[所在地]愛媛県西条市
[登山日]1999.5.5
[参加数]2人
[概要]東の川から菖蒲峠に登り、菖蒲尾根を縦走して瓶ヶ森に至るコ−ス。「西条誌」にも「・・これを登れば、いわゆる菖蒲峰にて、荒川山と東之川との境なり。右に行かば東之川山、右に上れば、御滝竈、竈が森等を経て、瓶が森の絶頂に至るなり。」と記される古い道である。菖蒲尾根上部は笹が生い茂り、ブナやダケカンバの大木が散在して静かな山旅を楽しめるが、道は次第に不明瞭になりつつある。赤テ−プも色あせて心許ない。特に、2万5千分図の二千石原への水平道移行部はわかりづらいので注意が必要である(新しい赤テ−プを巻き直しておいた)。しかし、昨年秋におこった例の3人組遭難騒動によってヒュッテの分岐にはロ−プが張られ「通行止」標識が設置されたので、もう廃道となるのは時間の問題である。由緒ある古い道が、次第に忘れ去られてゆくのは、とても残念だ。苦労して辿り着いた瓶ヶ森頂上からは、菖蒲峠からの来し方が一望の下である。しばらくは、その感動で言葉も無くなるはずである。
[コ−スタイム]
東の川(7:00)―菖蒲峠(8:40)―日の出の肩(10:00)―
―大保子新道分岐(11:20)―ヒュッテ分岐(12:00)―瓶ヶ森頂上(12:40)
―・・昼食、休憩・・発(14:15)―東の川道下山(旧道)―東の川(16:30)
[登山手記]昨年12月に「高森」に登ったときから待ちに待った念願のコ−ス。しかし、前日来の大雨で、山上は厚い雲に閉ざされ、不安感と期待でとても複雑な気持ちです。東の川では、おじさんが出てきて親切に瓶ヶ森への道を教えてくれましたが、「菖蒲尾根から登る。」というと、「さ〜。道があるかいの。大分繁っとるから行けるかどうか?」の答えに、ますます不安感が募ります。同行のH女史も、「道がなかったら引き返そうネ。」と早くも逃げの姿勢になっています。「え〜い。どいつもこいつも・・。」と思いつつ菖蒲峠に向かって黙々と登り始めました。菖蒲峠までは、昨年12月に辿った慣れた道。途中、対岸の瓶ヶ森中腹に見えた大滝は圧巻。山内 浩先生が「愛媛の山と渓谷」で、立山の称名の滝のようだ!と絶賛されている雨後の大瀑布で、しばらく見とれていました。菖蒲峠は、まだガスの中でしたが、次第に天候は回復傾向にあるようで青空が見え隠れしています。しかし風が強く寒いので雨具を着込んでから出発です。
瓶ヶ森方面には林道が延びていますが、それも200mほどで途切れ、暗い植林帯の細道に変わります。ここから、稜線である「日の出の肩」までは、ゆるやかな心細い横掛け道が続きます。一部、斜面が崩壊したり、沢となっているガレ場を通過しますが迷うような所はありません。緩斜面のゆったりした道は、昨年4月の「ツナの平」を思い起こさせます。ただ、ガレ場の苔むした木橋や古いロ−プには、最近改修された様子もなく荒れるにまかせている感じです。この付近は、江戸時代には多くの炭焼き小屋が点在し殷賑を極めていた(ちょっとオ−バ−かな?)ことが「西条誌」に絵入りで紹介されていますが、今は忍ぶよすがとてありません。暗い植林地帯と灌木帯の繰り返しです。木々の高さが低くなってくると、やっと稜線に到着。10時でした。古びた指導標が我々を迎えてくれました。晴れておれば、東側に大保子谷が深く落ち込んでいるのが見えるはずですが、あいにくのガスで実に残念です。日本鉱業が稼業していた「日の出鉱山」への分岐もこの辺りとは思いますが痕跡すらありません。鉱山跡も半世紀以上を経て、山の一部と化してしまっているのでしょう。ここから、しばらく楽な水平道を進んで行くと、前方に50mはあろうかと思われる小ピ−クが雲に見え隠れしています。