工石山〜三辻山、陣ヶ森

[所在地]高知県土佐郡土佐町、土佐山村

[登山日]2001年5月5日

[参加数]4人

[概要]工石山、陣ヶ森県立自然公園の中核をなす3山である。三辻山と陣ヶ森は、ネイチャーハント初級コースのため、のんびりと点数稼ぎを楽しむことができる。盟主の工石山は、「自然休養林第1号」に、全国に先駆けて昭和42年、明治百年記念行事の一つとして指定された。その構想、着工は当時の高知営林局長の森尾洋一氏に依るところが大きい。森尾氏は、瓶ヶ森林道をはじめとする四国スカイライン計画の立案起工責任者として、愛媛岳人にとっても忘れられない人物である。それはともかく、彼のライフワークとも言える工石山県民の森は、保護林の多彩さやその規模において名実ともに高知市の水源確保のためのライフラインであり、整備も行き届いてすばらしいものである。「杖塚」にある石碑に刻まれた「この森にあそびこの森に学びてあめつちの心に近づかむ」の言葉に、森尾氏の気概と自信を感じとることができる。

[コースタイム]

 登山口(8:40)―杖塚(9:00)―檜屏風岩(9:30)―工石山(10:15)―

  杖塚(11:00)―三辻山登山口(11:25)―三辻山(11:50)・・昼食・・―

  工石山登山口(12:50)・・車で移動・・

  陣ヶ森登山口(14:10)―山頂(14:20)―登山口(14:35)

[登山手記]午後から雨になる、という天気予報を裏付けるような重そうな空の下、大豊インターから、439号線を本山町方面に進み、道標に従って高知本山線に入り、順調に赤良木トンネルに到着。道幅も広く快適な道でした。トンネルを抜けた所に、「県立工石山青少年の家」の立派な建物があり、その裏手から登山道に入ります。ジグザグ道を少し登ると、工石山と三辻山の分岐があって工石山に歩をとりました。「コープの森」と記されています。K女史は新居浜でも有名なコープ会員であり(有名というのは、いつもコープで買い物をするためレジのオバサンに顔パスが効く、ということです)、とても嬉しそうに説明のパネルを眺めていました。坂を上りきったところが「杖塚」で、くだんの石碑が建立されています。すぐそばに水場もあり一息入れるのは絶好の場所となっています。ベンチに腰掛け、石碑を見ながら思います。・・そういえば面河にも森尾氏の揮毫による「面河国民の森」の石碑が亀腹付近にあります。「この森にやすらぎ憩ひてあめつちの心にふれむ」とよく似た文面が刻まれています。昭和42年、この年は県営の石鎚スカイラインに連動するかたちで、寒風山までの長大な林道計画が発表された年です。高知側からは、早々と長沢林道が竣工し、尾根道との接点を「よさこい峠」と名付けたのも森尾局長でした。愛媛側の最大の問題点は、林道が瓶ヶ森の氷見二千石原を横切るという計画があったことです。これに対して瓶ヶ森の主である故幾島照夫氏や、愛媛山岳連盟をはじめ各種団体の猛烈な反対運動が起こり、双方の壮絶なせめぎ合いの末、結局、営林局側が折れて二千石原は救われたという経緯が今も伝説的に語り継がれています。辛うじて横断が回避できた昭和45年の愛媛県山岳連盟報の中で、岳連副会長である石村修二郎氏は「・・しかし、二千石原の入り口に駐車場が置かれるので・・美しい笹のスロープが、棄てられたゴミで汚れ、高山植物は持ち去られようし、五葉松の枝は折られて台無しになり、冷たい清水をたたえる瓶壺の泉はゴミタメと化してしまうであろう・・」と長い疲れ切った闘争報告のあとで警告されています。つい先日も、子持権現のアケボノツツジが大枝ごと無惨に折り取られているのを写真家の高橋 毅氏が見つけて憤慨する記事が愛媛新聞に載っていたし、林道による多くの斜面の崩壊、とくに昨年の西黒森の崩落は凄まじかった・・、など30年経った今も未解決の問題は山積みされていて、まだまだ過去のことではないと思います。生前、幾島氏に「本当に林道が付かなくて救われたですね。」と言ったところ、「いや、あれほどいたタカやワシの猛禽類が結局はいなくなった。次は人間の番だ!」と厳しい顔で語られたのを思い出します・・高知営林局の牙城とも言うべき神聖な場所で、こんなことを考えてしまうのも皮肉なものですが、若い人達にぜひ知っておいてもらいたい事実だと思いましたので、つい長々と書いてしまいました・・・

