INDEX  2     



ああ勘違い

高橋宏文(昭和54年卒)



 先日の葬儀の際の出来事である。本堂での葬儀式であったから、遺族は両サイドに正座で坐し、焼香のときは祭壇の前に進むことになる。導師である私は読経している。滞りなく焼香が進行していたとき、突然左の席から女性の嗚咽が聞こえてきた。なかなか前に出てこない。(わたしは誌公帽子というかぶりものをしているので正面しか見えないのだ)母親に付き添われてやっと前に出てきたのは高校生と思われる女の子であった。うつむき、肩が震えている。故人は80過ぎのおじいさんだからきっとお孫さんなのであろう。こんなに悲しむというのはよほどの「おじいちゃんっこ」だったのかな、と思わずもらい泣きしてしまい、経を読む声が途切れがちになってしまった。ほどなく式も終わり、控室に戻ったときに開口一番、「あの娘かわいそうやったなあ。思わずもらい泣きしてしもた。」それを聞いた脇導師の僧侶(その人がその娘の一番近くにいた)が言った。「ああ、あれか。あれはなあ、足が痺れて立てなんだんよ。自分でもよっぽどおかしかったんやろ。笑いを必死でこらえとった。

 学生時代のこと、ある大教室に『仏法概論』という公開講義の看板が立っていた。ちょうど暇だったので聴いてみるかと入っていった。ところがいつまでたってもお釈迦様の話が出ない。しばらくしてやっと気付いた。「仏法」とは「フランスの法律」のことであった。
 表記による勘違いはたいていの人にあるだろう。AVと聞いて「オーディオ・アンド・ヴィジュアル」を連想するか「アダルトビデオ」を連想するかは個人の関心の度合いによる。ボロディンの「だったん人の踊り」について、昔は「ダッタン人」と書くことが多かったように思う。私もずっと外来語だと思っていたのだが、実は「韃靼」という漢語で、難しいから平仮名で表記したのだと知ったのは大学のときだった。(実はポロヴェッツ人とうのが正確なのだそうだ)そういえば「僧侶」というのも最近の新聞では「僧りょ」と書いている。ラロの歌劇に「イスの王様」というのがあるが私はずっと「椅子の王様」だと思っていたのである。イスって伝説上の国の名前なんだって?詳しいことは未だに知らない。
 小学生のとき、音楽室の正面黒板の上に音楽史の年表があった。各作曲家の名と主要作品が列記されているのだが、幼い故に勘違いの宝庫でもあった。ヘンデルには「音楽の母」という称号があたえられているから、ずっと女性だと思っていたし、モーツァルトの項では「魔笛・フィガロの結婚」と書いてあったから「フィガロというのが笛の名前なんだろうけど、なんで笛が結婚するのだろう」と思った。バッハの「G線上のアリア」に至っては戦場における女性の悲劇だと考えていたのである。(当時はベトナム戦争の真っ最中で、「最前線」など、戦場用語がよく使われていた)また、大学生のとき、プーランクとクープランを混同して大恥をかいたことがあったのだが、考えてみれば小学生当時にその年表で、スメタナをスタミナと読み違え、変な名前の作曲家として記憶していたのだから仕方がなかろう。そういえば数年前にレスピーギの「サバの女王ベルキス」という曲が流行ったが、「サバの寄生虫アニサキス」を連想したのは私だけではあるまい!(しかしこんな曲、よくぞ探し出してきたもんだ。レスピーギのレコード目録にも最初は一枚も載っていなかった)

 曲名だけではない。歌曲の歌詞で思い違いをしていた経験は恐らくすべての人々にあるはずだ。『故郷』の「うさぎ追いし」を「うさぎ美味し」と思ったり、『赤とんぼ』の「負われて見たのは」を「追われてみたのは」に、『君が代』の「巌となりて」を「岩音鳴りて」に、というのはもはや古典的な語り草である。私の経験としては『我は海の子』の中で「高く鼻つく磯の香に」というところを「高く鼻突く磯の蟹」と思っていた。つまり磯遊びをしていたら蟹に鼻を挟まれたという意味だと理解していたのだ。笑い話として酒の席で話していたら、もっと上手がいた。『巨人の星』の主題歌で「思いこんだら試練の道を」というのを「重いコンダラ、試練の道を」と考え、ローラーのことをコンダラというのたと思っていたのだそうだ。そういえば、タイトルバックには、足腰の鍛錬のためにローラーを曳く飛雄馬が映っていたなあ。これには私もかなわなかった。そうそう思い出した。『ドレミの歌』で「どんなときにも列を組んで、みんな楽しくファイトをもって空を仰いで…」という歌詞があったが、私はファイトという名の大きなうちわで空を扇ぐのだと思っていたのである。今考えてみてもなんとまあ想像力豊かな子供だったのだろう。アニメといえば、『ムーミン』の「あらまあ、どうして?けど…でも…」の「けど…でも…」が歌を聴いているだけではどうにも理解できなかった。あるとき歌詞カードを見て初めて知ったのである。

 そろそろ卒業式のシーズン、卒業式といえば『仰げば尊し』だが、(『蛍の光』はパチンコ店のイメージが固まりつつある)歌詞の最後、「今こそ別れめ、いざさらば」の「別れめ」は「別れ目」ではなく意思を表す助動詞「む」の已然形で、係助詞「こそ」を受けての係結びなんだって。知ってた?(この原稿を、ラジオを聞きながら書いているちょうどそのとき、南海放送の小林真三さんというDJの方がこのことを言っていた。)




 


ホームへの非常口