各種鉱石(その2

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 今回は前回に引き続いて、別子鉱石の多種多様な種類についての解説である。別子の鉱石は、概して「塊状鉱」、「縞状鉱」、「脈状富銅鉱」に分けられる。江戸時代に採掘対象になっていたのは、主として「各種鉱石(その1」で列記した「脈状富銅鉱」の部分で、別子はその規模が大きいことから“遠町深鋪”と呼ばれる当時の鉱山の宿命的困難があっても、江戸期200年に亘って連綿と稼行できたのである。特に地表に近い上部坑では、自然銅をはじめ、輝銅鉱、赤銅鉱、孔雀石などの超高品位鉱が多量に存在していたという。今日、その荘厳な姿を見ることはできないが、往年に採掘されたわずかな標本に当時の様子を偲ぶことができる。

 

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                           (左図は「日本の鉱床探査」(日本鉱山地質学会)、右図は「銅」(岩崎重三)より転載)

 

 上図(左)は、別子鉱山14番坑道付近の鉱床断面図。名称も結構複雑であるが、2枚の塊状鉱(イヤ、アツバク)の間に縞状鉱(カハ)が挟在する様子が見て取れる。西部に分布する塊状鉱が何度も蛇腹状に折りたたまれた部分は特に品位が高く、大規模なハネコミが形成されていた。上図(右)は、その東部の詳細を示したものである。塊状鉱の上硫部分をイヤといい、下硫部分をアツバクという。縞状鉱の大部分はカハと称し黄鉄鉱と緑泥片岩が交互に重なり合っている。その間を縫って、上ノを中心とした脈状富銅鉱が並行する構造である。鉱床全体のV字状の特異的な構造は、元来一枚であった層状鉱床が根のない同斜状褶曲によって重なりあって形成されたため、と解釈されている(秀ら「日本の鉱床探査 1981年」)。この折れ曲がった頂点が“尖滅点”で、これを過ぎると鉱石の存在はまったく皆無となり寂寞とした結晶片岩が拡がるだけとなる。その意味では別子鉱山は、きわめて単純で境界明瞭な構造を持つ変成鉱床ということもできるだろう。

 

 以下に、塊状鉱と縞状鉱の古典的名称による分類を列記し、小生の所有する鉱石の1例をそれぞれに挙げておく。岩崎教授の「銅」(内田老鶴圃 昭和16年)の解説は、前回と同じく緑字で示しておいた。「銅」では、塊状鉱としてイヤ、アツバク、シロジ、メゴマが、縞状鉱としてカハ、イシジ、ガリが記載されているが、地下水の影響を受けた二次的な富銅鉱に属する上部酸化帯の鉱石も広義の塊状鉱に属すると考え、小生の独断で自然銅、輝銅鉱、斑銅鉱、黄銅鉱などを補足した。しかし、これらを同列に並べることには、鉱床と産出鉱物を混同する恐れありとして異論もあるかもしれない。記して後考を待つことにする。

 

名称

鉱石の1例

説明

自然銅

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自然銅とは銅の天然自然に産出し来るものなれば其性質吾人の平日見るところの銅と異ならず。其色赤銅なれども表面錆びて汚黄褐色又は黒に近き色を呈することあり。

 開坑当初は、露頭近くの上部坑で大量に採れたと伝えられる。今も露頭の褐鉄鉱中に小さく粒状に分布しているのを見ることができる。写真のような塊状のものから樹枝状、箔状と形態も多種多様。愛媛県下では、愛媛県立博物館、西条市立郷土博物館、マイントピア別子などで展示されている。中でも愛媛県立博物館の標本がもっとも立派だったが、愛媛県総合科学博物館に移管後、見ることができないのは誠に遺憾である。

輝銅鉱

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此鉱物も亦多くは第二次成にして酸化帯又は富鉱帯に多く発生す。本邦にては尾去沢、草倉、面谷等にて之れを見る。此等の地方、一つも結晶系を示さず常に集合体をなす。

 岩崎先生の説明のように、輝銅鉱は黒鉱鉱床に多く含まれているが、別子でも上部酸化帯において多産したと伝えられる。見かけ上は、まさに“消し炭”のような真っ黒な塊で、光沢もなく凡そ銅鉱石らしからぬ外見をしているが、銅含有率は優に80%を越える超高品位鉱である。ほとんど粉状、塊状で結晶を為す物は別子では確認されていない。黄銅鉱や斑銅鉱と連続的に移行する様子は神々しささえ感じられる。

