黒滝

[所在地]愛媛県宇摩郡別子村

[登山日]1999.3.6

[参加数]3人

[概要]黒滝は、黒岳から別子村保土野付近で銅山川に流れ込む「保土野谷」の上流に位置している。付近は赤茶けたカンラン岩の断崖絶壁に囲まれ、その壮絶な景観は保土野集落からもはっきりと認識できる。この断崖は「殿ヶ関」と呼ばれ、平家の落人がここを越えてさらに奥地に進んでいったという別子発祥にちなむ秘話を秘めている。なにも、こんな悪場を通過しなくても・・とは思うが、それがまた悲話となって我々の胸を打つ。今回用いたル−トは一般的ではないが、床鍋からりっぱな道が黒滝まで付けられている。保土野集落の上手にある堰堤から左岸に沿う細道を遡行してもよい。黒滝はアメゴ釣りの穴場で入山者も多く道は常に改修されている。ここはまた、ルビ−の産地としても知られているが、今回の山行の本命はむしろルビ−であって、黒滝は単なる付け足しであったかもしれない。滝に対して申し訳なく思っている・・・。

[コ−スタイム]

 保土野(10:10)―13番標識(床鍋道)―黒滝(12:40)・・昼食・・発(14:00)

  ―ガレ場(14:15)・・ルビ−探し(沢沿いに本流へ)・・―堰堤(16:00)

 

[登山手記]地元にルビ−が出る!地学のガイドブックや別子村の案内書にはそう喧伝されています。どんなものだろう?と興味をそそられます。まさか映画「ビルマの竪琴」で中井貴一が手にしているような巨大な深紅の宝石ではないでしょうが、本屋さんで資料をあさっていると・・ありました。「ポケット図鑑 日本の鉱物」(成美堂出版)に綺麗な写真付きで紹介されています。しかし「なに、これ?」というのが正直な第一印象でした。なめるようにして写真を何回も凝視するのですが、どう色合いを表現したらいいのかわかりません。結局、実際にモノを見なければ、やっぱりダメだね!ということになって今回の計画となりましたが、ちょっと無謀すぎたかもしれません。いままで別子のルビ−がどのような状態で存在しているのか勉強もせず出かけたのですから。その辺の足下に転がっているものとばかり思っていました。唯一の頼みの綱は、保土野にある「別子ふるさと館」でその原石を見ることでしたがあいにく閉館中でどうしようもありませんでした・・・。

 この計画をスム−ズに押し進めてくれたのは会員のK君です。彼の実家が保土野にあるからです。あらかじめ役場の同僚に相談してだいたいの散布地域をつかんでくれていました。前の夜はその実家に泊まらせていただき、お父さん、お母さんも交えて大いに談笑。大変、楽しいひとときを持つことができました。「ルビ−?そんな話は聞かないな〜。あの辺はウチの土地だがカンラン岩の痩せ地で雑木しか育たないのよ。そんな物が出るとなると宝の山だな。見つけたら見せておくれ。だが、マムシが多いから気を付けないと。特に、あそこのはサワハミといって普通のヤツより毒が数倍強いから恐ろしいのよ。」地元でもルビ−のことはあまり知られていないような口振りで、ちょっと心細くなりましたが、ええい、なんとかなるだろうと囲炉裏の火もトロトロとなる頃、シュラ−フにもぐり込みました。明るい静かな月夜で遠い沢の音だけが心地よく、すぐ夢路に誘われていきました。

