楢原山、北三方ヶ森

[所在地]愛媛県越智郡玉川町

[登山日]1999.9.18

[参加数]3人

[概要]”しまなみ海道”に期を同じくして開通した国道317号線の「水ヶ峠」トンネル。今治から松山に抜ける新しい幹道として整備が急ピッチで進んでいる。双方の登山口は今治側トンネル入り口から蒼社川に沿って延びる旧道をしばらくさかのぼった脇にある。小さなトンネル手前には水ヶ峠を経て北三方ヶ森に続く旧道が、トンネル出口には立派な鳥居の残る楢原山参道がある。いずれも「四国の道」に指定された遊歩道で木道が整備され快適だが、写真の鳥居後ろに続く踏み跡を進んではならない。楢原山登山口は舗装道をなおも50メ−トルほど行ったところの大きな指導標に従って渡る立派な橋から始まる。鳥居前にぜひとも道標が一つほしいところだ。楢原山は古代からの信仰の山。特に牛馬の守り神として、牛を曳いて山に登る風習があった。頂上の経塚から出土した国宝の「宝塔」が玉川町立美術館に常設展示されているので、ぜひ見学してゆきたい。今回は楢原山を極めてから北三方ヶ森に登り返す2山往復登山予定であったが、暑さと体力不足のため挫折の憂き目を見た。

[コ−スタイム]

 楢原山木地登山口(8:30)―楢原山(10:15)―発(10:30)―登山口(11:40)

   ―水ヶ峠登山口(11:40)―水ヶ峠(12:50)―北三方ヶ森途上(13:30)・・

   行動中止・・―水ヶ峠(14:15)・・休憩・・発(14:35)―登山口(15:05)

 

[登山手記]とにかく今年は暑い日が続いて9月になっても衰えをまったく見せません。体も少々バテぎみで、どこまで頑張れるか昨年の9月の山行にならって2山ダブルハイクをふたたび計画しました。2万5千分図「鈍川」を見ていただくとよくわかるのですが、楢原山龍岡側登山口と水ヶ峠への登山口は蒼社川に沿った旧道の小さなトンネルをはさんで向かい合っています。北三方ヶ森へは水ヶ峠から尾根沿いに整備されているので心配なさそうです。どちらを先に登るか?当然、キツい方から!と言うわけで「愛媛県の山」(山と渓谷社)を見ると楢原山(龍岡木地より1時間50分)、北三方ヶ森(木地より水ヶ峠を経て1時間20分)とあったので、まず楢原山に登ることにしました。トンネルを過ぎたところの立派な鳥居付近に車デポして、あたりを見回すと鳥居の後ろの木立に登山道が確認できました。なんの疑いもなくこれを進むと道は次第に細く雑草が生い茂るようになってきます。おまけに深い谷に向かって下降してゆくに及んで、どうもおかしいと察するにいたりました。「四国の道」がこんなに心細い悪路の筈はない、相談の結果、もう一度、鳥居の所に戻ることにしました。30分のタイムロスです。鳥居の前の舗装道を50mほど進むと、大きな指導標と擬木を用いたコンクリ−ト橋が見下ろせたので一安心。鳥居の前にはぜひ指導標を設置してほしいと思います。鳥居を見るとつい、くぐって行ってしまうのが日本人の悲しい性ですものネ!?・・さて、橋を渡るといきなり斜面の急登です。木の階段がえんえんと整備されていますが、整備のしすぎはかえって登山欲を損ねてしまう一因ともなりかねません。むしろ山の東側、「上木地登山口」からの方が掘り割り風のゴロゴロ道の連続で、牛馬を曳いて登った遠い昔を偲ぶことができるように思います。展望のない階段道がもうウンザリする頃、やっと斜面を登りきって稜線の水平道に移行しました。古い丁石とお地蔵様が私たちを見守ってくれています。しかし、残念ながら周囲はガスが取り巻き初めて陰鬱な雰囲気です。水平道から植林地帯の横掛けに移り、しばらく行くと「湯の谷林道」からの道と合流。まだ頂上までは150mありますが、広い参道風のぬかるみ道を直登してゆくと「子持ち杉」の古株のところで「上木地」からの登山道に出会いました。付近には「通夜堂」や「勝手明神」の礎石がむなしく残り、かっての繁栄を物語っています。道の両側からはカヤやススキがせり出していて、それがまた、ものの哀れを誘います。・・そして頂上。「奈良原神社本社跡」の石碑と、国宝の「宝塔一式」を出土した経塚の石塔が寂しく残っているだけです。

