[所在地]愛媛県小松町〜丹原町〜面河村
[登山日]1997.9.20
[参加数]4人
[概要]丹原町保井野からの正攻コ−ス。しばらく放牧地跡の柵沿いを進むと相名峠への分岐がある。「相名の峠や、人どうや・・」と歌われた梅ケ市への旧道も廃道同然だ。三紀層の礫岩の露出する沢を渡り、堂ヶ森の支尾根に取り付くと、あとは稜線まで急登、急登の連続である。途中、水場があるのは本当にありがたい。稜線から頂上までは笹原の一本道だが、苦しくて長く感じる。堂ヶ森の頂上は反射板の真下である。立ち枯れの目立つ東斜面をゆるやかに下り、ふたたびゆるやかな登りを進むと五代の別れに達する。二ノ森までワンピッチ。目前に見える頂上を目指して喘ぎながら登り切ると、雲湧く裏石鎚の壮大な姿がわれわれを待ち受けている。
[コ−スタイム]
保井野(7:00)―から池(8:40)―稜線(9:50)―堂ヶ森(10:30)―
―五代の別れ(11:55)―二の森(12:25)―堂ヶ森(14:05)…昼食…
―発(15:30)―から池(16:30)―保井野(17:30)
[登山手記]から池付近に岡山理大生の遭難碑があり合掌。水場から急登し一気に笹原となり、右前方面河ダム、正面明神山、左前方堂ヶ森の視界もよく10:30反射板の頂上に着きました。以前12月頃来た時、あと2〜3分で反射板にたどり着く所まで来ていたのに、視界全然なく、やむなく撤退したのが鮮明に思い出されます。あの時は猛烈な寒さで髪にも霧氷ができ、鼻毛も凍っていました。雷も鳴っていたように思います。今考えても天候の怖さを思い知らされます。それに比べると今日は天国のようなのどかさです。堂ヶ森は白骨林が林立していて、二の森への途中は笹原の中、リンドウの小群落があちこちにみられ私たちの目を楽しませてくれました。山内小屋は見るかげもなく荒廃していましたが、白石小屋は修理がなされていて宿泊は充分可能のようでした(有料です)。笹原の一本道を進んで、五代の別れを過ぎると二の森はすぐそこです。頂上ではいつも見慣れている石鎚山が逆に見え、反対側からみる石鎚山もなかなかよかったです。いつも思うのですが、五代のわかれのピ−クに名前がないのは寂しいと思います。”中の森”とか”三の森”とかいろいろ呼ばれてはいるようですが…昔からの名前があれば、ぜひ教えていただきたいと思います。二ノ森に劣らない立派な山容をしているのに名無しではかわいそうですよネ。高瀑への林道から仰ぎ見ると見事な三角錘で、二ノ森より見栄えがするほどです。