我拝師山

[所在地]香川県善通寺市

[登山日]1998.9.23

[参加数]3人

[概要]讃岐を代表する名山中の名山の一つ。標高481mに過ぎない低山ではあるが、弘法大師、西行法師、道範阿闍梨をはじめ、そうそうたる歴史上の逸話を持ち、近年に至っては、往年の山岳連盟会長、武田久吉博士も善通寺の背後に巍々と聳えるその端麗な容姿を絶賛したという。登山道は、四国霊場第73番札所の出釈迦寺から整備されている。つづら折れの参道を20分ほど登ると、立派な山門が現れ出釈迦寺の奥の院である”禅定寺”に到着。本堂、鐘楼、庫裏、粟島堂などの伽藍が岩場の上に建立されている。本堂の裏手が、7才の弘法大師が身を投げたと伝えられる”捨て身禅定”の遺跡である。鎖場を交えた綺麗な岩場で展望も良く高度感も素晴らしい。岩場の南側は50mほどの断崖を呈しているが、特に危険というほどの箇所もなく、ゆっくりと登ってゆきたい所だ。これを登り切るとゆるやかな灌木帯に入り、奥まったところが我拝師山頂上である。展望は残念ながら無いに等しい。

[コ−スタイム]

 出釈迦寺(7:30)―禅定寺(8:00)・・・発(8:10)―我拝師山頂(8:30)

 

[登山手記]本当は東赤石を北斜面から攻めてみよう、と意気込んでいたのですが、雨の上に欠席者が続出してあえなく中止。おじさん一人と麗しき乙女?二人が取り残されてしまいました。せっかく出て来たんだからどこかにつれて行ってよ!と迫られて急遽、思い立ったのが我拝師山と讃岐富士のダブルハイクでした。高松自動車道を善通寺付近走行中、右手を注意しながら見ていると山と山の鞍部に大きな屋根が認められます。夜には明かりが点っていることもあって郷愁を誘いますが、それが禅定寺(出釈迦寺奥の院)です。弘法大師が7才の時、衆生救済の大任が果たせるかどうか試そうと思い、ここの岩場から身を投げたところ、お釈迦様が現れて大師を受け止めたという伝説を有しています。後、西行がはるばる訪れて「めぐりあはむことの契ぞたのもしききびしき山の誓見るにも」などの歌を残したことが「山家集」に詳しく書かれていて、歴史、品格ともに第一級の名山です。まず、お遍路さんに混じって出釈迦寺に参拝して、寺の裏手の一本道を登りはじめました。どんよりと曇って蒸し暑く、すぐに汗が吹き出てきましたが、見上げる山上の断崖が雄大で登高欲をかきたてます。つづら折れの広い坂道を喘ぎながら登ってゆきますが、途中水場もあってお地蔵様も賑やかです。ワンピッチで禅定寺着。立派な本堂は、とても山中とは思えない大きさです。これが一枚の岩盤の上に建てられているのですからさらに驚きです。屋根からぶらさがっている太い鎖は建物が風に飛ばされないようにするためだそうで、これだけの建造物を保ってゆくためには並々ならぬ苦労が偲ばれます。さて、本堂の縁の下にあるトンネルを抜けると鎖場に出ますが、綱が張られ「通行はご遠慮ください」と書かれています。「え〜。登れないの。」「いや、ご遠慮くださいということは、禁止ではないわけだ。」などと屁理屈をこねていると、お寺の人が出てこられて「2,3年に一度、岩の崩落があるので、注意してお参りください。」と言ってくれたので喜んで鎖に取り付きました。(本当は、朝早くからうるさい奴っちゃ、と思われたのでしょうけどもネ・・)岩場は標高差50mほどもあるでしょうか?鎖場もべつにどうってことはないものですが、振り返ると遠く三豊の山々が見渡せて展望もすこぶる良好です。急斜面ですので高度感もあって弘法大師の伝説を偲ぶのに充分な雰囲気で、真に感動してしまいました。それが西行法師と同じ感動なのだと思うと、さらに喜びは百倍というものです。ゆっくりと登り切ってしまうと、頂上は樹林帯の中で蜘蛛の巣だらけのうっとうしさでしたが、岩場の満足感に浸りながら下山してゆきました。

 

讃岐富士(飯野山)

[所在地]香川県坂出市、丸亀市、飯山町、宇多津町

 [概要]なんと言っても、讃岐を代表する名山で古来より多くの歌に詠まれ、周囲の学校の校歌にことごとく歌い込まれるなど、この地方の人々がもっとも大切にしている象徴の山である。登るよりは眺める山の感が強いが、登山道も多くの方向から整備されている。今回は飯山町からのジグザグ道を用いたが、展望のない単調な登りの連続はやや面白さに欠く。やはり丸亀市野外活動センタ−からの周回コ−スが一般的ではあるが、よりキツイだけに自虐的な登山者にはうってつけのコ−スであろう。登山口は県道18号線沿いのディックの裏手にあって、登山者専用の駐車場には感激!道標類も万全である。頂上には薬師堂が鎮座し昭和天皇の立派な歌碑が迎えてくれる。「おじょもの足跡」はほんのご愛敬だが、これが古代の巨石記念物(ドルメン)かどうか、という議論になるとおもわずハマりこんでしまう。

[コ−スタイム]

 駐車場(10:45)―山頂(11:50)・・昼食・・発(12:40)―駐車場(13:20)

[登山手記]我拝師山を下ってからの登り返しで、ちょっとキツかったけど、擬木を用いた階段やテ−ブルなどが整備され快適な登山でした。9合目付近で野外センタ−からの登山道を合わせて、のんびりと頂上到着です。お参りしてから、南に少し下ると「おじょもの足跡」があります。おじょもとは、巨人のことで「昔、讃岐富士と双子山に足をかけて小便をしてできた川が土器川」だそうですが、それにしては小さな足跡ですよね。ここからの展望はさすがに最高で天気がよければ剣山がきれいに見えるそうですが、残念ながら今日の天気ではそれを想像するしかありませんでした。それにしても讃岐富士とはよく言ったものです。この「サヌキ」ということばも「山を愛でる」という意味で美しい山々を賞賛して国の名前となったそうで、さもありなんとうなずけます。このような円錐型の山は「ビュ−ト」と呼ばれ、この近辺の山々の特徴になっています。語源はフランス語の「目標、独標」だそうですが、わたしは「ビュ−トフル」かと思いました。そう受け止めてもおかしくない美しさが讃岐の山々にはあります。最後に、この名山を詠んだ名歌の数々を知ったかぶりしてちょっと紹介しながらおしまいにしたいと思います。(知り合いから教えて貰ったものですが、さすがは讃岐富士!とおもわず叫んでしまいました。)

 暁に駒を留めて見渡せば 讃岐の富士に雲ぞかかれる    摂政宮(昭和天皇)

 讃岐にはこれを富士とは飯の山 あさげのけむりたたぬ日ぞなき  伝 西行

 かめやまに秋の日にたちて さぬき富士よきかたちしてまなかひにあり  佐佐木信綱

 玉藻よし讃岐の富士にほのぼのと 横雲なびくあかつきの空  斉藤茂吉

 人皆は今を春辺と飯比古の 山のしら雪かすミたなびく  小林一茶

 稲むしろあり飯の山あり昔今  高浜虚子