梶ヶ森

[所在地]高知県長岡郡大豊町

[登山日]2002年1月12日

[参加数]4人

[概要]土佐嶺北の名峰、梶ヶ森。昔は「加持ヶ森」とも書かれ、若き弘法大師が「求聞持法」を得るために修行した道場であると伝えられている。「求聞持(くもんじ)」とは、虚空蔵菩薩の御真言「のうぼうあきゃしゃきあらばや おんありきゃまりぼりそわか」を百万遍唱えると、抜群の記憶力を得ることができるという密教の秘法の一つである。青年大師は、これに、ことのほか熱中し、従って四国では「求聞持」遺跡が非常に多い。香川の八栗寺、徳島の太龍寺などもよく知られるが、苦行の果てに高知の室戸岬において遂に大願成就したと、自伝的小説「三教指帰」には誇らしげに記されている。八合目にある定福寺奥の院も、その修行遺跡の一つであると云われ、今に幽玄な霊域の雰囲気を保っている。一方で梶ヶ森は、高知県の若き岳人達の山修行の場としても活用され、嬉しいときも悲しいときも、こよなく愛されてきた山である。現在、車道が頂上まで延び、巨大な鉄塔が乱立してやや興ざめではあるが、麓から登れば、昔と変わらない素晴らしい達成感と感動が頂上で待ちうけている。

[コースタイム]

 豊永駅(7:25)―佐賀山(8:00)―桜分岐(8:55)―竜王の滝P(9:40)―

  ―奥の院(10:30)―天狗の鼻(11:40)・・昼食・・―頂上(13:25)―

  ―仙足分岐(14:30)―大杉太田口林道(15:30)―豊永駅(17:00)

[登山手記]もう、かれこれ8年前、「山の会」の親子キャンプで訪れた夏の梶ヶ森。あのときは太田口から庵谷を経て迷いながらバテバテで登り切った苦しい記憶があります。でもキャンプ場での一夜はとても楽しく、深夜までトランプをしたり、月を眺めたりして遊んだことが走馬燈のように頭をよぎります。子供達も大きくなって就職や高校受験で山どころではなく、メンバーの多くも転勤などで四国を去っていってしまいました。ただ、梶ヶ森だけが昔と変わらず、その大きな姿で私たちを招いてくれています。 今回は、お天気も良さそうなので、のんびりと豊永から竜王の滝経由で登ってみることにしました。

 7時過ぎ、豊永駅付近の路肩に駐車してから登山開始です。登山口は、近藤スーパー付近の鉄橋を渡り、町道を少し登ったところにあります(ネイチャーハント ガイドブック参照)。「梶ヶ森登山口」と書かれているので、気を良くしながら舗装道を登りはじめると、地元の人が、「そっちじゃないよ!こっち、こっち!」と指さしたのは、畦道のような細い山道です。ここは非常に間違いやすいので注意してください。登りはじめからこれでは先が思いやられます。指導標もあまり役には立っていません。広い舗装道をそのまま進んではいけません。分からない場合は人通りも多いところなので、躊躇せず地元の人に尋ねましょう!畦道を登っていくと、民家の横をいくつか過ぎながら、次第に植林地帯に突入。以外と急登なので、最初からバテないようにペースを調整してください。途中、お地蔵様が祀ってあったので、道中安全を祈願してゆきました。ゴロゴロではありますが、よく踏まれた古い道で、昔の生活道であったことがよくわかります。30分ほど登り切ると、道は水平道となり、閑静な民家の建ち並ぶ、桃源郷「佐賀山の里」に到着です。

一気に視界が開け、朝日ものどかに射し込み、とてもいい雰囲気です。畑の間を通り抜けると舗装道に出ました。しばらくは、この道を辿っていきます。以前は指導標があったのでしょうが、今は何の道しるべもありません。帰りのため、付近の様子をよく覚えておきましょう。特に太田口から登って豊永に下る場合は注意が必要です。白い分校の建物(廃校です)を過ぎたヘアピンのところです。これを見過ごすと豊永まで延々と遠回りの町道を迂回しなければならなくなります。分校跡を左に見送ってやや登り加減の道を進むと集落を過ぎた辺り、右手に「梶ヶ森へ」の小さな道標があります。足下の踏み板にも「梶ヶ森」とペンキで書かれてありますが、行きには気づきませんでした。表示が小さいので見過ごさないよう気を配っておいてください!ここから再び山道に入りますが、畑や水田の傍らを通るところが多く、まだまだ里道といった感じで、とてものどかです。少し登りを頑張ると立派な林道に飛び出しました。これが「林道大杉太田口線」です。下山時は、頂上から太田口方面に下り、庵谷からこの林道を辿って、再びここへ還ってくる予定です。林道を横切り、指導標に従って急登を登り切ると、大きな山桜の大木のある分岐に到着。小休止にもってこいの場所です。春にはきっと素晴らしい花吹雪がメルヘンの世界のように舞い散っていることでしょう。

