鎌滝山

[所在地]高知県土佐郡土佐町

[登山日]1999.6.5

[参加数]4人

[概要]早明浦ダム北面に聳える峻険な偉容を誇っている。古人も同じように感じ入ったとみえて、鎖場を持つ石鎚信仰の山として知る人には知られている。ネイチャ−ハントの山として、そして最近出版された「山と野原を歩く」(山と野原の会編 高知新聞社 1998)に詳しい解説がなされ、登山者も多くなったと聞く。「土佐町史」には次のように記されている。「・・(石鎚権現の)勧請年月日は不明である。神体は前神寺(森地区)に安置してあり・・鎌滝山の山開きには前神寺の僧が山に登っていたことを記憶する者がいる。・・山頂には通夜堂があり、女人禁制で一の鎖、二の鎖、三の鎖があった。白装束に法螺貝を響かせてのお山登りの風景は、昭和40年ごろからは絶えてしまった。現在はご神体が山に登ることもない・・」現在も頂上には三の鎖が薮の急斜面に残っていて昇降することができる。登山道もしっかりしていて問題はないが、車の駐車確保に少々困る難がある。

[コ−スタイム]

 大淵 車デポ(8:00)―頂上(9:45)・・鎖遊び・・発(10:15)―車デポ(12:00)

[登山手記]高知自動車道が出来て、四国中部の山々を訪れるのにとても便利になりました。おまけに国道194号線の新寒風山トンネルもこの4月に開通して大幅な時間短縮が可能です。という訳で今回は、この二つの最新道路を使用して土佐郡に位置する3つの山々(鎌滝山、岩躑躅山、大森山)を訪れる予定でしたが、鎌滝山下山に思わぬ時間を取ってしまい、岩躑躅山は、また今度、ということになりました。登山口の大淵までは快適な舗装道ですが、道なりに進むと集落内の個人の駐車場で道が終わっています。今回はたまたま家人に駐車許可を得ることができラッキ−でした。(勝手に置いて良いかどうかは不明ですが、ここ以外に駐車できる道幅はなさそうです。)登山道の標識はまったくありません。適当にビニ−ルハウスの間を抜け、お墓の並ぶ雑木林の細道を少し登ると立派な林道に飛び出しました。すこし進むと峠に出て左手に登山道が延びています。その後、分岐が二カ所程度ありますがすべて指導標と赤テ−プで迷うようなことはないでしょう。美しい植林を抜けると日当たりが良くなって少々キツイですが、行く手には白い岩壁の光る鎌滝山頂、ふりかえれば朝日に輝く白髪山の全容が目に飛び込んで実に爽快です。少し行くと再び杉林の中で分岐がありますが右を取ったほうが無難でしょう。石門を過ぎたところの「窓ヶ岩」からは眼下の展望を楽しめます。ここからの尾根道をワンピッチで頂上です。古い索道場を過ぎるとあこがれの山頂。石鎚権現が祀られ、一条の鎖が急斜面に沿って消えています。よく見ると鎖は二条あり、20メ−トル程度で難易度はそう高くありません。男性軍二人で下ってみましたが暑苦しい蛇のでそうな薮の中で終わっていました。下部の鎖は錆び付いてボロボロで、朽ちてしまうのはもう時間の問題です。「ちょっと寂しいね。」と語り合いました。帰りは尾根沿いに進みましたが、早明浦ダムが望める伐採地帯に来たら注意してください。そこから左に下る道があるはずです。私たちはそのまま尾根を進んでしまったために植林地帯の急斜面に迷い込んでしまいました。北側に下れば元の登山道に出るはずだ!と強引に北斜面を下りましたが思った以上に急斜面で苦労しました。やっと登山道にでると、林道の峠はすぐそこでした。後でダム湖畔から眺めると山の東斜面は45度近い急傾斜で峠まで落ち込んでいるように見え、「あのまま尾根を進むとあぶない所だったね。」と意外な山の落とし穴に愕然としてしまいました。

 