斑銅鉱

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斑銅鉱の重要なる性質はその色にあり、元来此の鉱物の色、即ち鉱物を割りて新に得られたる断面の色は銅赤色より銅褐色の間にありと雖も其のものの空気に触るるや容易に変化して赤、青、紫、黒等の斑色を算するに至る。此故に本邦にては従来、紫蘇ノと称せらる。

 斑銅鉱は、脈状富銅鉱やハネコミに見られる高品位鉱で、銅含有率は4060%に及ぶ。上部坑では1mを越える塊状鉱として存在したという。250年史話では、「彼等が母岩より砕かれ落ちた富銅鉱の一塊・・紫蘇のやうな紫暗色に光る斑銅鉱であったらう・・その一塊を手に掴んだ時、どんなに躍りあがって喜んだことか。」と別子開坑の様子を伝えている。

黄銅鉱

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黄銅鉱は銅鉱物中にて最重要なる鉱物にして至るところの鉱山之を以て主要のノ石となし称して菜種ノと云ふ。是れ其色の菜の花に類し鮮黄なればなり。此鉱物の存在は已に銅鉱床章中に述べたるが如く或は結晶し或は塊状となり或は黄鉄鉱の間隙を充填す。

 言うまでもなく黄銅鉱は別子鉱山の主要鉱石。塊状、縞状を問わず黄鉄鉱と混在してキースラガーを構成している。純粋の黄銅鉱は黄金色が強く菜種のような深い色合いで、しばしば赤や紫の暈色を呈する。その色が複雑であれば“トカゲノ”、赤色が強ければ“紅ノ”などとも呼ばれた。ほとんどは裂罅表面の酸化が原因で内部は菜種ノのことが多い。

イヤ

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鉱床の上磐(上硫)に接して厚層をなし均一組織の黄鉄鉱粒より成れども肉眼にて結晶を見ること能はず。常に2%内外の珪酸と3%付近の銅を有す。昔は含銅少きを以て坑夫に嫌はれて採掘せられざりき。故に称して嫌と云ふ。

 これは「各種鉱石 その1」に掲載している“ハリガネ千枚”の標本で、それに接するイヤの様子である。脈状富銅鉱に接することから、イヤとしたが、或いはアツバクかもしれない。含銅率3%は、浮遊選鉱導入以降は充分な優良鉱石だが、江戸時代は谷間や廃坑にそのまま捨てられていた。戦後はそれらを全て回収して浮遊選鉱に回したという。

アツバク

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アツバクは厚ノにして鉱床の下磐(下硫)に接して厚層をなす。外観、成分ともにイヤに同じなれども幾分軟きが如し。其著しく軟くなりて細粒に分離し易きものをメゴマと云ふ。

 アツバクもイヤも性質や見かけはほとんど同じであるから同定するのはなかなか難しい。写真はアツバクを挟んで、上部は磁鉄鉱と石英片岩が、下部には薄層の縞状鉱が連続しているのがわかる。磁鉄鉱は上磐に濃集していることが多いので、イヤの可能性も否定できない。脈状富銅鉱は概して東部ではアツバクに、西部ではイヤに接して存在した。小さいながら、鉱床の様子がよくわかる標本である。

メゴマ

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 アツバクの項で述べたように、メゴマは塊状鉱が軟らかく細粒になりやすくなった状態で、アツバクとカハの境界部に存在することが多い。写真のように黄鉄鉱の小さな結晶を固めたようなザラザラとした感触で、色合いもアツバクに比べてさらに白っぽい印象を受ける。成分を見ても、平均含銅率は、イヤ3.47%、イシジ4.13%、カハ4.03%、メゴマ2.77%ともっとも少なく、逆に鉄分はイヤ42.74%、イシジ25.99%、カハ26.12%、メゴマ46.77%ともっとも多い。このことからも、成分のほとんどが黄鉄鉱で占められていることが理解される。昔は捨てられていた鉱石で、今もズリ場や川原によく転がっている。

シロジ

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前記イヤ及アツバクの両者中に含銅増加して色稍黄味を加へたるものを云ふ。含銅7%までとす。時としては其質、緻密均質、色は頗る白くして含銅高からざるが如くして実は含銅7%付近に至るものあり。

 冒頭に掲げた鉱石である。一概にシロジと言っても、色合いや構成物が均一ではなく、一部に品位の高い黄銅鉱や斑銅鉱を少量含む箇所も散在している。これらを含めた平均含銅率が7%ということなのだろう。この鉱石でも典型的なシロジは、左半分だけで光沢の強い黄白色の緻密な硬い鉱石である。稼行年代の古い銅山では、そのままズリ場に捨てられることも多かったが、別子では硫酸製造用として有効に利用された。