 桜分岐を過ぎ、しばらく水平道を進みます。道幅も広くとても快適です。なんかトロッコ道のような・・鉱山?まさかネ?と思いつつ進むと次第に水音が近づき、左のようなきれいな沢に出ました。残雪も残り、大きなつららが、そこここにぶら下がっています。このあたりで私は、黒っぽい金属光沢のある鉱石のようなものを拾いました。マンガン鉱かな?とは思ったのですが、まさかネ?とそのまま捨ててしまったのでした。ところが、帰って調べると「四国山脈」(昭和34年刊)という本に、「・・ほどなく酸化マンガンを積み上げたかたわらを通る。御荷鉾累帯の千枚岩が、この付近から秩父累帯に変わり、その珪岩にはよくマンガン鉱をふくんでいる。ここでも小規模ながら採掘したことがある・・。」と書かれてあるではないですか!あ〜、やっぱり捨てるんじゃなかった、残念!と悔やむことしきり。

 さて、右岸に渡ると道は二つに分かれます。まっすぐ行くと、沢沿いから竜王の滝に、左斜面を登ると一度、車道に出て、駐車場から遊歩道を経て、竜王の滝に至ります。私たちは道標につられて車道に出てしまいましたが、沢沿いのコースが面白かったのではないかと一寸残念に思っています。竜王の滝は、さすがに水量も多く冬でも凍り付くことのない豪壮な滝です。足下は凍り付いて滑りやすいので注意しながら記念写真を撮り合って、しばし一服しました。滝の右岸を上ると、一面の銀世界です。ここで女性軍は軽アイゼンを装着しました。積雪があっても迷うような所もなく、少し登ると「定福寺奥の院」に到着です。無人ではありますが、荒れておらず管理が行き届いていて気持ちの良いお寺です。濡れ縁を拝借して暖かいお茶で体を温めました。麓にある本山「定福寺」は新四国曼茶羅霊場61番札所の巨刹。境内からも梶ヶ森の勇姿が眺められるので、帰りにお参りして夕映えの霊峰を仰ぎ見るのも一興でしょう・・奥の院で道は二つに分かれます。まっすぐ行くと弘法大師が修行した岩窟(御影堂)を経て「梶ヶ森山荘」に至る険路です。私たちは指導標に従って、紅葉川沿いに進んで真名井の滝に向かいました。

紅葉川沿いも結構、急斜面で落ち込んでいるので、冬場は滑らないように注意が必要です。慎重に進むと「真名井の滝」に到着。ここは竜王の滝と違って、氷結していますので一見の価値充分です。傍らに不動明王をお祀りしてありました。滝の上部には写真のように鉄製の梯子を登っていきます。並んで「御鎖」もあるのですが、冬によじる方はよほどの篤志家で、一般の登山者は敬遠した方が無難と思われます。梯子を登りきって、ヤレヤレと思う間もなく、今度は頂上まで恐怖の木段地獄が待っています。其の数1400段。偶然かどうか、梶ヶ森の標高と同じ数です。最後のシゴキにも似て鍛えられます。何事も修行、修行とただ黙々と耐えていくだけです。しかし、笹原に出ると風景が一変して、剣山系の素晴らしい白銀の景色に疲れも吹き飛んでしまいました。雲一つない紺碧の空。そして天文台のある梶ヶ森山荘。全てが調和の中に整然と存在していて全く違和感がありません。ここで、くどくどと説明するのはやめておきましょう。ぜひ、ご自分の足でおいでになりお確かめください。しばらく高度を稼ぐと小ピークに到着。傍らに大日如来がお祀りしてあります。ここは「天狗の鼻」と呼ばれる石灰岩の絶壁の縁です。眼下にはゆったりとしたキャンプ場が拡がっています。8年前の夏の日が思い出されて感無量です。「♪もう〜還らない〜、あの夏の日〜♪」とワイルド・ワンズの歌を口ずさみたくなります。(ちょっと古いし、ここは渚じゃないヨ!)・・それはさておき、頂上は人が多いのでは、ということで、ここでうどんの昼食としました。ゆっくりと思い出話に花を咲かせたあと、最後の斜面を登って13:25、遂に頂上着。予想に反して誰もいない静かな頂上でした。360度の大展望。しばらく感動で言葉もありませんでした。あれが石鎚、あれが赤石、と一つ一つ同定していくと、・・遙かスカイラインの果てに大山とおぼしき山影も発見、今日の登山のクライマックスです。高知の岳人にとって、心の拠り所の山である、というのも納得です。高知だけでなく、四国岳人にとっても大切な「心の珠」となる名山です。素晴らしい梶ヶ森!また一つ、楽しい思い出が、この山に残せたことを本当に嬉しく思いました。

 名残は尽きませんが、タイムリミットになりましたので下山開始。14:00。鉄塔西側にある「太田口方面」へ下ります。しばらくは急斜面の下降ですが、麓の吉野川や、赤い薬師橋を眺めながらの楽しい道です。樹林帯には雪がありますが、迷う所もなく、快適に下っていきました。仙足分岐の道標を過ぎると大きな沢沿いのゆるやかな道。そろそろ足が痛くなる頃、立派な舗装道に飛び出しました。これが最初の「林道大杉太田口線」です。太田口方面には下らずにそのまま林道を北に辿り、鉄塔を過ぎ尾根を回り込んで、桜分岐手前のところまで還ってきました。あとは佐賀山に向かって下りてゆくだけです。忠実に来た道を戻って、17:00、やっと豊永に下り付きました。・・・「南海アルプス霊峰加持ヶ森」、この言葉は豊永駅前の古い石標に刻まれていたものです。「その通り、すばらしい山だ!」と改めて思いつつ、頂上に向かって静かに手を合わせました。