二つ岳〜権現山縦走

[所在地]愛媛県宇摩郡土居町、別子山村

[登山日]1999.10.10

[参加数]4人

[概要]土居町の南に屏風の如く峨々たる山容を誇る峨蔵山塊。その縦走は黎明期より多くの岳人の心を惹きつけてきた。北川淳一郎先生は「山の巾が非常に薄い上に、頂上は包丁の刃のように先鋭である。また、その頂上には樹木や熊笹が殆ど無くて、荒い岩肌が露出している。それは「無生物的な山」でさえある。ここに私は、赤石、二ッ嶽の特殊の持ち味があるのだと思う。」といみじくも看破している。岳人だけでなく地質学者、鉱物学者、植物学者が我が宝と宣言する五良津角閃岩帯の大岩稜!それが峨蔵山の正体だ。そして、取りも直さず四国に住む我々は、この山を手元に持つことをなによりの誇りとする。肉淵から二つ岳に登り、エビラ山、黒岳、権現山と辿るアップダウンの激しい縦走路はかなり厳しいが、近年は登山者も多く道も明瞭で、もはやブッシュ尾根と言うことはできない。とはいえ、道の両側は断崖絶壁おまけにエスケ−プル−トも無く、油断と侮りは禁物で気を引き締め直してから縦走に移ろう!

[コ−スタイム]

肉淵林道終点(6:50)―峨蔵越(8:00)―鯛の頭(8:40)―二つ岳(9:25)―

    エビラ山(12:00)・・昼食・・発(13:00)―黒岳(14:10)―

    権現山(16:10)―権現越(16:35)―床鍋登山口(18:30)

[登山手記]前日は、いつもの保土野のK君宅にて宴会。眠い眼を擦りながら10月10日を迎え、登山組と松茸組に分かれて、それぞれ行動開始。松茸組に「われわれの分もよろしく!」と虫のいいことを言いながら肉淵まで快適に車を飛ばしました。林道終点の登山口は鉄の階段から始まります。昨年遭難された寒川さんに捧げたとおぼしき真新しい花束があって思わず気が引き締まってきます。峨蔵越までは土居町に通じる古いよい道です。峠直前には水場もあります。ここから権現越まで水は全く得られませんのでたっぷりと補給して行きましょう。峨蔵越から二つ岳頂上までは、岩場の多い急登の連続ですが道はしっかりしていて問題はありません。名物「鯛の頭」は、頂上までの中間点で絶好の休憩地点。振り返れば赤星山から国見山まで朝の光に輝いていました。鯛の頭から頂上まで、以前は薮が深いところもありましたが、きれいに整備され赤テ−プ、標識類もうるさいほど万全です。「ここからは命がけ!」「見とれるな!」う〜ん。・・まあ、ノ−コメントにしておきましょう。息が上がる頃、9:30、頂上着。少し南の断崖上に展望場所があり記念撮影。遠くエビラ山が、その台形の優美な姿をアピ−ルしています。「結構、遠いな〜。」「あそこまで行って、まだ半分だからな〜。」と議論している内に早や20分が経過。あわてて縦走に移りました。縦走路は一度、頂上の北側を捲いてから西に進みます。今は指導標がありますので、まず間違うことは無いでしょうが以前は薮が深く注意が必要でした。単純な二つ岳ピストンのつもりが、いつのまにかエビラ山方面に迷い込んでいる・・という遭難もどきが繰り返されていたのです。昨年の遭難もその同じ轍を踏んでしまったことになり、整備の遅れが今さら悔やまれます。(二つ岳頂上を誤認したためにビバ−クしてしまった興味深い話が、伊藤玉男氏の「山のはなし」(1994年発行)にありますのでご覧になってください。)

