乳山

[所在地]愛媛県新居浜市

[登山日]1999.8.21

[参加数]6人

[概要]大永山トンネルから大坂屋敷、馬道の別れ、キャンプ地を経て1480m峰稜線に至り、乳山別れで「笹ヶ峰〜平家平」縦走路に合流する最短ル−ト。昭和40年に住友化学登山部を中心に開発され「住化ル−ト」と呼ばれている。全てが新道ではなくおおまかに3つの部分から構成されている。大坂屋敷からキャンプ地までは「宿」より「旧別子高橋溶鉱炉」に至る長大な馬道の跡である。キャンプ地から稜線までは「奥七番越え」と呼ばれる旧道で、明治41年発行の5万分図「新居浜」に双方とも明瞭に記されている。稜線から乳山別れまでが「住化ル−ト」のオリジナルである。しかし、明治後期に馬道が崩壊してからはいずれも廃道同然であったと考えられ、新道開発の苦労のほどが偲ばれる。当時の登山部長、石村修二郎氏も「落葉松13号」(平成7年発行)の中で「(新道開発は)小生の胸の中に残る登山部の想い出の忘れ難いものの一つ」と述懐されている。馬道部分は小崩壊箇所が多いが、先輩達が心血を注いだ杭や張り板が今も登山道を護り続けている。

[コ−スタイム]

大永山トンネル(9:15)―大坂屋敷(10:00)―乳山別れ(12:00)―

 ―乳山(12:50)・・休止および昼食・・発(15:00)―大永山トンネル(16:50)

[登山手記]わが新居浜山岳会の大先輩である「住友化学新居浜製造所登山部」が30年前に苦労して開発した「住化ル−ト」を再びたどって乳山まで行こうと計画しました。別子山が初めて、という人もいたので「筏津坑跡」と「弟地」付近でひとしきり鉱山の説明をしてから登山開始です。登山口は大永山トンネル別子側入り口にあります。トンネルを出てすぐ右側に林道が延びていますが(鎖があって通常は閉鎖されています)、20mほど進んだ山側に「笹ヶ峰へ 丸山荘を慕う会」の標識があります。道は中七番から大坂屋敷に至る旧道でしっかりしています。沢に沿って水平道を進み、やがて植林地のゆるやかな登りとなってきます。蒸し暑くて汗が吹き出します。私はおまけに鼻血まで噴き出してみんなに笑われてしまいました。そんなに興奮するものも無いのにな〜、なぜ?・・やっとのことで旧馬道に合流、左に少し進むと荒れた林道に飛び出し大きな指導標があります。此の辺り、初めての方には少しわかりにくいかも?林道は出発地点の林道の終点部分です。昔は住友林業の作業道でした。従ってこの林道を下ってもトンネルに戻ることができますが、たっぷり1時間以上はかかるでしょう。あまりお奨めはできません。指導標に従って「笹ヶ峰」方面に歩を取ると、しばらくは快適な水平道で順調にはかどります。すぐに「馬道の別れ」というきれいな地名を過ぎます。奥七番の上部歩道との分岐ですが、こちらはほとんど廃道同然で迷うことはないでしょう。稜線から1480m峰北斜面の横掛けに移ると少し道が悪くなります。小さな沢がところどころ崩れていますので注意して渡りましょう。この時期、キレンゲショウマの可憐な花が疲れた体を慰めてくれます。水場も豊富ですので、たっぷり補給してゆきましょう。「キャンプ地」と書かれたところからジグザグの登りとなります。このあたりは鬱蒼とした陰気な場所で、とてもテントを張る気にはなれません。以前はもっと明るい場所だったのでしょうか?道の辺には朽ちた杭や張り板が歴然と残っていて、先輩たちの青春の幻が今も森の奥から私たちを見守ってくれているようです。心から感謝しながら登っていきます。ジグザグを登り詰めると稜線に出ました。1480m峰手前の鞍部で、いわゆる「奥七番越え」と呼ばれる場所です。一気に展望が開けます。平家平や冠山が指呼の間に望まれて感動的。乳山別れへの笹原の広大な斜面も眼前に広く展開しています。風景はきれいですが、ここから「乳山別れ」までは、最後のふんばりどころです。日陰のない急登の連続は、とにかくキツいの一言に尽きます。大きな蛇が一匹、ひなたぼっこしていましたが、それさえ無関心になってしまうほどクタクタになって「乳山別れ」に到着。大きな雲のかたまりが進んできては稜線を越えながら急速に消えてゆきます。「土用の高曇り」と言って夏場は午後から急速にガスが湧いてくるのは日常茶飯事ですが、疲れた眼には、その単純な自然現象がとても心地よく感じます。大の字に寝そべってしばらく、そんな空を眺めていました。

 笹ヶ峰への縦走路は快適そのもの。高知側の限りない山並みは、本当に「幸い」が住んでいるような気がしてきます。振り返った時の友の幸せそうな笑顔がそれを象徴していました。しばらく行くと「乳山登山口」の小さな標識がありました。紅葉谷辺りにも登山口があったように記憶していますが、ここの標識に従って笹の急斜面を直登してゆきます。苦しい登りですが長くはないので一気に極めていきます。12時50分、やっとのことで「乳山」頂上に到着。真新しいステンレス製の祠が安置されていました。残念ながらガスのため展望はありませんでしたが、ゆっくりとお参りして休憩しました。そもそも「乳山」は元来「父山」で、「母山」である「笹ヶ峰」と一対のものです。瓶ヶ森の「男山」「女山」と同じような信仰形式なのでしょう。もともと昭和初期に、有名な木下伝次郎によって創始された「石鉄教」(「木下教」とも呼ばれる)の流れを汲む新居浜市治良丸を中心とする信者によって今も信仰が守られています。また、新居浜市須領の「清滝修験」とも関係深く、新居浜方面の象徴的な山でした。なぜだかおわかりですか?新居浜市の最高峰がこの乳山だからです。笹ヶ峰頂上は西条市と高知県本川村の境界で新居浜市には属していないのです。4m余りの標高差しかないのに乳山は笹ヶ峰の影に隠れて、あまりに損な山だと思います。しかし労災病院から見上げる立派な山容はさすが「父山」の名に恥じない名山であり、新居浜市民はもっともっとこの”おらが山”を大切にしていただきたいと身贔屓ながらお願いする次第です。「住化ル−ト」のお陰で日帰り登山できるちょうど良い山だと思います。・・そんなことを考えながら満足しつつ下山。縦走路まで一気に「笹滑り」をして遊びました。昔は笹ヶ峰や瓶ヶ森の名物でしたが、笹が傷むので今は人前でするのは少し憚られます。しかし、そんな堅いことを言っている間に女性軍はキャッ、キャッ、とはしゃぎながら滑って行ってしまいました。私もその後に続いたのは言うまでもありません。童心に戻って心ゆくまでツヤツヤして気持ちの良いササの中で戯れました。・・昼食は「乳山別れ」でギョウザと冷やし中華。特にギョウザは好評で山の会の新しいレパ−トリ−となりました。15時までたっぷりと談笑。他の誰にも会うこともなく、ガスは多いものの雨も降らず、愉快なひとときを持つことができました。そして、同じ道を下ってゆきましたが、遙かに見える瀬戸内海の神々しい輝きが、凛としてそびえ立つ乳山に美しく映えていました。