私について知りたい方に
ここでは、私の半生について述べたいと思います。
自由に書き下した乱文ですので、暇つぶしにでも読んで下さい。

昭和32年7月20日・・・生
午後10時頃、私は、香川県坂出市の片隅に産声を上げました。当夜は”海の記念日”で、盛んに花火が祝福するかのように上がっていたそうです。概して健康。当時の記憶は当然のこととして何もありません。

昭和39年〜45年・・・香川大学教育学部附属坂出小学校
勉強もせず、遊んでばかり。数学の教師であった父には叱られ通し。でも一人っ子の特権で、ご多分に漏れずわがままな子供でした。
昭和45年〜48年・・・香川大学教育学部附属坂出中学校
やっぱり一番の思い出は、初恋かな?一緒に下校した程度ですが、今でも思い出すと胸がキュッとせつなくなる。彼女も、もう40才。私の中の彼女は、今でも15才のまま。このままそっと二度と会えないことを願っています。そんな訳で、勉強の方は、相変わらずさっぱりでしたが、父からもらった、矢野健太郎先生の”数学をきずいた人々”(講談社現代新書)は、数学の面白さを開眼させた最初の一冊でした。

昭和48年〜51年・・・香川県立丸亀高校
”数学同好会”という一風変わったクラブがあって、汚い部室で遅くまで議論を闘わせた思い出は、忘れがたい。無限級数やら、複素関数やら、ガロアの群論やら、果ては、”恋と数学”などを真剣に論文化している御仁などもいて、誰でも、この時代は一番きらめく空間を持ってますよネ。一方で受験、受験の試験地獄がありましたから、よけいに愛しく感じます。テストは数学でなんとか点を稼いでいましたが、一期校は、あえなく失敗。滑り止めの二期校に図らずも合格し、医者になる道を選びましたが、これが本当に正しかったかどうかは、今でもわかりません。
昭和51年〜57年・・・山口大学医学部
とにかく、医学部は記憶力が勝負!とにかく6年間、苦しかったな〜。講義もサボりまくったけど、本当に医者になる適正があるのか、ということに真剣に悩んだですね。そんな中で、数学、物理学の本はよく読み、それが唯一の救いでした。ブラウン運動と、量子論的カノニカル分布が同じ原理で導かれることを見つけたときは、うれしかった。私の数学の恩師は、今はあまり見かけなくなった、スミルノフの”高等数学教程”。あれは、独学書として本当によい本ですね。ちょっと大冊だけど・・。マクスウェルの電磁方程式なんかも、この本で初めて理解できました。
昭和59年〜61年・・・東京大学物性研究所外来研究員
一応、医者になって、消化器が専門の山口大学第一内科に入局。当時の教授は、内視鏡権威の竹本忠良教授。大変、厳しい先生でしたが、レ−ザ−内視鏡に情熱を傾けられ、物理が得意なら勉強してこいとのことで、物性研の極限レ−ザ−部門の黒田研究室に2年間お世話になりました。助手の中野さん、田中さんをはじめ、本当によく指導してくれて夢であった物理環境の中で研究できましたが、成果は正直なところあまり出せませんでした。竹本教授や黒田先生をはじめ、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。お許しください。現在、北陸先端科学技術大学院大学教授の西坂剛先生にも、公私ともに大変、お世話になりました。もう少し東京で研究せよ、と言われましたが、結局、山口に帰りました。これが、私の運命の分岐点であったのかもしれません。

昭和61年〜平成5年・・・大学医局員+関連病院医師時代
医学へ、物理的な考えを導入しようと燃えた時代でした。ボルテラ方程式、マルコフ過程、ウィンドケッセル理論、果ては、フォッカ−プランク方程式(これは、ちょっと悪のりしすぎたか)などを臨床に取り入れようと熱心にやりましたが、結局は自己満足の世界であると悟るようになりました。そのうち、竹本教授も退官され、私は山陽中央病院という田舎の病院に出向しました。この時、父が病死し、悲しさと寂しさでしばらくは立ち直れませんでしたが、一周忌を過ぎた、ある当直の秋の夜、本当に突然、”特殊相対性理論と電磁気学”の原理がひらめきました。いったん原理が見つかると、あとは、芋ずる式に電磁気の諸公式が機械的に出てきます。当時、NHKでは”アインシュタインロマン”が好評を博しており、何か因縁めいたものを感じたものです。一方で、父が生きていたら大いに議論できるのにと、寂しさもまた新たになりました。さっそく、大学の物理学の先生にお見せしましたが、”そんな分野は、もう研究され尽くされてるから。”が唯一のコメントでした。確かに、後で何回も考えると、この程度の思考が過去にないとはどうしても思われませんが、こんな方法で書かれている、我々が目にすることができる書物がないのもまた事実です。前進するしかない、と気を取り直して頑張りかけた時、私を待ち受けていたものは・・・離婚!、それに起因する大金欠、そしてストレスが原因の突発性難聴の大嵐。ああ、ただ、ああ・・・遂に、慣れ親しんだ山口を去り、生まれ育った四国に帰ってきました。
平成5年〜現在・・・愛媛労災病院内科
傷心の私にとって、ふるさとの山河は、さすがに眼に染みましたネ。でも、大らかに私を包んでくれて4年が過ぎ、ようやく傷も癒えてきました。40才を迎え,この不器用な人生の1つの区切りとして”特殊相対性理論と電磁気学”をまとめておこうという気になってきました。時はまさにインタ−ネット全盛の時代を迎え、絶好の機会ではないかと思いました。確かに、私の研究は、専門の研究者にとっては意味をなさないものと思いますが、電磁気学をすこしかじって、どうしても、今一つしっくりしない、流れがつかめないという学生さんをはじめ若い方の”気付け剤”として、お役に立てるのではないかと自負しております。ぜひ、牛丼一杯分の資金を、この解説書にさいていただいて、研究の全容をとくと見ていただきたいと思います。相対論的量子力学への移行は、DをihDに変更するだけで完了です。これで、GSW理論まで、すぐに発展させることができます。これは、また別の解説書を作成しようともくろんでいますので、ご期待ください。今の私の最大の悩みは、とにかく病院業務が忙しくて、ゆっくり思索にふける時がないことですが、”時間はあるものではなく、作るもの”という格言を胸に努力してゆきたいと思っておりますので、ここまで頑張って読んでいただいた皆様も、おおいに奮励されますようお祈り申し上げます。
では、この辺でおしまいにします。なにかありましたらメ−ルください。お待ちしています。

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