餓鬼ヶ森

[所在地]愛媛県上浮穴郡久万町

[登山日]2000年2月25日

[参加数]3人

[概要]「餓鬼ヶ森」とはインパクトの強い名前である。地図(2万5千分図「石墨山」)を見ると、山頂付近は「子持権現」のように断崖の記号に囲まれ、登れるのだろうか?と興味をそそる。ガイドブックで紹介されることもなかったが、最近になって愛媛新聞連載の「悠々山行記」で鎖付きの信仰の山であることを知り、さっそく登ってみることにした。「コンサイス日本山名辞典」を見ると、全国では餓鬼岳、餓鬼山が、それぞれ2座認められるが、餓鬼ヶ森というのはここだけのようである。地元では「小石鎚山」と称し、頂上に権現様が祀られているが、それが石鎚権現かどうかは、はっきりしない。頂上直下にはワイヤ−が懸けられ、石鎚の鎖と同様に昇降するところを見ると、近隣の「広田総津権現」と同様のミニ石鎚信仰なのだろうが、山名との関連は不明のままである。それについては、「登山手記」で再度、考察することにする。小粒ではあるが、直登あり、ワイヤ−ありの結構辛口で、頂上から久万町一円を睥睨すれば、正に天狗になれる山である。下山後は近くの千本峠キャンプ場や千本峠で「平五郎」(ヘゴロ)と呼ばれる高温石英を拾って遊ぶとよい。透明度日本一と云われるキラキラ光る水晶がいたるところに散乱している。

[コ−スタイム]

  林道本組線登山口(10:15)―餓鬼ヶ森頂上(11:20)

[登山手記]最近、マネ−ジャ−を勤めるT氏は、鉱物に興味を持っています。愛媛の山々に登っていると、その岩石の多彩さには、ただ驚くばかりです。石鎚常住山の水晶、別子保土野のルビ−、二つ岳の鉄バン石榴石など、次第に収集物が増えるにつれて、山の会の山行計画にもその影響が出るようになってきました。困ったものです。今回の計画も、餓鬼ヶ森より千本峠の水晶や、槙の川のダト−石を狙っているフシがあるのですが、はじめての山なので文句をいわずついていきました。松山から国道33号線三坂峠を越え、少し行った明神本組から左に折れて「林道本組線」に入ります。林道は、2万五千分図「石墨山」に記されている通りに「餓鬼ヶ森」南斜面で終わっています。普通車でも林道終点まで行けるようですが、私たちは途中の「林道八野線」分岐に車デポし、のんびりと歩いていきました。少し行くと左手に山道が分かれ「餓鬼ヶ森登山口」と書かれたプレ−トがあります。山道を一登りで再び林道に飛び出しますが、此の辺りは明るい非常によく手入れされた杉林が拡がり公園のようなすがすがしさです。久万は県下有数の銘木生産地なので北山杉のように大切に育てられているのでしょう。林道は大きくカ−ブしながらどこまでも続いているようです。しばらく進むにつれて、もしかして餓鬼ヶ森を捲いてしまうのでは?という不安がつきまとうようになってきます。その不安が頂点に達する頃、救いの如く立派な山道が右手にはいっています。CLは、これが登山道に違いないと直感して、「もう少し林道を辿ってみては?」という声を無視してドンドン登っていきました。(実は林道もあと50mほどで終点になっており、そこが表参道でした。CLの直感も大したことはありません)しかし、少し登ると道は水平になり、そのまま東に向かうようになります。仕方ないので北側の急斜面を直登していきます。さきほどの北山杉林とは対照的な荒れた植林地帯を一登りで、餓鬼ヶ森の東に続く前衛峰との鞍部に到着。そのまま進路を北西に取りつつ岩場の混じる急斜面を這い上がっていきました。道はありませんが、山が小さいので方向さえ間違わなければ、どう登っても大丈夫のようです。岩場を捲き斜面を登りきると、眼前に20mほどの断崖が行く手を遮りました。これが餓鬼ヶ森の名物です。道を誤ったせいか鎖やワイヤ−も見あたらないので、そのままフリ−ハンドで登ってゆくことにしました。ホ−ルドも豊富で草付きなので、特に危険というほどもなく快適に登攀できます。登り切ると小さな祠があって、ここから一本のワイヤ−が垂れ下がっています。横に捲き道もあるようでヤレヤレ、CLはどこで道を誤ったのだろう?と一人不思議がっていました。「お前が変な山道にはいるからだヨ!」と言ってやりたかったのですが、怒るので口チャックにしておきました。しかし、ここはまだ頂上ではありません。むき出しの岩場(ここが一番恐い)をちょっとよじ登って二番目の祠があるところが「餓鬼ヶ森」山頂です。久万方面の展望は最高。北斜面を少し下ると本当の断崖絶壁があって、石墨山が雪雲を背に美しく映えていました。

 それにしても山名の由来は何なのでしょう?下山後、立ち寄った久万町立図書館で「久万町誌資料集 昭和44年刊」という本に次のように記されているのを見つけました。「・・餓鬼ヶ森も、行者が修行のため訪れ、数日、あるいは数ヶ月を過ごして立ち去り、また次の者がやってきて修業したものと思われる。これらの行者の挙動が不審であったり、それに恐怖をいだいたりしたことや、ある時は婦女子が連れ去られたりしたために、鬼が住む危険な所であるといわれ始めたものであろう。これが山の名となり、餓鬼ヶ森といわれるようになったにちがいない。」・・本当にそうでしょうか?私はガケがある山だから「ガケヶ森」!これが訛ったのでは?と単純に考えましたが、さすがに、みんなに笑われてしまいました。T氏によると、「ガケ」という言葉は案外新しいもので、古くは「ホキ」とか「タキ」とかになるのだそうです。ふ〜ん、難しいものですね。皆さんにも、なにかいい考えがあったら教えて下さい。お願いします。

ひとしきり、議論した後、名残惜しく下山。ワイヤ−を伝って降り、赤テ−プに導かれて立派な山道(ちょっと皮肉な言い方です)を下っていくと10分あまりで林道終点に立ち至りました。50mほどで、登山時にCLが選んだ、あの山道分岐を通り過ぎます。しかし、CLはワザとあらぬ方向に顔を向けたまま口笛を吹きながら通り過ぎてしまいました。まあ、楽しい登山だったから許してあげましょう。あとはのんびりと車デポまで来た道を引き返していくのみです。車上の人となり、砂防ダムから東を望むと雪花の舞う中に、餓鬼ヶ森が毅然と聳え立っているのが印象的でした。午後は、T氏の希望で「千本峠キャンプ場」付近で、高温石英を拾って遊びました。高温石英とは、573゜c 以上の高温条件下で生成される水晶で、ソロバン玉のような形をしています。雲仙普賢岳で悪名高い、あの火砕流の中で作られる事が多く、現に、ここの水晶も「高野火砕流」という石鎚火砕流の地層に属しています。そして日本一の透明度を有することでも有名だそうです。キラキラ光る水晶が地面のあちこちに散乱しているのには、さすがに感激しました。地元の女の子などは一日に数百個拾って遊んでいるのも珍しくないそうで、私たちも寒さも忘れて水晶拾いに熱中してしまいました。キャンプ場脇の赤土露出面が穴場です。皆さんも、たくさん拾ってお土産にされては如何でしょうか?