カロール鉱(別子銅山)

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 数年前新居浜の元鉱夫の方より別子本坑の斑銅鉱を譲り受けた。虹色の「トカゲハク」と濃い黄金色の「ナタネバク」の入り交じる美しい鉱石は、住友が神と仰ぐこの鉱山の偉大さをなによりも雄弁に語りかけてきた。ある時、斑銅鉱の中に銀白色に輝く部分があることに気が付いた。高品位鉱には自然銀が析出することもおうおうにあるので、まあ、そんなところだろうと自分でも納得していたのだが、銀なら「ヒゲ銀」のように割面にもう少し凹凸があってもよさそうなものだが・・と腑に落ちない疑問点も久しく残っていた。昨年、埼玉転勤の折り、鉱物の整理を兼ねて、ふたたびこの鉱石を取り出しまじまじと眺め直した結果、やはりこれはカロール鉱ではないかとの思いを強くした。コロコロとした結晶形、実体顕微鏡で拡大して見る正八面体を思わせるシャープな境界面は、堀秀道先生「楽しい鉱物図鑑A」所載の素晴らしい海外結晶標本を彷彿とさせる。いままでカロール鉱は、佐々連鉱山産でなければならないという単純な先入観だけで、端からそうではないと否定していたに過ぎないのではないか・・・考えてみると別子本坑も佐々連も同じ起源の鉱床だし、別子の鉱石からも副産物としてコバルトも回収されている訳で(普遍的なコバルト含有量は佐々連より別子の方が多い!)、カロール鉱が存在しても別に不思議なことではない。むしろ別子からカロール鉱は産出しないと断言するほうが不自然にさえ思われる。

別子でいままで確認されなかったのは、単に閉山時期の関係だけなのかもしれない。カロール鉱がいつ佐々連鉱山から確認されたかは、小生手持ちの資料だけでは不明だが、少なくとも昭和40年以前の鉱山誌や鉱産誌ではカロール鉱の記載は皆無である。本鉱のカラー写真で有名な「櫻井鉱物標本」も発行は昭和48年である。結局、佐々連で確認された頃は、すでに別子本坑は閉山間近であり、特別な記載もされなかったとも考えられる。一方、佐々連閉山は昭和54年、別子本坑閉山後も、富郷向斜を中心とした最後の探鉱が積極的に行われていた時期もあり、その産出鉱物の詳細な分析も行われたことであろう。そういった状況下で、はじめて正式に確認されたのではないだろうか?しかし、これはあくまで推測に過ぎず、今は記して後考を待つしかないが・・

 

さて、これが実際にカロール鉱かどうか?小生の持つ佐々連鉱山のものと見比べては見るが、あまりに小さくて判然としない。最終的にはホリミネラロジーの堀先生と井上氏に無理をお願いして蛍光X線分析をおこなっていただいた。結果は下記の通りである。

 

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定量的には、Co 1.45%,  Cu 46.9%,  Fe 19.5%,  S 30.2%  といったところである。「まあ、カロール鉱に間違いないでしょう。ターゲットが小さすぎるので、分析範囲が周囲の斑銅鉱部分も取り込んでしまい、濃度的にはやや希釈されているとは思いますが、それでも別子の平均コバルト含有量の4倍はあります。別子本坑にも含まれていることが確認できよかったですね。別に不思議なことではないですが・・。」とやや控えめではあったが、小生にとっては充分すぎるほど嬉しいコメントで、ほかのお客もいるというのに店内ではしゃぎ回ったのであった。「へえ〜、これが、あのカロール鉱ですか!?さすがは別子銅山ですね!」という見知らぬ方々の驚きと賞賛の声に包まれて、小生は、この見逃してしまうほどの小さな鉱物を、あらためて別子の誇りとしたのである。

 

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