これが「竈ヶ森」なのでしょうか?2万5千分図では、ちょうど標高1600mのピ−クと思われます。あれを直登するのか?ちょっとシンドイな、と思っていると「四国学院大学」と記された古びた指導標が現れました。右の斜面を捲いていくようです。しかし、道がやや不明瞭になる上、日当たりの良い低木帯で茨が多いのには閉口しました。南側に回り込んだ所から再び急登となりますが、雨後であるため、沢には水が流れ、窪地には水がたまって、けっこう悪路でした。ここを過ぎるとふたたび稜線上に飛び出しますが、あたりは笹が生い茂り、ブナなどの大木が散在して、本当に心和らぐ美しい静かな場所でした。ゆるやかな登りになると、道は次第に不明瞭となりクマザサをかき分け、かき分け進まなければならなくなります。道は、ずっと右端の稜線に近いところについています。小さな沢が立派な登山道に見えますが下らないように注意しましょう。私は下っていってしまい、H女史に馬鹿にされてしまいました。すこし行くと円形に踏み固められた場所に出て、立派な指導標が打ち込まれています。「大保子谷へ」と記され、ここが「大保子新道分岐」ですが、その方面も背の高い笹が生い茂っていて、もう廃道寸前に見えました。静寂の中でゆっくりと休憩してゆきました。
径は再びだらだらとした登りとなりますが、周囲は次第に明るくなり山頂が近いことがわかります。とはいうものの径がはっきりしないのは不安です。地図では、この付近からヒュッテ方向に水平道に移行するはずです。上にいくべきか、横掛けに移るべきか・・?この窮地を救ったのは、色あせた一筋の赤テ−プでした。色あせて、ほとんど木の幹と同化していましたが、見つけたときは本当に嬉しかったです。私も後人のために新しい赤テ−プを巻き直しておきました。(多分、このテ−プが、このコ−スのかなめのテ−プとなるでしょう!)水平道に移っても気を抜いてはなりません。道は、もうほとんど無いに等しく適当に笹の斜面を横懸けしてゆきますが、直登するようなところはありません。どこまでも横掛けしてゆくのみです。ところどころテ−プを巻いていきましたが、次第に精神的余裕も無くなって、いつの間にかテ−プも落としてしまいました。苦悩しながら進むこと20分余り。小さな沢を越す辺りから、再び山道がしっかりし始め、綺麗な岩場を過ぎると突然、広大な笹原が眼前に展開しました。氷見二千石原に到着したのです。笹も芝生のように背が低くなって、まさに天上の楽園です。気を良くしながら進むと突然、張られたロ−プが行く手を遮りました。ぶら下がっている木札をひっくり返して読むと「菖蒲峠方面通行止」。「・・・」なんと。あの遭難騒動でしょう。昨年7月の登山の時はなかったはず。なにも通行止にしなくても、とは思うが遭難防止のためには仕方のない手段なのでしょう。これで、ますます廃道化が進んでしまうのは必至で、とても寂しく感じます。ロ−プをまたいでヒュッテ横の遊歩道に出て、最後の150m余りの登り。苦しいけれど、完登できた喜びに包まれて、12:40女山頂上を極めました。天気も急速に回復して菖蒲峠からの尾根がすべて見渡せ、あそこをずっと登ってきたんだな〜、と最高の幸福感に浸ることができました。さらに東には雲湧く西黒森の勇姿、西には霊峰石鎚が遙かな姿を現して、登山冥利に尽きるというものです。
ヒュッテを見下ろす岩場でゆっくりと昼食を摂ってから東の川道を下山。ヒュッテに立ち寄るとオバサンも元気に登山者の世話をされていて安心しました。東の川道も綺麗に下刈りがなされていて、以前とはうって変わって歩きやすく順調に16:30、東の川登山口に還ってきました。オジサンが出迎えてくれて「とても早かったね〜。よかった、よかった。」と一緒に完登を祝ってくれました。