[所在地]愛媛県新居浜市〜宇摩郡別子山村
[登山日]1999.2.6
[参加数]2人
[概要]新居浜市の真南に聳える西赤石山。銅山峰から東赤石山にかけての稜線は、市民のハイキングコ−スとして整備され、伊藤玉男氏のガイドブック(えひめの山旅 赤石の四季)で勉強していくと、さらに楽しさ百倍である。今回のコ−スは鹿森ダム湖畔の「遠登志」から第3通洞を経て銅山峰東側に至るもっとも一般的なル−トを辿った。昔から別子銅山の「中持道」として使用された歴史的な道で、分県登山ガイド「愛媛県の山」に詳しく紹介されている。稜線に出るとあとは頂上までの一本道。登るにつれて石鎚山をはじめ名だたる四国アルプスの大展望と、北側ののどかな瀬戸内海の見事な調和の風景を楽しむことができる。今年は暖冬による雪不足で容易に頂上を極められたが、例年、この時期の登山は深いラッセルを強いられることも多く、完全装備とビバ−クの心構えは常に必要である。
[コ−スタイム]
遠登志(6:40)―第3通洞(8:10)―ヒュッテ分岐(9:45)―稜線(11:00)
―西赤石山頂上(13:00)
[登山手記]朝早く起きて、外を見ると空は見事に晴れ渡っていて、これから登る西赤石山のピ−クが淡いモルゲンロ−トに染まり、思わず嬉しさがこみ上げてきます。登山口まで車で30分程度と近いのもありがたく、新居浜は本当にベ−スキャンプとして恵まれた環境を有していると思います。ただ、最近は参加数が少ないことだけが気にかかります。今回も先月と同じ2人だけとは寂しいかぎりです。それでも意気揚々と遠登志を出発して赤い鉄橋を渡ると、しばらくは喘ぎながらの急登が続きます。つづら折れの林道と、それを串刺しにしている近道の石段道が交錯していますが、どちらを採ってもシンドさは一緒で「エネルギ−変化は道筋によらない」という物理法則が今更ながら思い起こされます。しばらく我慢すると小女郎川の廊下に沿う水平道に移行します。ここからは今から登る雪の銅山峰が朝日に輝いてとても綺麗でした。川筋もところどころ氷結して寒々と厳しい様相を呈しているので滑らないように注意して進みます。渓が浅くなってくると鉄橋があって東平との分岐です。通の人は「ペルトン」(ここにあったペルトン水車にちなむ)と呼ぶそうです。橋を渡ってゴロゴロの山道を辿ると立派な発電所の煉瓦造りの建物が現れ、広々とした第3通洞の広場に到着です。雪がほどよく積もり、誰もいないシンとしたすがすがしい朝の静寂があたりを支配しています。ゆっくりと休憩してゆきました。通洞の横からいよいよ本格的な山道となります。コンクリ−トの簡易舗装を過ぎ木橋を渡ると柳谷にさしかかります。雪はしっかりと踏みしめられていて問題なく順調にヒュッテの分岐にさしかかりました。ここから東山に至る稜線までの200mの登りは一番苦しいところで何回来ても好きになれません。おまけに北斜面の雪の吹き溜まりで、昨年は太股を越すラッセルを強いられ単独であったこともあり稜線まででギブアップしてしまった苦い思い出があります。しかし、今年は本当に雪が少なく何の問題もありません。登るにつれて北側の展望が開け、朝日に白く輝く黒森山の勇姿が特に印象的で「さあ、頑張るぞ!」と自分に言い聞かせたとき、「ごめん。今日は足が痛くて。私、もうここでいいわ。」と横の彼女がきっぱり言ってくれるではないですか。「え〜。冗談じゃないよ。これからがこの山の醍醐味じゃないか。荷物持つから、もう少し頑張ろうよ。」となだめ透かして、空荷で、ということでやっと前進を再開してくれました。ヤレヤレ。
それでも稜線に沿って歩を進めると、登るにつれて周囲の山々が次第に見渡されるようになり、西の沓掛と笹ヶ峰の吊り尾根から、見事なまでに均整のとれた石鎚山がひょっこりと顔を出し始めると彼女も元気を回復したようで口数も多くなり安心しました。それと日の浦方面から登山者が2人登ってきたので精神的にも少し楽になったのでしょう。ところが荷物が重くなった私の方の歩調が今度は鈍ってきました。西赤石山山頂までダミ−のような小ピ−クが2,3個あるのですが、あそこまでだ、と頑張って登ると再び前方にさらに高いピ−クが聳えているといった具合で、慣れた道ではあるのに「こんなに道のりが長かったかな〜?」と次第に焦燥感が強くなってきました。しかしお天気は最高で雲一つありません。風も弱く岩場の雪はすでに溶け始めていてアイゼンもまったく不要であったので本当に助かりました。最後の岩場を注意して回り込み、ウンウン言いながら急斜面を登り切ると、あこがれの西赤石山頂上に到着です。13時でした。「お疲れさま!」先に着いていたご年輩の夫婦に気軽に声をかけられ荷物を下ろして一息ついていると、「それではお先に。」と足早に下っていってしまいました。「元気でうらやましいね〜。」とちょっと自分たちの情けなさを感じつつ、しばらくボ−としていましたが、誰もいなくなった山頂はあくまでも静かで白銀の峰々が遠く輝き、山に登って本当によかったなあ、とつくづく感じる至福の時です。そんな心地よい疲労感はさらに睡魔を誘ってしまいますが、寝てしまっては大変なので、お互い感動もそこそこに、気を引き締めなおしてカップラ−メンを手短に摂りながら周囲の風景を楽しみます。北を望むと新居浜市が一望の下で、双眼鏡を使うと労災病院まではっきり認識できます。南には笹ヶ峰から平家平、大座礼山にかけての予土国境の山々と空の果ての稲叢山、そして東には物住の頭を経て東赤石山に続く一筋の縦走路が限りない憧れを私たちに与えてくれます。いつの日か、またじっくりとそんな山々に向かって冬山縦走をしてみたいもの・・・としばらく静かにそのスカイラインをみつめていました・・・。
名残りは尽きませんが、タイムリミットになりましたので、14時、山頂を後にしました。途中、頂上でテントを張るという巨大ザックの単独登山者と行き違い、上には上があるものだとその逞しい後ろ姿を羨望の眼差しで見送りました。あとは来た道を忠実に引き返してゆくのみです。第3通洞くらいから足が痛くなりはじめ、最後の石段道はもう棒のようになって音を上げてしまいましたが、17時半になんとか遠登志の車デポまで戻ってきました。そしてこの山の大先達である「中持衆」の銅像の前で記念撮影してお互いの完登を喜び合いました。