 腰をあげて先に進むことにします。しばらくは水平道です。あいにくガスで視界はありません。向かいの尾根のゴツゴツした石灰岩が時折、見え隠れする程度です。30分ほど歩くと突然、岩にからみつく檜の古木が目の前に現れました。檜屏風岩です。視界0のためそのまま行くと、豊かな水量の沢を横切ります。ここが「賽の河原」と呼ばれる場所で、東屋も設置されています。名前は恐そうですがそう暗いイメージはありません。むしろ霧に覆われ幽玄な雰囲気です。「四国百山」に登場する場所もここで、高知市に流れ込む鏡川の源流であると説明されています。沢を渡ってから頂上までは単調な山道、シャクナゲのつぼみがそこここにみられますが、まだ堅く蕾んでいて実に残念でした。やっとたどり着いた頂上もあいかわらず深いガスで、立派な展望台に登っても何も見えません。しかし、周囲には不思議なくらい多くのアケボノツツジが咲き乱れ女性軍を喜ばせました。休憩もそこそこに帰りは「北の頂」を通って北回りで杖塚まで還ってきました。途中、悪天候にもかかわらず20名を越す団体とすれ違い、また杖塚では50名を越すと思われる親子集団(そう言えば今日は「こどもの日」でした)が指導員から石碑について何か説明を受けているなど、やっぱり、ここはすごい所なんだな〜と実感しました。

杖塚から少し下ったところに横掛け道があり、道標はありませんが、これを進むと写真のような鉱山跡に出ました。水源の森に鉱山があっていいのか!とは思いますが、ここは石灰石の一種のドロマイトを採掘していた跡で有毒な硫化物ではないので、特に問題視されないのでしょう。しかし、工石山の途中からもチラチラ見えるため目障りと言えば目障りです。付近にもバラス状の石灰岩が散乱しています。鉱山跡からトラック道を少し下った急カーブのところが三辻山登山口です。土管の灰皿と指導標がありますが、夏場は繁ってわかりにくいかもしれません。30分ほどの森林浴を楽しむと三辻山頂上です。特に取り立てて記するものもありませんが、だれもいない静かな自然林は、隣の工石山とはまた違った深い趣きがあります。晴れておれば、大展望ということもあって、案外、隠れファンが多いとガイドブックに書かれてあるのも肯けます。今日は残念ながら頂上付近から雨となり、展望もなく足早に下山開始、途中の休憩舎で昼食としました。よく整備されていますが、備え付けの「ごみかご」は撤去したほうがいいかも?かごがあるばっかりに、余計、ごみ散乱の原因ともなっています・・・後は雨の中、黙々と下って、青少年の家まで無事かえって来ました。

車で439号線に戻り、西に進み、郷ノ峰トンネル手前から大川村方面(高知伊予三島線)にはいります。陣ヶ森への道標もしっかりしているので迷うことはないでしょう。舗装された林道をどん詰まりまで登っていきます。途中、この雨の中、テントを張り気合いを入れながらバーベキューを楽しんでいる?パーティがあり、尊敬の視線を投げかけていきました。登山口はトイレもあって快適です。頂上までは木道が整備され10分程度の行程です。周囲は牧場で見晴らしも良く、晴れていれば大展望が楽しめるはずです。散りかけてはいましたが、馬酔木の花もたくさん咲いていました。本当にいい山で、今度来るときは、のんびりと戸矢ヶ森まで縦走したいものです。しかし、今日は偵察という事にして、記念撮影だけして、すぐに下山しました。あとは瀬戸川沿いに土佐小松に出て、要望の高かった「白滝の里」まで足をのばして、炭火焼き肉で舌鼓を打ち、さらに木の香温泉でゆっくりと汗を流しました。