すべて売却すべし!

 

 

 これは、永井荷風の遺書の一節である。前文があって「蔵書類は、図書館などへは寄付すべからず。すべて売却すべし。」であったと思う。なるほど、その通りかもしれない。図書館の閉鎖書架の中で人知れず朽ち果てていくよりは、売り払ってでも、それを愛する人にふたたび蔵されるほうが、本も幸せというものである・・・鉱物も同じ事である。最近は、小生もそんな風に感じるようになった。今年4月に関東に転勤になり、四国も遠くなったなと感じると共に、そんな思いを抱かせた新居浜の2つの出来事がことさらに思い出されるためだ。10000アクセスを記念するにはちょっと哀しいが、少々グチを書かせていただきたいと思う。お許しいただきたい。

 

 【その一】

 突然の転勤、いままで集めた鉱物をどうしよう・・もちろん持って行くには多すぎるし・・買った標本も多いので人にあげてしまうのもちょっとね・・じゃあ寄付するか!・・でもぜんぶ寄付してしまうのも惜しいよな〜・・毎日、寝る頃になると同じ悩みの繰り返し。そんなとき、ある博物館のHPで「寄託」なる制度があることを知った。所有権はそのままに、その博物館に保存をお願いできるという願ってもない話。契約も更新制だし、場合によっては企画展で展示もしてもらえるという。いい話じゃん。輝安鉱は特に保存が難しいため空調が完備した施設で保管してもらえるなら理想的だ。よし!・・ある日、意を決して電話した。いままで何度かお会いしたことのある学芸員にお願いした。「小生の鉱物標本をすべて寄託したいのですが・・どんなものかはHPでご存じですよね。まあ、その価値があるかどうか一度、確認のためおいで頂きたいのですが・・。」「わかりました。お伺いします。日曜日でもいいですか?」「結構です。事前に当方にお電話いただければ、いつでも都合を合わせますので。」「そうします。・・ありがとうございます。」・・

 話は、それだけだ。電話の向こうの表情は測れないが、別に嬉しさとか驚きが感じられるお声ではなかった。そして、今に至るまで何の連絡もない。2ヶ月も過ぎた頃、あまりの“なしのつぶて”に、気は重いが再度、博物館に電話した。「○○先生をお願いしたいのですが・・」「少々、お待ちください・・・今、お部屋におられないので連絡がとれません。」「ポケベルや携帯でもダメですか?」「そんなものは使えません。館内にはおられると思いますが、連絡の取りようがないのです。よろしければ伝言をお伝えしますが?」「いえ、もう結構です。」・・ふ〜ん、こんなものか!博物館の趣意書には、第一に「地元の鉱物標本を中心に収集に努力する。」と謳っているではないか。あれは単なるお題目なのか!・・割り切れない思いがしばらく続いたが、結局、時間的にもせっぱ詰まった状態で実家の物置になんとか押し込んで慌ただしく関東に引っ越した。詰まるところ、博物館学芸員の優秀さと、収集に対する熱心さとは、別物なのだろうと思う。小生が学芸員なら、電話があったその晩にでも押し掛けていって標本を確認するだろう。また、そんな寄贈寄託依頼がいつくるかもしれないので、せめて自分の居場所はいつでも連絡できるようにしておくだろう。少なくとも寄贈者は最初の対応で熱意が感じられなければ、二度と連絡してくることはないだろうから。前にも述べたが、地元の博物館には、大学とは違う使命というものがおのずと存在するはずである。論文の数ばかりでなく、どれだけ地元の特産物を収集できたかは特に重要な評価対象であるべきだと思う。地元にはまだまだ貴重なお宝をお持ちの方も多い。お会いした、そんなある人は言う。「博物館に寄付?そんなことしても、あまり大事にしてくれないみたいだし、展示されないばかりか標本がなくなることもあるらしいし、意味ないですよ。やっぱり、自分の標本は輝かせてもらいたいしね。大事にしてくれる人に買ってもらったほうが、よっぽどマシですよ。」・・こんなことでは、地元の博物館にいい標本が集まる筈もない。このような噂や評価を払拭できるよう、地道な収集努力をこころから希望する次第である。自画自賛する訳ではないが、熱意さえあれば、数年間で、小生のHPに記載している程度の鉱物は、まだまだ、充分に収集可能であることを断言しておきたい。