写真は玉川町誌に掲載されていた昔の本殿です。こんな立派な三間社流れ造りの建造物が、つい20年前まで存在していたとは、もはや想像もできません。すべてが消滅し、牛も馬も、そして人も通わなくなった山の静寂を神様は悲しんでおられるのでしょうか?それとも喜んでおられるでしょうか?ご神体も遠く持ち去られ、今は今治市の中心に位置する大山祇神社の一角に新社殿を建立して手厚く祀られているとのことですが、”陸にあがった河童”よろしく、「山に帰りテェ〜、奈良原に帰りテェ〜」と毎日泣いているように思われて仕方ありませんでした。しかし、頂上は、社殿こそ無くなっても霊地に変わりはなく、石碑と経塚に3人で静かにお参りしてから、一気に元来た道を引き返しました。順調に下って11:40鳥居に帰還。水を一杯飲んだだけで、すぐトンネルを越えて「水ヶ峠」への登高を開始しました。

 楢原山と違って沢沿いのコ−スなので涼しく感じますが、蒸し暑さによる疲労は如何ともしがたく、次第にペ−スが落ちてきました。コンクリ−トの遊歩道が整備されてはいるものの、落石や倒木で至る所崩壊し、ことに最近の大雨で、遊歩道そのものが水路となっているところもあって、人間の営みなど自然の前では一溜まりもないことが痛感されます。沢が尽きるところから、ふたたび暗い植林地帯を歯を食いしばりながら登りつめて、12:50水ヶ峠に到着。赤い前垂れのお地蔵さんが鎮座し、その後ろにはベンチもあります。倒れ込むようにベンチに腰を下ろすと、しばらく言葉も出ませんでした。やっと一息入れて周囲を見ると、ここは典型的な”峠”の形態で、松山側も今治側もともに急傾斜で落ち込み、水ヶ峠を含む稜線が石手川と蒼社川の分水嶺となっています。なるほど、それで「水ヶ峠」なんだな、と感心しながら、北三方ヶ森への方向に眼を向けると・・「うわ〜、なんだ、これは!」と、おもわず叫んでしまいました。楢原山で苦しんだ、あの木の階段が天までも届けと一直線に山上に延びています。最上部は霞んで眼で極めることもできません。「もう、ここでやめよう。もう無理だよ!」と女性軍はほとんどギブアップ状態でしたが、私が不注意に口にした「案外、軟弱だね。」の一言にカチンと来たのか、「さあ、行くよ!」とムキになって階段を上り始めました。雰囲気悪いな〜と思いながらも黙々とついていきましたが、10分も立たないうちにそれどころではなくなってきました。どこまでも続く階段と小さなアップダウンの連続。そして40分あまり歩き続けて見た道標には・・「北三方ヶ森へ2.9km」・・・遠い、遠すぎる。登山口から山頂まで1時間20分なんて、デタラメだ、あれは下山の時間じゃないのか?・・と遂にへなへなとその場に座り込みながら私は「もう、ここでやめよう。もう無理だよ!」。当然、女性軍の「ほれ、みろ!」という白い眼に晒されてしまいました・・残念、無念。13:30、ちょっと時間的には早いですが、3人とも疲労著しくこの地点で行動中止を宣言しました。暑さのせいか、体力不足か、はたまた加齢現象か?情けなくも割り切れない気持ちを残しつつ、きびすを返して階段をトボトボ下っていきました。結局、北三方ヶ森は山頂の遠望さえかなわずに終わってしまいましたが、再起を誓いながらゆったりと浸る鈍川温泉の湯だけは最高でした。