カハ

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皮の義にして上磐にあるところのイヤと下磐に接するところのアツバクとの中間にあり。黄鉄鉱と緑泥石と薄き交層をなし剥げ易し。又此中に多量の石英層を伴ふ。

 文字通り、縞状鉱の代表的な名称である。別子は規模が大きいので、一概にカハと言っても、写真の如き塊状鉱のようなレベルからミリメートル単位の薄層の積み重ねまで種類も多い。磁鉄鉱との交層はあたかも虎の縞模様に似ているので、「虎ノ」とも呼ばれている。上部や中部鉱床ではカハに並走して高品位な脈状富銅鉱も見られるので、昔から好んで採掘された。1mを越す分厚さでイヤとカワの続く別子鉱脈の巨大な姿は壮観である。下部鉱床では脈状富鉱帯はほとんど自然消滅した。

イシジ

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即ち石地はカハの一部に緑泥石減じて石英で硫化鉱の薄層を含むものを云ふ。此亦前者と同じく黄鉄鉱減じて黄銅鉱増し来ることありて変化して上鉱に近づくも此等に対しては別に異名を與へず。此イシジと前記のカハとは含銅甚区々にして極貧より稍富に至る。

 石英を多く混じる母岩に硫化鉱が散りばめられている状態である。石英の辺縁では、しばしば品位の上昇が認められ黄銅鉱や斑銅鉱化している場合がよく見られるが、惜しくもそうした硫化鉱自体の絶対量が少ないために独立した名称が与えられていないのだろう。今もズリ場でよく採集できるので、鉱物愛好者に喜ばれる品位の良い鉱石である。

ガリ

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ガリの意義明確ならず恐らくは不用物又は糟粕の義なるべし。脈石中に稀薄に黄鉄鉱を撒布せるものにして蓋しカハの一変種なり。縞状明らかならず。黄鉄鉱は大にして結晶の晶面明かに見らるべきもの多し。

 いわゆる鉱染状鉱で、精錬には無用のものとして捨てられていたが、浮遊選鉱の登場は含銅率0.06%以下に至るまでの回収を可能にした。戦後はほとんど、このような捨石同然のものも再利用したので、別子本山にズリ山や石捨て場はほとんど残っていない。その代わりに浮遊選鉱で排出される泥状の素石を用いた広大な湾岸の埋立地が誕生し、今は工都新居浜の正真正銘の礎えとなって市街地の地下に静かに眠っている。

 

 いかがだったろうか?一口に別子の鉱石といっても、その種類は極めて多く麻の如く複雑であることが理解していただけたと思う。今でこそ含銅量や他の含有鉱物の分析はいとも簡単に出来てしまうのだが、江戸時代には鉱石や鉱脈の様子で判断するしかなかった。かの「鼓銅図録」にも、「銅璞(ノ)を包環するの石、形状一ならず。棄置無用の物たり。其の璞に黄、黒、紫、赤、光、暗種々の別有り。銅を得るの多寡は亦異なり。然れば土性の均しからざる、一を執りて以て其の美悪を概するを得ず。璞を獲て細碎し、其の非なる者を揀(えら)び去るを、碎女(かなめ)と曰ふ。大凡そ、璞の美(よ)き者は、十にして銅一を得、賎しき者は二十にして一を得るに過ぎず。」とあるので、別子では含銅率が10%以上をおおむね上鉱としていたのがわかる。細かい名前が与えられているのも、それ相応の必要性があってこそと言えるだろう。

 

 まあ、難しいことはともかく、いろいろな場所や友人宅で鉱石を見て、それにどれほどの銅が含まれ、どのように呼ばれていたかを談笑するのは本当に楽しいことである。鉱物趣味を持ってよかったとつくづく思える時間でもある。あからさまに自慢してもいいし、思いっきり嫉妬し羨んでもいい。鉱物は嬉しい時も悲しい時も、無言の内に小生を慰め励ましてくれる。別子銅山はすでに過去のものだが、鉱物は今も銅山の昔を雄弁に語りかけてくれる。その思いの一端でも、拙い本HPで紹介できれば喜びこれに過ぎるものはないと思っている次第。・・・蛇足ながら・・・下写真は、数年前、某博物館の収蔵庫で、別子産の安四面銅鉱標本を特別に拝見させていただき喜び勇んでいるところ。今までに見たことのない素晴らしい標本に、歓喜と羨望と嫉妬の入り混じる複雑な心境ながら、小生の経験した中で最高に幸福なひと時でもあった・・・誠に楽しき哉、鉱物!

 

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