 翌朝はゆっくりと起床しておいしいみそ汁を戴いた後、まず「別子ふるさと館」裏のセッタイ淵を見学。深い濃紺の淵は神秘の色に包まれて、いまなお原始の姿を保っていました。そのあと山の中腹にあるK君の山小屋を拝見してから尾根沿いに黒滝に向かって登り始めました。道はないに等しく灌木帯の中を直登してゆきます。登るにつれて左手には見事な赤松林が拡がり、秋になるとさぞマ〇タ〇が採れるだろうなと想像を逞しくします。少し疲労を覚える頃、突然、立派な登山道に飛び出しました。「13番」と書かれた立派な標識があり、住友林業との境界だとK君が教えてくれました。私たちが登ったル−トは一般的ではなく、この立派な道は床鍋から続いているそうで、黒滝へは床鍋から上がるのが一番良いと思われます。さて、ここから道は水平道に変わりずいぶんと楽です。K君が「もう少し行くとポリタンクと呼ばれる場所です。」と言う。なんだ、そのポリタンクというのは?と怪訝な気持ちで進むと本当に道の傍らに古いポリタンクが固定されていました。実はシシ猟の仲間内で用いられる場所確認のための地名だそうで、他に「ノコギリ」とか「ぼろぎれ」とかいろいろあるそうですが、実際のノコギリがなくなっても地名として定着しつつあるものもあって、地名の起源を考える上でとても面白いと思いました。しばらく尾根を回り込みながら行くと大きなガレ場に出ます。大きな岩がゴロゴロしていますが、このあたりがルビ−採取に一番適している所だそうです。あとでルビ−を探しながらガレ場を下ることにして、まず黒滝に行って昼食を摂ろうとガレ場を突っ切って進みます。少し登ると鎖の渡された岩場がありますが真新しい張り板も整備され、なんの問題もありません。岩の中から水がほとばしり出ている変わった泉もあります。「鈴木の水」と呼ばれているそうです。鈴木さんとは役場の方で、この泉を発見、宣伝されているということでした。そうこうしていると水音が近づいてきて正面に50mはあろうかと思われる白骨木の林立する断崖が見え、沢に到着です。道もここで終わっています。ここは黒滝の上部にあたっていて滝自身は見ることができませんが、保土野谷の本流だけあって雪解けの豊富な水が耳を聾しながら流れ落ちてゆきます。岩伝いに少し下りるとフキノトウがたくさん芽吹いていました。岩の上でゆっくりとラ−メンの昼食。深山幽谷の感が強い所ですが、アメゴ釣りのメッカでもあり結構、人の往来があるとのこと。しかし今日は一人も会うこともなく静かなひとときを過ごすことができました。

 のんびりとして、ふと時計を見ると午後2時、「ルビ−探しをしなければ・・日が暮れてしまう。」とたちまち慌ただしく出発。さきほどのガレ場に戻って、これを下りて行きます。下の方がどうなっているのか不安ですがルビ−に目がくらんだ人間には何を言っても無駄で、ズンズン下ってしまいました。ガレ場にはカンラン岩や角閃岩、結晶片岩が入り乱れ、確かに宝石が見つかりそうな雰囲気で、ところどころ人為的に石が積まれているところもあって、ルビ−探しの先人がいることがわかります。血眼になって、あっちの岩陰、こっちの転石と探しますが、それらしいものはありません。「ないな〜。一個でもいいから、この眼でみたいな〜。」と欲の皮をさらけ出すのですが、やっぱりありません。後日、「会員の声」コ−ナ−で書こうと思うのですが、岩石をハンマ−で割って調べないとダメで、風化した岩の表面を見ただけではわからないそうです。また、ルビ−を包埋している母岩の「灰簾石」や「五良津角閃岩」の特徴を理解しないと絶対に見つかるようなものではないそうで、あまりにお粗末な宝探しであったといえるでしょう・・。しばらく下りるとガレ場は、思ったとおり沢となって水が流れるようになります。滑らないように下りて行きますが、もうルビ−どころでは無くなってきました。ガレ場から一枚のスラブに変わり沢筋をこれ以上下れないところに至りました。右岸の斜面に逃げながら捲いていきますが、日はすでに西に傾き、谷間は早くも薄暗くなりつつあります。とにかく保土野谷の本流に出ようと、沢に並行する荒れた植林帯の倒木を乗り越え乗り越え、のどをカラカラにしながら進んで、やっとのことで大きな沢に下りきりました。K君は沢に下りてしまうと滝が恐いからと、尾根筋を進むことを主張しましたが、私にもうその余力もなく、沢を飛び石伝いに下りて行くとラッキ−にも保土野集落上手の堰堤にほどなく到着しました。帰れてよかったと思うと同時にルビ−探しも、何の成果もなく終わってしまったのだな、と空しさがこみ上げてきました。私は、なお未練がましく、その辺の河原の石をあさっていましたが、「もう、あきらめましょう。」の声にトボトボとK君宅に向かって歩み始めました。家に着くとお父さんがニコニコしながら出てきて、「お疲れさん。ルビ−は?やっぱり見つからなかった。また今度、挑戦すればいいよ。」と、暖かいおソバをごちそうしてくれました。その、おいしかったこと。本当に涙がでるほどおいしかった。ルビ−こそ見つからなかったですが、K君一家と楽しい一日を持てたことは何者にも代え難く、何度も感謝しながら夕映えの保土野を後にしました。