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ブライマーと、ヴェルサイユ。あるいは平和通りの夕暮れ。

(S62卒 tuba 白石信宏)

会報は、現役の頃から目にしていた。熱心に読んでいたのは、むしろその当時だと思う。
ただただおもしろかった。大学生や大人の世界をドキドキしながら垣間見る、そんな妙味があった。
昭和の時代。当然のことながら手書きである。文字、書きぶりに、その人なりが濃密に顕れる。レイアウトも自由自在。ちょっとしたノートやイラストに思わず吹き出すこともあった。「フレミングの左手の法則」を「うん」「ちが」「でん」と覚えればよいと知ったののも、会報のイラストからだ。
原稿をいちばん目にしたのは井手さんだった。井手さんの字は、一目でそれと分かった。演奏会のドキュメントや、(会報ではないけれど)演奏会の進行表を眺めるのは楽しかったものだ。
回数こそ多くなかったものの、藤永さんの原稿も印象深いものだった。覚えているものの一つは、「フランス宮廷生活史」とでもいうような内容だった。おまるの話や香水の話。それこそヴェルサイユの生活臭が匂ってきたのだ。そうか、ヴェルサイユ宮殿にはトイレがないのか…。原稿に添えられたノートには「全国大会を聴きにった藤永さんから『やっぱり全国はスゴい!』という原稿が届くのかと思っていたら…」(笑)

そんな折。井手さんがちょっとしたアルバム評を載せていた。ジャック・ブライマーというクラリネット奏者による、モーツァルトの作品について書いていたものだった。収録されているのは五重奏曲と協奏曲。ランスロやライスターたちとは少し肌あいの違う、いわば玄人好みのプレーヤーのように思えた。クラリネットを聴くのであれば、まずはこのアルバムを手に入れよう。井手さんの言うことだから間違いない。頭の隅っこに、なんとなく留めておいた。
昭和最後の春。僕は1年浪人したのち、松山に残ることにした。自宅近くのマンションに移り、部屋に少し値の張るミニコンポを入れた。先述したアルバムを買い、クインテットを鳴らしてみる。穏やかな春の夕暮れ。弦とクラリネットのA durのハーモニーは、心に沁みた。受験の結果を受け入れられないことや家族のこと、今にして思えばいろいろな感情があったのだろう。どこまでも美しく、少し切ないメロディを何度も何度も繰り返し聴いた。
入学式前日。ある先輩から連絡があった。「飲まんか?」落語研究会の先輩からだ。ビアガーデンで飲んでいるという。当時は、大学生となればアルコールはO Kという時代(注:今はダメですよ!)。いそいそと出かけていった。
小柄な、丸顔の女の子がいた。少し厚手のシャツに、セーターを羽織っている。少し茶色い髪を三つ編みにまとめ、くりっとした目には優しい光が宿っていた。聞けばその日、勧誘された新入生だという。柔らかな、博多訛りに似た口跡が、とても心地よかった。学科が同じということもあり、彼女とは入学式の後数日、行動を共にすることが多かった。妙に大人びたところを見せる彼女に、僕は少しずつ惹かれていった。僕はまず落研に落ち着くことにする。彼女がいたからだ。
どこのサークルでもそうだったのだろうけど、最初はほんとうによく飲ませてもらった。夕方、毎日のように大街道に繰り出していた。平和通りの歩道橋を渡り、西一万を抜け、ロープウェイ街をだらだら下り。いちばん幸せだったひとときかもしれない。歩道橋から眺める夕焼けはほんとうにきれいだった。横断歩道を渡る時でも、西に伸びた平和通りの夕暮れはとても素敵なものだった。
夏が過ぎ、秋。僕は落研を離れ、音楽にシフトしていく。サークルとも、次第に疎遠になっていった。
彼女に最後に会ったのは、彼女の卒業が決まり、郷里に帰るという前日。「明日、帰る」偶然出会ったロープウェー街で、母親と一緒に、変わらぬ笑顔でそう話してくれた。それ以来、彼女には一度も会ってない。今にして思えば、もっと話しておけばよかったと思う。ただ、こちらにも連れがいたので、そういうわけにもいかなかったのだが。

今でも、春になり、美しい夕暮れに出くわすと、あの頃の情景が鮮やかに甦る。ブライマーの、どこまでも暖かく優しいクラリネットに導かれて。もし、電話がかかって来なかったら-当然彼女とは出会わなかった。あるいは、もし、これが他の奏者だったらどうだっただろうか-いや、ブライマーだからこそ、ここまで美しい絵に収まったのだと思う。そう考えると、井手さん、冨永さんにはただただ感謝しかないのだ。





 

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