでしか味わうことができません。ゆっくりと時間をかけながらアルペン気分を堪能していただきたいと思います。左の写真は前赤石の絶壁です。道はしっかりしていて問題はありませんが、悪天時や積雪期は滑らないよう注意が必要です。滑落すると、まず命は無いでしょう!

岩場を過ぎると、物住の頭まではワンピッチ。振り返ると、前赤石の岩峰がいかにすばらしいものであるか、改めて認識することができるはずです。物住の頭の手前には五良津(鹿路)方面へ下る指導標が、ピークからは北の上兜に向かって薮道が続いていますが、現在、辿ることは出来るのでしょうか?また、いつの日か、気合いを入れて辿ってみたいものです・・・。そんなことを考えながら、次第に重くなる腰をあげて西赤石へと向かいました。ここは雲上の楽園!その名も「雲ヶ原」と言います。結構、遠そうに見えますが、上りの傾斜もさほどではなく、30分あまりで西赤石に到着することができます。ここまでくれば、もう、そう焦ることもありません。のんびりと大石の上に立って新居浜市の批評をするも良し、道の辺に咲く草花に名を問うのも良し、拾った鉱物の品評をするのも良し、誰もいない縦走路で、私たちだけの貴重なひとときを過ごすことができました。

 そして、西赤石、15:00着。頂上には、まだ、登山者の姿があり、最近の人気の程が伺えます。東を見れば、前赤石や物住の頭、遙かに東赤石とおぼしき山影も認められ、日帰り縦走とは言いながら、充実した深い感慨に浸ることができました。完登を祝して握手を交わした後、休憩もそこそこに下山開始。慣れた道なので、一時間足らずで銅山峰着。旧別子の銅山跡をチラチラ横目で見ながら、足早に日浦登山口へと下っていきました。