 さて正しく縦走路にはいっても、しばらく道は不明瞭で赤テ−プだけが頼りです。稜線上の岩場は、ほとんど南側を捲いて行きます。稜線から下らないように注意しましょう。両側は断崖絶壁です。しばらく小さなアップダウンを繰り返すと二つ岳のもう一つのピ−クへの直登です。ここは岩場のよじ登りなど足場が悪く滑らないようにして行きます。登り切るとそこは目もくらむ絶壁の縁で、別子側の家々が深く沈んでいるのが俯瞰できます。このピ−クは以前は「だまし岳」と言い習わされてきましたが、伊藤玉男氏がイワカガミを発見されて以来、「イワカガミ岳」と呼称されるようになりました。ピ−クを越えると、しばらくはだらだらとした下りとなります。比較的尾根も広く危険な箇所はありません。岩場がむき出しのところもありますがほとんど捲いていくので、心配はありませんでした。そんなむき出しの岩を見つけたら、よく観察してください。岩質は堅く「角閃岩」と呼ばれる強い変成岩です。なかに茶色のつぶつぶが金平糖のように入っているのがおわかりですか?これがガ−ネットです。正式には「鉄礬石榴石(てつばんざくろいし)」と謂われれっきとした1月の誕生石です。残念ながら透明度が悪く宝石にはなりませんが、大きなものは直径が2,3cmもあり大変珍しいものです。そのうちエビラ山が次第に近くなる頃、青いテ−プが張り渡され注意を喚起している場所がありました。ここが寒川さんの滑落箇所ではないかと思います。確かにここは登山道が二つに分かれているように見えますが、一方は単に雑草が覆っているだけで下は断崖です。足を踏み外せばひとたまりもないでしょう。夕暮れの悪条件下ではなおさらです。こんな場所で旦那様と3日も過ごされた奥様の心情は想像に余りあるものがあります・・。みんなで黙とう、冥福をお祈りして通過してゆきました。しかし「なぜ?」という疑問符は今も思い出す度に消し去ることはできません・・。

 エビラ山への灌木帯の単調な登り。手前に飛び石伝いに渡る岩場がありますが危険と言うほどではありません。そして12:00エビラ山頂着。展望もなく狭いひっそりとした頂上でした。一段下がったところでチャ−ハンとギョウザの昼食。しかし、1時間以上ゆっくりしたのは不覚。ここは行動食で我慢するのがベストでしょう。木々の間に見える黒岳は槍のような尖峰です。コ−ヒ−で体を温めてから出発。下りは岩場混じりの急降下。滑らないように下ってゆきます。振り返るとエビラ山の頂上は急峻な岩がせり出ていて「天狗岩」とでも名付けたいところです。(黒岳を別名「天狗岳」と呼んではいますが・・)黒岳の登りは、見かけは岩場が厳しそうに見えますが、全部捲いているので、案外あっさりと登り切れます。とはいうものの次第に疲労が蓄積してくる頃。ペ−スも鈍りがちになりました。そして黒岳、14:10着。頂上はさすがに大展望で終点の権現越の鉄塔が、はるか遠くに見えます。「まだ、遠いネ〜。」という言葉は禁句ですが、つい口にしてしまいます。重い腰を上げ再び出発。黒岳の西面は、今年夏に大崩壊しています。登山道も巻き込んでいますので細心の注意で滑り下りて行きます。下ると次はスズタケの中に突入です。一部、登山道も不明瞭です。さらに、この辺りから保土野谷源頭の黒滝に向かって下りるル−ト(別子山村「赤石山岳会」が開拓)の痕跡があって運が悪ければ、そちらに迷い込むことになります。(山師はこのコルを「保土野越」と呼んでいます)正しい道は全部稜線伝いです。20m以上下った場合は必ず引き返しましょう!小さなピ−クを乗り越えたり捲いたりしながら、だらだらと権現山に登ってゆきます。西側にご注目ください。100mはあろうかと思われる岩山が不気味にそそり立っているのが望めるでしょう。これが「日本石」です。ロックの名所でもありますが、その特徴ある名物は労災病院からも、はっきりと認識することができます。ゆっくりと探索してみたい所です。権現山に到着するころはガスが巻きはじめ、視界が悪くなりました。縦走はなんとか晴天に恵まれラッキ−だったと思います。このコ−スは、だいたいがブッシュのため視界条件はよくありませんが、ガスの中では、何をどのように縦走したのかわからない疲労だけ残るつまらないものになってしまいます。「晴れ」でなければ、あっさりパスしたほうが賢明でしょう。そんなことを考えつつ、権現越から、棒のような足を引きずりつつ闇に近い中をひたすら下山。床鍋の民家の灯が見えたときはホッとして脱力感に襲われました。そしてお互い握手して完登を祝し、K君宅に戻ると、なんと本当に「松茸」の分け前があったので、さらに大感激でした。

 

追悼:昨年10月10日に二つ岳方面に登山、遭難されました寒川正三朗様に、ここに謹んで哀悼の意を表しますとともに心からご冥福をお祈り申し上げます。後から知ったことですが、奇しくも本命日に縦走し、滑落されたとおぼしき場所で黙とうさせていただいたことも、なにかのご縁と厳粛に受け止めさせていただいております。永く登山者を見守っていただけることを祈念いたします。合掌。