大森五十八社

[所在地]高知県土佐郡本川村

[概要]平家平に登って安徳天皇の伝説を偲び、向かいの稲叢山で、ふたたび平家一行の悲哀に酔う。付近に「右大臣、左大臣」の地名が残っていたことからもさらに現実感を帯びてくる。一行は大変な苦労をして稲叢山を越えていき、そして遂に余りの疲労と飢餓から58人もの人々が死んでしまったという。それが、この場所であるというのだ。古くは江戸時代の「土佐郡本川郷風土記」にも記載があり、最近では「土佐の道」(山崎清憲氏著 高知新聞社 1998)でも紹介されているが場所が今一つわかりにくい。2万5千分図(日比原)では、長沢との境1141m峰西側に拡がる断崖である。(「大森山」と記された1141m峰ではない!)国道194号線を南下し長沢を過ぎると、新大森トンネルの手前に「根来佐古」のバス停がある。その脇から登りの舗装道を注意しながら進むと集落手前に右に「林道横道線」が分かれる。林道を100メ−トルほど入ると「大森五十八社」と書いた大きな標識が目にいるであろう。少し辿ると民家の庭先に出る。倒木を乗り越え、小さな沢に沿って登ると40分で巨大な断崖に到着する。鎖場は申し訳程度だが、付近の雰囲気は暑さを吹き飛ばせてくれる霊気に今なお満ちている。

[コ−スタイム]

 登山口(15:00)―大森五十八社(15:40)―登山口(16:30)

[登山手記]鎌滝山から県道17号線を快適に西進し、日の浦から国道194号線を南進しました。「根来佐古」から大森集落に入りましたが五十八社の所在がよくわかりません。民家で尋ねると長老らしき人が親切に教えてくれました。「林道横道線」を少し進むと大きな標識があって「なあんだ。けっこう有名みたいじゃない。」と言いながら車デポし、細道を辿ってゆくとすぐ民家の庭先に出て、道はそこで終わっているように見えます。庭先を過ぎると大きな倒木があり、道はその後ろに続いています。道の両側は全て平石のお墓です。平家集落に特徴的な形態で、墓碑銘などもなく花立てがなければ踏んでしまってもわからないので緊張します。この民家の周囲はとにかく全てお墓で一部は軒先にもあって、藁で作った特殊な祠も見え、なにか宗教的な特別な家なのかもしれません。(今は無住のようですが・・)。H女史などは「映画の死国に出てくる家みたいで気味が悪い・・。」と尻込みしていましたが、民俗的にはとても貴重なような気がします。K君も「この倒木は自然ではなく、わざと道を隠しているように見える。入るな、ということだろうか・・。」と不安げでしたが、とにかく民俗的に貴重だと連発するT氏に押されてしぶしぶ進むことに決定しました。道は小さな沢沿いに続いていて、赤テ−プに励まされながら薄暗い植林地を登って行くと小さな岩場があって、道が二つに分かれているようです。一つは矢印の標識に沿って折り返して行く道。もう一つは崩れた小さな沢の向こうに見える赤テ−プに従う道。標識に従って登る事にしましたが、結構悪路です。もう、山頂も近そうに思われ、やっぱり道を間違っているのだろうか?もう、諦めようか?と弱気になった時、ふっと巨大な岩場に到着しました。垂直に切り立った木ひとつない断崖で道もここで終わっています。岩窟には二つの祠が祀られ、「大森五十八社」に間違いありません。鎖場は数メ−トルの形だけのもので、すでに足下にあって登る必要はありませんでしたが、多分、分岐で赤テ−プに沿って行くと鎖の下に出られるのでしょう。周囲はえも言えぬ霊気が立ちこめ、岩場そのものが巨大な墓に思えて何か食べたり、騒いだりするのは憚られます。58人も死んだというのは伝説でしょうが、ここで、なにかただならぬ事態が起こったのは事実なのでしょう。南を見ると土佐の遠い山並みがどこまでも続いて、そんな限りない哀愁を感じることができます。登山口に集落の墓地が集まっているのも、いつまでも平家の人々と共に、という大森の人々の優しい思いやりなのかもしれない・・と秘かに思いながら静かに手を合わせてお参りしました。