イリドスミン(銅山川)
愛媛県宇摩郡銅山川で、M氏により採集されたイリドスミンである。M氏は四国砂金研究の指導者で、四国の河川を広く探索して新しい砂金産地の開拓に努めておられる。銅山川の砂金については小生も同行させていただき、その神業的な採集法を目の当たりにして驚嘆するとともに、他の追随を許さない飽くなき探求心には心底から感服したのであった。銅山川の砂金やその時の報告は、小生のHPの「砂金(銅山川)」の項を参照されたいが、M氏のように多くの砂金を採集していると、時折、鋼灰色に光る粒状物が混じることがある。これがいわゆる“砂白金”である。白金とはいうものの、全てがプラチナ(Pt)という訳ではなく、イリジウム(Ir)やオスミウム(Os)、ルテニウム(Ru)など白金族の金属の総称で、本邦では、プラチナよりもむしろイリジウムとオスミウム(いわゆるイリドスミン)、それにルテニウムを加えたルテノスミリジウムの組み合わせが大部分を占めている。
M氏のこの標本がプラチナなのか、はたまた白金族のイリドスミンなのか?・・肉眼では鑑別が困難なので、愛媛大学の皆川先生に鑑定を依頼することになった。皆川先生もご自身で砂金を採集された経験はないとのことで、教室を挙げてM氏のご指導の下、銅山川でパンニングを体験され大変喜ばれたとのことである。M氏が依頼したサンプルは5粒。その典型的な蛍光X線分析の結果を下に示す。
先生のコメントには、「鋼灰色、六角板状結晶をなし、六方最密充パッキング構造をとることから、Pt(プラチナ)では無いことがわかる。Os12Ir5RuAu の組成比を持つ。鉱物種は、Iridian osumium であり、いわゆる Iridosmine である。(白金族の命名法によりイリドスミンの名称は既に使わないそうだが、本稿ではイリドスミンに統一した)」とあり、他のサンプルの成分もほとんど同じであるので、おそらく冒頭の標本もイリドスミンに間違いないだろう。Ruが含まれているのは注目すべきで、北海道では3種が3:2:1程度に含まれることが多いとのことだが、この12:5:1の比率は四国に特有のものなのだろうか?逆に北海道の砂白金とは異なり、Ptが分析上も全く検出できないのもとても興味のあるところである。別子銅山では、Ptが電気製錬で回収されていたことはよく知られているが、戦後は海外からの買鉱もかなり混ざっており、Ptが別子本坑由来のものかどうかは今となっては確認する術もない。しかし、日本のキースラガー鉱床に白金族の鉱物がほとんど含まれていないところを見ると(徳島県高越鉱山や愛媛県大久喜鉱山の銅鉱石から微量のパラジウムや白金が分光分析で発見されたということだが詳細は不明)、おそらく他鉱山の鉱石によるものと考えるのが妥当であろう。また、皆川先生の「四国産鉱物種 2012」によると、最近、鉄・マンガン鉱床からも白金化合物が確認されたということだが、極く微量で砂白金の起源としては考えにくく、未だ四国産プラチナは確認されていないというのが正直なところと言わざるを得ない。
それでは、このイリドスミンの起源は何か、ということになるが、北海道のものは蛇紋岩やクロム鉄鉱床に由来すると考察されており、四国の場合も、「愛媛県の金銀鉱資源」(宮久三千年、桧垣 淳)によると、ニッケルと金、白金族との随伴親和性から、イリドスミンなどの白金族元素の大部分は、赤石山系の超塩基性岩に由来するのだろうと推測されていて、最近、東赤石の橄欖岩から輝イリジウム鉱が見いだされたのは、大変意味のあることだと思っている。銅山川より上流の吉野川(高知県)でもイリドスミンが採集されているが、これも白髪山塊の橄欖岩によるものと考えれば充分に納得できる。砂金に比べてイリドスミンの絶対量が極めて少ないのも、こうした起源岩の特性が大きく関与しているのだろう。
(東赤石山の橄欖岩。赤く輝くため昔は“赤太郎”と呼ばれた。)
イリドスミンは、万年筆のペン先に使用されるため明治時代からさかんに採掘されていた。しかし、その記述は和田維四郎の「日本鉱物誌」(明治37年)あたりが嚆矢ではないだろうか。明治7年のコワニェ著「日本鉱物資源に関する覚書」や、明治16年のナウマン著「四国砂金産地」にも四国産砂金に関する記載はあるが、砂白金の文言はまったく見当たらない。「日本鉱物誌」では、北海道内の産状について詳細に述べた後、「此他、内地に於いても左記の地に産出することあるも極めて少量なり」と断って、“伊予国宇摩郡銅山川筋”と“阿波国三好郡山城谷”を挙げている。原典として「鈴木氏地学五集五二巻」と記されているが、何の文献なのかは今のところ確認できていない。いずれにせよ、明治20〜30年代が四国砂金採掘の絶頂期であるから、当時は四国のイリドスミンも全国的に知られた産地だった訳である。しかし、日露戦争後の非常特別税として砂金類にも課税されることが禍いして多くはこの時に一気に衰微したと考えられ、大正5年刊「有用鉱物の産地及用途」内の砂白金産地にはすでに四国は含まれていない。
戦後、地質調査所が編纂した大著「日本鉱産誌T−a 金・銀その他」(昭和30年)にも、「本邦においてはかって四国吉野川より微量の産出が知られ、また各地の製錬所において銅製錬に伴ない白金族金属の少量が得られることは知られているが、現今本邦における白金族鉱物の産地として知られているのは、ただ北海道のみであって、同地域のものも全部漂砂鉱床をなすものであることは言を俟たない。」と過去の産地として簡単な記述に止まり、「かって、徳島県三好郡山城谷と愛媛県宇摩郡銅山川において、イリドスミン iridosmine IrOs が砂鉱として産することが報告された。イリドスミンはそのまま万年筆のペン先に使用するものであるが、四国においては現在まったく採取されていない。」と宮久先生が記した「日本地方鉱床誌 四国地方」(朝倉書店 昭和48年)あたりが、もっとも新しく、そして最後の記載になるのではないか!?・・それ以降は、砂金の鉱業権も消失して公に確認されることもなく、皆川先生の「四国産鉱物種」にイリドスミン(Irdian osumium Ir>Os ) が再び登録されたのもつい最近になってからである。
上写真は、平成17年5月29日に実施された“愛媛石の会”の新宮村砂金採集時の記念写真。これだけの人数でパンニングをおこなっても、収穫は一人の会員が採取した 0.5mm ほどの小さな砂金1ヶのみであった。採掘が途絶えてすでに1世紀以上と久しく、その存在さえも確認されていなかった貴重な四国の“砂白金”を、視力も悪く採集力も全くない小生のためにご恵贈賜ったM氏のご配慮にこころから感謝するとともに、幻といっても過言ではないイリドスミンを実際に見ることが叶った喜びは何物にも代え難く、せめて美しい顕微鏡写真を撮って、そのご厚意に答えようと頑張ってみたのだが、さて、その出来映えは如何だろうか?・・神秘的に輝くインドスミンの美しさを少しでもお伝えできれば幸いこれに過ぎるものはないと偏に念ずるのみである。