子持権現

[所在地]愛媛県西条市

[登山日]1998.10.10

[参加数]4人

[概要]子持権現の登山は、瓶ヶ森林道から大鎖をよじって一気に山頂に至るのが一般的であるが、今回は”子持懸け”または”ホンガケ行”とよばれるシロジ谷方面から連続する5ヶ所の鎖場を経て山頂を極める直登ル−トを紹介する。石土山石中寺派が大正14年に600人の信者を動員して開拓したと伝えられる行者コ−スだけあって、石鎚山に勝るとも劣らない巨大な岩壁に懸かる”お鎖”は正に圧巻である。登山道は鳥越からはじまる。鳥越から急坂の取り付きまでがもっともわかりにくい。沢に下って対面の急斜面を適当に這い上がるとしっかりした山道が見つかる筈である。山道さえ見つかれば、あとは山頂まで迷うことはないであろう。アルミ製の標識やロ−プ、ワイヤ−などもおおいに手助けとなる。ただ、入山者の少ない樹林帯の岩場は苔や湿気で滑りやすく危険性を伴っている。「通行止め」の標識とも相まって、しっかりしたCLのもとで、あくまでも自己責任で登って行かなければならない。

[コ−スタイム]

 鳥越(10:50)―一の鎖(12:50)―二の鎖(13:10)―三の鎖(13:20)

 ―四の鎖(13:30)―五の鎖(13:45)―子持権現頂上(14:25)

[登山手記]このコ−スは、昭文社「山と高原地図・石鎚山(松長晴利先生調査、執筆)」にあった一文「・・鳥越えから子持権現山へ登る道があるが、鎖のかかった岩壁やピ−クの連続である。」で知り、「いつかは登ってみたいね〜。でも、いまでもあるのかな?」と秘かな憧れを燃やしていました。実際に2万5千分図には、鳥越から子持権現への道が記され、昭和39年発行「四国路の旅」(松長先生著)の詳しいコ−ス説明を読むに及んで、5ヶ所の鎖場を有する石鎚山並の素晴らしい直登ル−トであることを認識しました。でも、昭和39年というと、もう30年以上も前の話です。小さな鎖だと錆び付いて切れてしまっているかもわかりません。登っている途中で切れたら大きな事故になってしまいます。途中で引き返すにしても、岩壁の下りはさらに困難になるかもしれません。茶話会で何度も検討して、ロック経験者をCLとする、とりあえず鳥越までは最短ル−トを採る、ザイルを携行して懸垂下降に備えておく、できるだけ軽量化に努める、危険を感じたらとにかく中止する、などを取り決め10月10日、実行に移しました。瓶ヶ森林道を通って9時に瓶ヶ森駐車場着。瓶壺から西の川道を下って鳥越まで到達するという、できるだけ体力を温存させる作戦です。天気は薄曇りで寒くも暑くもなく最高のコンデションで、順調に10時40分に到着。すでに多くの登山者が憩っていました。鳥越岩脇の問題の「通行止め」標識を過ぎると急斜面の植林地帯で道らしいものはありません。強引に横掛けしてゆくと100mほどで植林は切れ、その向こうは藪のようです。ふと下の方を見ると木標がかかっているのが見えました。急いで下りて行くと「平兵衛岩へ」と書かれています。周囲を見ると青テ−プが巻かれているので、その方面に進みますがほどなく道らしいものは無くなってしまいました。手分けして周囲を探しましたが一面の藪のようです。ここで30分以上費やし、進退極まってしまいました。「やっぱり道は残ってないのか・・・。」失望の色が濃くなります。とりあえず沢の音が聞こえる方に行ってみようと斜面を下りて行くとすぐ綺麗な沢に降り立ちます。向かいの急斜面を這い上がるしか方法はなさそうなので、灌木や木の根にすがって20mほど登って行くと、突然しっかりした山道に飛び出しました。「因島光明寺石峰団」と記されたアルミ製の道標もあって、子持権現への登山道に間違いなさそうです。ヤレヤレです。今までの緊張感がとれてゆっくりと休憩してゆきました。右手に進んで行くと小さな水場があって、その向こうに「子持権現へ」の道標が見えます。ここからいよいよ直登が始まります。古びたロ−プやワイヤ−が固定されていていやが上にも心が引き締まってきます。シャクナゲの多い急斜面を喘ぎながら1時間ほど登って行くと、突然、目の前に、垂れ下がっている太い鎖が現れました。一の鎖です(38m)。石鎚山のものと同じくらいの太い立派な鎖で、しかも一本一本丁寧に溶着処理されていて半端ではありません。みんな信じられないような面もちでしばらく唖然としていました。鎖が腐ってしまっているのでは・・という不安は払拭されてしまいましたので、そのまま登って行くことにしました。しかし、岩場は苔が生え、落ち葉がたまって、滑りやすいので細心の注意が必要です。登りきって少し行った右手の岩場を回り込んだ所に絶好の展望所を見つけて行動食の昼食を摂りました。1000m一気に落ち込んだシロジ谷の向こうに聳える石鎚山の勇姿は忘れがたい神々しさでした。ここから二の鎖場はすぐの所です。20mほどですが足がかりのない湿った岩場は腕力で登って行かなければなりません。CLの登っている後ろ姿を見ているととても真似できそうにありません。ふと見ると横の斜面にワイヤ−が見えエスケ−プル−トがあるので、残りの3人は鎖をパスしてしまいました。「ひどいな−。みんなついてくると思ったから必死で登ったのに・・」とCLが独りボヤいていましたが、鎖を登り切ったところが、「小剣山」と呼ばれる小ピ−クで石仏が祀られています。エスケ−プした連中は、それを見過ごしてしまい、後から悔やむことしきりでした。ピ−クから向かいの岩壁にかかる第三の鎖(17m)までキレットのようなところを過ぎますが、小剣山から第三の鎖まで一本の太い鎖が40mにわたって連なり、キレットの上では鎖が中空に浮かんで、なんとも奇妙な光景です。キレットも小さなものですが、両側は垂直に深く切れ落ちてスリル満点で歓声をあげてしまいました。落ち込めばまず命はないでしょう・・。第三の鎖も快適に登攀して、紅葉を見ながらのんびりと休憩です。

