[所在地]愛媛県周桑郡小松町、丹原町
[登山日]1999.12.18
[参加数]4人
[概要]小松町と丹原町の境界に、その孤高の存在をアピ−ルする「三ヶ森」。名の由来は、「二の森」に次ぐということだろうか。登路は多くあるが、今回は小松町石鎚地区(旧千足山村)成薮からの直登ル−トを選んだ。「日本山嶽志」(明治39年)にも「伊予国周桑郡ノ東方ニアリ。千足山村ヨリ三里ニシテ其山頂ニ達ス。全山結晶片岩ヨリ成ル。標高四千七百五十九尺。」と紹介されている。2万5千分図「石鎚山」に記されている”旧道”の通りに、稜線目指して直登してゆくが、写真のような大崩壊のため登山道は残っていない。沢登りのようにゴロゴロの岩場を適当に這い上がって行く。上部はかなり急傾斜で注意が必要だが、終始視界が得られる楽しい道である。辿り着いた頂上は360度の大パノラマ。これを以て「三ヶ森の宝」とするが、「旭の岩屋」とよばれる東予唯一の珍しい鍾乳洞が成薮付近の山腹にあって合わせて見学できるのがこのル−トの特長であり、また「三ヶ森最大の秘宝」でもある。
[コ−スタイム]成薮登山口(8:45)―稜線(11:00)―頂上(11:50)―・・昼食・・
―発(13:10)―成薮(15:20)―・・「旭の岩屋」探索・・車デポ(17:00)
[登山手記]最近、「三ヶ森」が脚光を浴びています。愛媛新聞連載の「悠々山行記」では丹原町から楠窪林道を経るル−トが(頂上まで最短ル−トです)、天野氏の提供する「
愛媛の山」HPでは、鞍瀬川沿い(丹原町)の「横海集落」からの旧道コ−スが紹介され、登山口まで比較的交通アクセスも良好なことから登山者も多くなっているようです。いままでガイドブックには紹介されることもなかった山でしたが、頂上からの大展望を求めて人気急上昇中です。2万5千分図を眺めていると、横海からのル−トはそのまま「三ヶ森」南方の稜線を越えて小松町側 成薮(地図に名前は出ていません。現在は廃村です。昭文社の「山と高原地図 石鎚山」には記載がありますのでご参照ください)に至る旧往還であることがわかります。それなら、私たちは、逆に成薮から頂上を目指そう!ということになりました。さらに成薮には、「旭の岩屋」という鍾乳洞があり、ケイビングも同時に楽しめるぞ!と期待を膨らませながら出発です。石鎚ロ−プウェイ手前の河口から右折して「高瀑」方面に向かいます。諏訪神社付近からは舗装も途切れ、ダ−ティ路をひたすら耐えてゆきます。石鎚山頂工事の資材置き場が、この道のずっと奥にありますので多くのダンプが行き交っています。運転には充分注意してください。懐かしい「大成」への登山口を過ぎヘアピンを2回繰り返すと、写真の大崩壊地に到着です。ユンボが一台止まっています。作業の邪魔にならないところに車を止め、9時前、登山開始。背後には「三ヶ森」のピ−クが聳え、それを見ながら自由に岩場を登っていきます。直登なのでキツいかわりにドンドン高度が稼げるため快適です。しばらく登って振り返れば、登山口の林道が遙か下に俯瞰され、深い加茂川源流の渓谷が蛇行しながらどこまでも続いています。岩場は、さして危険な所もありませんが、浮石が多く落石しやすいため、後続の人には充分、気を配ってください。私も人頭大の石をしばしば落として非難轟々でした。岩場は標高差300mほどで、ようやく狭まり、やがて急な沢となってきます。途中、古い炭焼小屋の跡がありました。ここを過ぎると、沢沿いに登ることが困難となってきます。沢の左岸は断崖が聳えているので、右岸寄りの灌木帯に逃げて行きます。ここも結構、急斜面なので滑り落ちないように注意しましょう。木の根や枝にすがりながら、とにかく稜線までは上へ上へと這い上がっていくのみです。地図でおわかりのように、ここの斜面は稜線まで急場の連続で”楽なところ”は全くありません。心の準備をしてから登山してください。最近、肥満著しいH女史も、さすがに参ったと見えて、稜線に到着しても、しばらく無言でうなだれ尽くして、いつもの元気さがみられませんでした。とにかく11時に稜線着。稜線上には境界標が打ち込まれ、道もしっかりしています。一息いれてから、狭い稜線沿いの道を辿っていきます。笹と灌木の生い茂るしっとりとしたよい道をゆっくりと登り切ると「三ヶ森」頂上です。さすがに360度の大パノラマは圧巻。人気が出て当然と思います。ここで、くどくど説明するのはやめておきましょう。ぜひ来られてご自分の目でお確かめください。ただ北に少し下った「池の窪」とよぶ平坦地にある反射板は目障りで、あえてケチをつけるとすれば、まず、これだけでしょう。寒いので、記念写真もそこそこで頂上から少し下った斜面でキムチ雑炊の昼食。「とてもいい山だネ〜。」と語り合いました。昭和30年頃記された「千足山村誌考」(十亀縫之進氏著)の「三ヶ森」の項には「・・翻って足下に近く桜樹村千足山村に点々炊煙を望見し時に偶々遙かに鶏鳴の声を送り来る等山中として珍しき風趣を呈することあり云々」とあります。・・本当にほのぼのとする素晴らしい文章ですよね。しかし、千足山村側は前記した成薮、大平をはじめことごとく廃村となって、もはや炊煙も鶏鳴も見ることも聞くこともないのだ、と思うと限りない寂しさで胸が詰まります。戦後50年、日本は何かかけがえのない大事なものを失ってしまって、山だけがポツネンと取り残された・・今の山の静寂は、そんなうら悲しさを私たちに訴えかけているようです。しんみりとなりつつ下山。途中、霧氷に覆われた「堂ヶ森」の勇姿は印象的でした。少し行くと右手にくだる細道があり、赤テ−プも確認できました。多分、「横海」への旧道なのでしょう。這い上がって来た地点から、急斜面を下ってゆきます。こけつまろびつつ、ほとんど滑り落ちるといった感じで、なんとか炭焼小屋跡まで帰還。岩場を見下ろすと、登りの時は気づかなかった、つづら折れの林道が半分崩れながら、左岸沿いに残っています。少々、遠回りですが、足に優しいので登山口までは林道を辿っていきました。15時過ぎ、登山口に帰還。続けて「旭の岩屋」の探索開始です。昔は、石鎚山の行者もわざわざ足を運んで修行していたと伝えられる貴重な鍾乳洞です。剣山の「不動窟」にも勝るとも劣らない天然の行場は石鎚山の秘められた聖地の一つです。この辺だろうな、と見当を付けた場所から細道を辿ろうとしたとき、猟を終えたハンタ−がちょうど通りかかりました。岩屋の場所を知っている、とのことで簡単な地図を書いてくれました。本当にラッキ−だったと思います。最終的には、この地図が恐るべき正確であることに一同唸りながら感嘆した次第ですが、同じ様な地形の続く、道標も赤テ−プもない山中で、すんなりと小さな洞窟を見つけることは至難の業でした。発見するまで、年末年始に亘る、なおも2回の探索を必要としました。そういう訳で、今回の登山では、残念ながら時間切れ、岩屋の発見は成りませんでしたが、この地点で、来月の会山行は「旭の岩屋 再探索」と決定して、未練を残しつつ、すでに薄暗くなった山林を侘びしく下ってゆきました。