 

  【その二】

 「千足山村誌考」という稿本がある。旧小松町千足山村村長 十亀縫之進氏の遺作である。いままで出版されたことはないが、今はことごとく廃村となった石鎚の山村を記録する貴重な記録集であり、原本は「小松温芳図書館」の金庫に大切に保存されている。ただ一般に供するため、ワープロによる全5巻の写本を司書室で閲覧することができる。小生は、この本の持つあまりの研究材料の多さに感動し、すべてをコピーしようとしたが、許可されなかった。それではと、一日だけ館外への持ち出しをお願いしたが、これも拒否された。仕方なく、何回も新居浜から通っては閲覧していたが、やはり不便なので、どうにかしてコピーしたいと粘りに粘ったが許可がおりることはなかった。唯一の希望は司書の方の次の言葉であった。「コピーは必要箇所以外は絶対にできません。その理由は、この本の版権が図書館にではなく、十亀さんにあるからです。もちろん、ご本人は亡くなられていますので、そのご遺族ということになります。」そこで、いろいろと自分なりに調査して、ご子息にお会いすることができ、ことの次第を説明。ご子息から図書館にご連絡いただいて、やっと無事、全巻コピーすることができた。しぶしぶではあったが・・・十亀家用と、新居浜の図書館用に一部づつコピーすることも許可された。ご子息にはとても喜んでいただき、小生も面目を施し嬉しかったが、新居浜の図書館はちがった。司書の方に「本を寄贈したいのですが・・。」「どれですか?」・・パラパラとめくりながら「・・ああ本じゃなく単なるコピーですね。お名前を帳簿に書かれますか?」「いえ、それはかまいません。」「じゃ、これで結構です。」その表情には何の変化もみられなかった。ただの事務的手続きのそれであった。“単なる“という言葉も冷たく突き刺さった。あまりのあっけなさに、得も言えぬ虚脱感に襲われながら図書館をあとにした次第である。

 本を寄贈したことを自慢したい訳ではない。この本の持つ価値をわかってもらいたかっただけだ。図書館がその稿本を蔵していないことはデータベースを調べてわかっていたから、なおさらだ。苟も図書館の司書というからには、せめて地元の郷土資料の価値についてくらいは、もっと勉強すべきではないかと思う。郷土資料は他の一般図書と同一に扱えないことは当然だが、況や蔵せざる史料をや!である。小生が司書なら、この資料をどうして入手できたのか、どこで手に入れたのか、また、他になにか資料を持っていないかなど別室に招き入れて詳しく尋ねるだろう。せめて図書館のしかるべき人に連絡ぐらいはとるだろう。見る人が見ればその価値は瞬時にわかるものだから・・それができないのは、やはり、その本の持つ価値がわからない(というか存在自身を知らない)のと、なによりも郷土資料に対する熱意がないからなのだと思う。そんな輩が図書館のカウンターにいる。それだけで他の本を寄贈しようという意欲もなくなってしまったのであった。

 

 熱意がないから、なにも集まらない。集まらないから熱意も生まれない。その悪循環を繰り返しながら、地元公立施設はこれからも凋落の一途を辿っていくのであろう。それはまた、コレクターの悲哀でもある。コレクターの夢は、自らのコレクションの私設博物館を作ること!でもそれは到底できないから結局、しかるべき施設に寄贈して「××コレクション」として名を残すことである。しかし、それさえも容易には叶えられない現実がそこにはあるのだ。双方の間に横たわる意識のすれ違いの溝は、今後も埋まることはないであろう。そして、結局は「蔵書一代」「蔵石一代」ということになる。本人が死ねば、コレクションは捨てられるか、売られるかのどちらかである。それなら売られてでも、再び愛する人の手に収まった方が良い。荷風の想いはそこにある。そして小生もまた同じなのだと、遠く置き去りにした鉱物たちの末路を案じながら、しみじみと一文をしたためてみた次第。