 第四の鎖は36mですが、ル−トの鎖の中でもっとも見栄えがします。日当たりの良いすがすがしい岩場です。右手には子持権現の南西側を支配するフェ−ス状の切り立った岩壁が見え思わず身震いがします。左手も断崖絶壁が続いており、この鎖を登るしかないのだ、と改めて心に言い聞かせます。この辺の岩は第三紀層の礫岩で、小さな凹凸しかなく、石鎚山の安山岩のゴツゴツした感じとはちょっと勝手が違っています。滑らないように注意しながら一人一人登ってゆきました。ふと見ると、鎖の最上部は一本の太い樹の幹に巻き付けられているのですが、その樹はすでに枯れてしまっています。幹が腐ってしまうと鎖も落ちてしまうのではないかと心配です。鎖を他の所に巻き直したいのはやまやまですが、私たちの力だけではどうしようもなく、再び宗教の力を借りるしかなさそうでした。続いて第五の鎖(33m)は、再び灌木帯のジメジメした場所に懸かっていて細心の注意が必要です。両側とも鎖を使わなければ登れないような急傾斜でエスケ−プは不可能です。最上部は特に足がかりも悪く腕力を頼らなければなりませんが、幸いにもここだけは横の斜面に逃げることができました。2人はそちらへ逃げてしまいましたが、さすがにCL(S.W.氏)だけは全ての鎖をクリアして惜しみない賞賛の声を浴びました。この鎖を過ぎると笹の生い茂るきれいな林で、その中をまっすぐに一本のワイヤ−が延びています。これに沿って喘ぎながら登って行くと次第に傾斜が緩くなって、ひょっこりと蔵王権現をお祀りしている岩窟に飛び出しました。遂に”子持ち懸けル−ト”を達成したのです。岩窟には一升瓶をはじめ多くのお供え物があって、今も神聖な雰囲気を保っていますが、”男根”の木型があるのは、ちょっといただけなかった。それでも、ゆっくりとお参りしてから、回り込んだところがあこがれの子持権現頂上です。展望も最高ですが、長い間、夢見ていたル−トを完登した新鮮な喜びで、何度も「快哉!」を叫びあいました。そして、このときばかりは、大いに天狗になって、休んでいる多くの登山者に「みなさんは、子持懸けル−トを知っていますか。」と誇らしげにそんな質問を投げかけてみたい心境でいっぱいでした。

 

 注意:松山市 大野様の情報によると1999年10月現在、二の鎖付近の山腹が大規模に崩壊し危険な状態になっているとのことです。ザイルを携行していても撤退を余儀なくされたようで通過不能と思われます。アプロ−チされる方はくれぐれも注意し無理されないようお願い申しあげます。由緒ある登山道がこのまま廃道となってしまうのかと思うと空しさがこみ上げてきます。かえすがえす残念です。