旭の岩屋

今年1月、小松町石鎚地区成薮付近にある「旭の岩屋」を尋ねた。近隣には珍しい鍾乳洞ではあるが、今なお信仰で訪れる人以外は尋ね来る登山者もほとんどないようで、そこに至る細道にも冬枯れの茅がはびこっていた。

 あれ以来、暇あるごとに文献を調べてはいるが、これについて記されているものは少なく歴史的な謂われ、伝説などは不明のままである。しかし先日、「日本洞窟学会」にお伺いした地質学的な概要なども紹介したいので、中間報告として以下に記すことにする。

 「旭の岩屋」の最古文献はわからないが、17世紀後半に著された香西成資の{南海通記}には興味深い記事がある。「伊予国兵将居城記(巻八)」の条に「・・大敵予州ヘ入タル時ノ巣穴トスル所ハ、阿波ノ大西雲辺寺、予州石鎚、大山、横峰寺等ノ仏所ニ究境ノ巣穴多シ。横峰ハ越智ノ国府ヨリ六里ノ南山ナリ。三里ノ間ハ谷伝ニ村里アリ。奥三里ハ幽谷ニシテ人家ナシ。一夫ノ守ル所千夫モ過ヘカラス。・・」巣穴は「住居」の義もあり、洞窟と断定はできないが大軍をゲリラ戦に持ち込むための小さな砦が散在していたのであろう。山中のことでもあり、転石の岩屋なども使用されたものであろう。それが「巣穴」という表現になっているのではないだろうか。「旭の岩屋」周辺にも転石の洞窟が実際に転々と存在しているのを確認している。

 昭和5年発行「四国遍路」(飯島 実氏著)には横峰寺の項に「・・(弘法)大師に由緒を持ったものとしては前に述べた大同杉や朝日ノ窟、星ノ森道場などが付近にあるそうだ。」とある。ここでは空海との関わりも示唆されるが、その詳細は不明である。大同杉と星ノ森は現在も大師ゆかりの名所として有名であるが、旭の岩屋だけこれ以上の情報がないのが実に残念である。同年発行「霊峰石つち山」(秋山英一氏 著)にも「冠瀑布探勝記」の末文に「・・帰路には成薮部落の朝日窟を見て来た。」と記されてあったが、昭和10年の改訂版では、この一文がなぜか削除されている。

 戦後になり、十亀縫之進氏が残された稿本「千足山村誌考」中に、唯一、詳細に説明がなされている。少々長くなるが、その全文を掲載する。「風致上の名勝とするに足らざるも地方に珍らしき鍾乳洞として其の概要を記録す。本村字成薮小字北谷にあり、字成薮部落の東、北谷川と称する小渓に添ふて登ること約十二、三町にして岩屋に達す、渓流に頻する大岩石の基脚に洞口あり。口の広さ約一米余、身洞に入れば洞内は高く漸く通行を妨げず、足下冷水を踏み燭を点して進むこと十間余の所に稍広き水溜りあり。洞内の広さ約一坪位にて屈曲あり、水溜りの突き当りは高さ一丈位の岸壁となり、其の壁頭に径二尺位の穴口あり、夫より冷水の落下するを見る、この穴口より内に入りしことはなしと聞くも余り余地のなきものの如し。洞孔内には鍾乳の結晶したる奇観を見るも既に毀損せられて旧観を認めず、洞中、蝙蝠(かうもり)多し。」洞窟の様子は大変詳しく、納得できる正確さであるが歴史的な記述は結局わからずじまいであった。ご存じの方がおられれば、ぜひご教示ください。

 さて、次に地学的な質問をお答えいただいた「日本洞窟学会ホ−ムペ−ジQ&A」の浦田健作先生(東京都立大学)に、ここに謹んで深甚の謝意を表し、その内容を以下に記させていただく。

 問1.三波川結晶片岩帯にも鍾乳洞は普通に存在するのか?

 答.三波川結晶片岩帯(三波川変成帯)には石灰岩が変成作用をうけて形成された石灰質片岩が含まれ、変成を受けていない石灰岩と同じように鍾乳洞が形成される。四国では三波川帯南部の愛媛県から高知県にかけての地域に帯状の石灰質片岩が多く分布しており、愛媛県小田町の小田町洞、美川村御三戸付近の洞窟群(黒岩洞、穴神洞ほか)などの鍾乳洞がよく知られている。三波川変成岩中に点在する小規模な石灰質片岩に形成された鍾乳洞としては、旭の岩屋のほかにも八幡浜市の川辻鍾乳洞など、いくつか存在している。

 問2.四国以外で、三波川帯に属する鍾乳洞はあるのか?

 答.三波川変成帯は、西は九州・佐賀関半島から東は関東山地まで約800qにわたって帯状に分布しているが、四国以外では石灰質片岩の分布は少なく、鍾乳洞の形成についてもよく知られていない。比較的分布の多い紀伊半島や三河地域には、小規模な鍾乳洞があるかもしれない。現地の研究者に問い合わせてみる。

 問3.鍾乳洞を構成する石灰質片岩は、他の結晶片岩より新しいものなのか?

 答.三波川変成帯の結晶質石灰岩は結晶片岩のメンバ−であり、ほかの結晶片岩と同時に変成を受けて形成されたものだ。したがって、石灰岩そのものが形成されたのは結晶片岩形成時より古く、石灰岩が結晶質になったのは、結晶片岩形成と同時期ということだ。「結晶質になった」というのは、変成作用をうけた結果、石灰岩をつくる鉱物である方解石が目に見える大きさに変化したという意味で、成分や鉱物の種類は変わらない。そして、見かけは「結晶質石灰岩」であっても、結晶片岩を作る変成作用を受けているので、「石灰質片岩」と呼ばれている。三波川変成帯は主に、塩基性片岩・泥質片岩および少量の石英片岩・砂質片岩・石灰質片岩から構成されている。これらの結晶片岩の源岩は、泥・砂・チャ−ト・溶岩・石灰岩などからなる大洋底堆積物が、海洋プレ−トが大陸プレ−トの下にもぐりこむときに大陸側に付加された付加帯と呼ばれる岩石群である。その点では四国の南側に分布する秩父帯や四万十帯と同じ起源だが、より深く沈み込んで地下で強い圧力を受けて変成されたのちに、上昇して地表に露出したと考えられている。

 小さな鍾乳洞一つにも、壮大な地球の歴史が凝縮されていて実に興味深い。「旭の岩屋」を形作る源となった石灰岩も、どこか南洋の珊瑚礁であったのか、と思うと遙か太古のロマンへと我々を誘ってくれる。人の住まなくなった山中ゆえに、謂われや伝説は次第に忘れ去られつつあるが、石鎚の懐深く眠る、この貴重な鍾乳洞をいつまでも大切にしてゆきたいとつくづく思う。

                    (写真:洞窟内部より天井を見上げたところ)