西赤石山

[所在地]愛媛県新居浜市、宇摩郡別子山村

[登山日]2002年2月24日

[参加数]3人

[概要]西赤石山を、HPで取り上げるのも何回目になるであろうか?新居浜からの至便さや、日帰りの安全登山が楽しめる数少ない山であるため、結局、「変わりばえがしないな〜。」と言いつつも選択してしまう弱さが我々にはある。しかし、今回は頂上を踏むことより大きな目的があった。それは、昨年秋、住友グループによって修復された歓喜坑を見学することである。以前の様子は1997年6月7日の写真をご覧いただきたいが、坑口の石組も乱れ、草木ものび放題の崩壊寸前の状態であった。それが今は左の写真の通り。開坑時の姿に見事に復元された。詳しくは登山手記に述べるが、この坑木一本についても昔からの言い伝えに基づいて疎かにされてはいない。さすがは住友!さすがは400年の伝統を有する日本一の鉱山師!、と喝采しながら、3人とも心から感服した次第である。

[コースタイム]

 日浦登山口(11:00)― 西赤石山(13:30)― 登山口(16:00)

[登山手記]登山前日の夜、いつものK君宅にて宴会。明日は、登山がてら新装なった「歓喜坑」を見てこよう、ということで急に話が整いました。歓喜坑は言うまでもなく、元禄四年に開坑した別子銅山の記念すべき一番坑です。現在も住友グループの聖地として不動の地位を保ち、新入社員は研修期間中に必ず訪れることになっています。新居浜市民にとっても、現在の工都発祥の原点として協力して保存してゆかなければならない重要な産業遺跡です。修復は住友グループによって昨年秋に行われました。П字の木組みは「四ツ留」と呼ばれています。住友家が江戸時代に編纂した「鼓銅圖録」にも「・・尖板(やぎ)トメ柱(とめぎ)など云ふものを用ひて、四ツ留を作らしむ。四ツ留は坑(まぶ)口なり云々」と図入りで簡潔に記されていますが、今回の修復に当たっては「鼓銅圖録」ではなく、天保時代に描かれた「別子銅山圖屏風」をモデルにしたようです。下にその図と、実際の歓喜坑の写真を併せて示しておきます。

   

 如何でしょうか?・・大山祇神の神符入れなども、そっくりそのままです。しかし、絵図だけではわからない伝統的な組み方が忠実に再現されているのです。写真ではちょっとわかりにくいのですが、K君によれば、支柱と呼ばれる縦の柱、これがなんと上が太く下が細い、つまり木が逆さに用いられているというのです!最初は何かの間違いではないかと思ったのですが、横の「歓東坑」を見ても同じく逆さまです。・・どうして??・・K君が「筏津山荘」の近藤鐵男さんに伺ったところによると「支柱はアカマツ材、それも生木しか用いない。坑口も含めて坑道内の支柱は全て逆さまである。科学的には、力がよりかかる方を太くするのは地上でも同じである。坑道では上からの磐圧が強いから逆さの方が強いのだ。また、木は下から上に水が吸い上げられている。坑道では、水は上から下に垂れるので、木の毛管現象を通じて常時、材木の水分が一定に保たれるため寿命を長くしているのだ。しかし、古い坑夫達は、木は地面から生えるものだ。地中では地面は上にあるから、木は逆さにしておかなければならないのだと言っていたという。」・・はっきり言って感動しましたネ。科学的根拠はともかく、坑夫達は経験で、木を逆さに用いた方が強く長持ちすることを知っていたのでしょうが、それを一種のタブーとして伝えて来たことに意義があります。地中は黄泉の世界。物事は全て逆です。お葬式の時、逆さ屏風だの、着物を逆さに着せるというのもまたしかりです。坑夫達が来ている「山襦袢」という着物も一種の死に装束だといわれています。日々、死に装束を纏い、坑口で逆さの木を見ることによって死を覚悟し、またそれを肯定しつつ、まっくらな坑内に入っていった・・それは自分たちが日本を支えているのだ!という自負と誇りがあったからに違いありません。たった一本の坑木に住友精神の神髄を見たような気持ちになりました。ちなみに支柱の作業は極めて重要視され、全部腕利きの一等坑夫が受け持っていたそうです。(自分達の命がかかっているので当然でしょうね)坑夫頭を「山留」と呼んだのも、厳石の落ちるのを留めるという意味からでた、とのことです。(「別子開坑二百五十年史話」)

 しばらく感動の声をあげた後、やっと銅山峰に向かって歩き始めました。登山口出発が11時のうえ、歓喜坑でしばらく遊んでしまったので遅くなってしまいました。銅山峰からは空荷で西赤石山にピストンをかけました。稜線も雪はほとんどなく、夏山の風情?!本当に最近の温暖化には愕然とするものがあります。

いくつかのコブも順調に通過して夏時間で頂上を極めることができました。やや霞んではいるものの眼下には新居浜が一望のもと。おだやかな瀬戸内海には、孤舟が遙かに浮かんでいます。いつ来ても飽きることのない世界に誇れるわが裏山です!いつまでも美しい姿を保ってほしいとこころから願っていますが、地球温暖化の大嵐はすぐそこまで迫っています。2月に山は雪もなく、桜が3月に満開となり、4月は30度近い初夏の陽気・・・世界は今後どうなってしまうのだろう?と空恐ろしくなります。もし、現世がいずれ亡び去ってしまうのなら、逆に地中に活を求めてみるのも一案かもしれません。物理学研究施設として活用されている神岡鉱山のように、別子銅山の大空間も巨大なシェルターとして利用できるかも?!核戦争に備えて一人1000万円くらいで利用予約を取って儲けるのも面白い!?SFもどきではありませんが、新居浜市民のサバイバルをかけた銅山そのものの再利用を考える時期が来ているのではないでしょうか? ・・ぜひご一考を・・・