[. 武見太郎元日本医師会長の思い出

 ところで、私たちは今、医療と言えば保険医療のことだと考え、どっぷりと保険医療に浸かっております。
 私は、長らく愛媛県医師会の役員を務め、色々と勉強する機会を得ました。特に、元日本医師会長武見太郎先生の講演を聴いたり、著書や論文を読んだりして教えられるところ大なるものがありました。
 余談でありますが、私の人生にとって最も幸いであったことは、武見太郎先生と同じ時代に生を享けたことであると思っています。
 そこで、忘れられぬ思い出を一寸ご紹介させていただきますと、昭和55年8月、武見会長が日本医師会の理事に対し、試験問題のようなものを出しました。愛媛県医師会からは、代表として私のまとめた回答を提出しましたが、その回答が、たまたま当たっていたことであります。
 テーマは「医師の権利保護ーことに健保法の下における現状の認識と将来の改革の方向でした。全都道府県医師会から立派な回答が寄せられましたが、その中で、私が
 「医療は本来、医師と患者との直接的な自由な契約に基づいて行われる(自由診療)が、国民皆保険制の現在、医師が保険医登録をするか、しないかの選択の自由は殆ど残されていない。これを附従契約(附合契約)と言う。保険医登録そのものが医師の権利の束縛につながり、保険医は医師としての医業権の制約を受ける。」
 と書きました。
 この「附従契約」について言及した回答は私一人であり、武見会長もこの回答にご満足であったことを、当時、日本医師会副会長職にあった吉野章愛媛県医師会長から知らされました。後日、日本医師会雑誌の議事録でそれを確かめました。(第84巻第7号:832〜852頁、昭和55年10月1日:第8回全理事会)
 今回、そのときの原稿や資料を読み返し、私は、今さらのように、「保険医」には権利などはないのだな、と改めて思うしだいです。
 武見先生は、昭和56年3月に引退されました。その翌々年(昭和58年)4月、理化学研究所が住友重機に発注していたサイクロトロンの視察のため、新居浜にお出でになり、その帰途、松山に立ち寄られました。胃がんの手術後の経過も順調とのことでしたが、昔のでっぷりとした面影はありませんでした。
 松山では、お出でになるといつも旅館「中村」(小児科医会10周年会場)にお泊りでした。そこで開かれた懇親会が終ってから、私は先生のお部屋へ厚かましくもお邪魔し、ご著書である"医心伝真"にサインをしていただきました。床の間には、女将の心配りか、武見太郎先生揮毫の掛け軸が飾られていたことが目に浮かんでまいります。ここに持ってきましたのでご覧下さい。武見先生は、その年の12月に亡くなられました。享年79歳でした。
 余談が長くなりましたが、昭和40年代から今日までのわが国の保険医療史の中で、保険医として、決して忘れてはならないエポックメーキングな保険制度の改正やその裏舞台などについて一寸ご紹介させていただきたいと思います。


 新居浜小児科医会30周年記念講演会

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