小生と本

 

 自分でいうのも烏滸がましいが、小生は本が好きである。現在の住処や職場、実家の物置に至るまで、小生が若い頃から買いあさったありとあらゆる本が捨てられることもなく積み上げられている。さすがに商売上?買わざるを得なかった医学書や雑誌類などは、度重なる引っ越しの際に処分した経験もあるので「本を絶対に捨てられない性格」とまでは自負することはできないのだが、しかし、こと趣味の本に関しては、いままで捨てたという記憶はどう頭をひねっても出てこない。

 小生は、若い時分、大学時代を通じて山口県で過ごした。山口はご存じのように明治維新発祥の地である。いや、思想的には「大日本史」の水戸だろう、そうではない、関ヶ原で臍を噛んだ薩摩だ、と様々な異論もあるだろうが、毛利氏の出自が公家の大江氏という特殊な事情を考えると、「尊皇」を掲げる大義名分が源頼朝以前にまで遡ることができるのは、毛利氏をおいて他にはあるまい。従って、山口県内には、関ヶ原以前から培われてきた独特の気質や文化が存在する。吉田松陰以後の華々しい回天の業も、根底に流れるその美しい流れに沿った当然の帰結として捉えられる訳である。余暇を利用してそんな史跡や博物館を巡る内に、もっと知りたいという衝動に駆られて本を集めだしたのが、本の収集癖のはじまりと記憶する。最初の頃は、普通の本屋に並んでいる新刊本を読んで満足していたのだが、このような本には必ず後ろに「参考文献」がついている。参考文献を見れば、もっと詳しくわかるのではないか?もっと別の事柄が書かれてあるのではないか?などと思いめぐらし、一旦そう思うとどうしても手に入れないと気が済まなくなるのが小生の情熱であり、また一番悪い性癖ともいえる。当然そのような文献の多くは絶版や稀覯本がほとんどで、入手先は必然的に古書店ということになる。県内では、古書店も少ないため、出張の折りを利用して東京の神田古書街で古書漁りをするのがお決まりのコースとなり、そのうちにそれが自分の一番の楽しみともなった。時を同じくして日本古書通信社より「全国古本屋地図」というガイドブックも発行された。全国の古本屋の位置が地図付きで紹介されているため、地方に出張の際にもとても重宝だった。同社より毎月送られてくる「日本古書通信」もさまざまな古書店の「古書目録」が毎号掲載されているので思わぬ本が割と安価で出ている場合もあり、雑誌が家に届いた日には何をおいても、それを最優先にチェックするのが常であった。今も古書通信だけは購読しているが、インターネットによる目録が主流となって掲載される古書店も次第に少なくなり、全国古本屋地図を持って訪れた多くの店もいつの間にか無くなっている現状を見ると、わずか20年前とはいえ、隔世の感があるのを否めることはできない。

 

 36才の時、愛媛労災病院に赴任してからはふとしたきっかけで近隣の山に登るようになり、四国の山に関する文献を当然のように収集することが次の目的となった。こうなると、以前の明治維新関係の情熱など何処吹く風である。「去るモノは日々に疎し」とはよく言ったもので、あれほど命を燃やしていた明治維新には関心がまったく薄れてしまい、必死になって収集した数百冊の文献も我が家では行き場を失って、今は実家の物置で永い眠りに就いている。結局、小生の情熱とはこの程度のものであり、熱しやすく醒めやすい性格があらわになっているようで、過去の本を見るたびに自分自身に嫌悪感を覚えるのも事実なのだが、しかし、今さらどうすることもできない。

 四国山岳文献は、明治維新関係よりもずっとマイナーなジャンルであり、従って収集にも相当の忍耐と苦労を要したが、それだけ手に入れたときの達成感も大きかった。例えば、「本川郷の山々」という本は、絶版になって30年、当時の村役場が国体の学生用に少部数出版しただけの小冊子でまず入手不能といわれていたが、どうしても欲しくて役場に掛け合うこと数度、結局、役場が根負けして2冊しか残っていないというのを譲ってもらったという、今思っても赤面の思いがする曰く付きである。松長晴利先生の「四国の山と谷」や「四国路の旅」なども長い間、手に入らなかったが、たまたま立ち寄った広島県の古書店に数百円の安価で並んでいるのを偶然見つけて、人目も憚らず大声で万歳を三唱した恥ずかしい思い出もある。また、130年前に発行された「石鎚神社先達用記」などは、今生でお目にかかるのはまず無理だと諦めていたが、なんとネットオークションに出品されているのを見つけ、終了延長時間にもうひとりの見ず知らずのライバルと死闘を繰り広げること1時間。戦い終わって、ふとわれに返ると、余りの高額の落札価格に茫然自失して給料日までどうして生活しようかと思案に暮れたこともあった。ところが、このように苦労して必死で手に入れた本でも、パラパラと一度荒読みしてしまうと、後は本棚に飾っておくだけということも少なくない。さらに自分でいうのもおかしいが、小生には同じ本を何冊も買う変な癖がある。北川淳一郎先生の「愛媛の山岳」などは10冊以上持っている。自分で価値ある本だと認めると、ほしい人に機会があればあげようという親切心が働いているのも事実だが、それ以上に他の人に取られたくないという独占欲が強く作用して、見かけるたびに買ってしまうというのも正直なところで、このように二律背反する心理が同じ「こころ」に同居しているのが自分の好きなところであり、また嫌いなところでもある。まさに漱石の描く「こころ」なのである。

 

 こうしてみると、詰まるところ、小生の趣味は、読書などではなく、鉱物と同様、本のコレクターなのだということになるのだろう。今述べてきた妙な独占欲をみても、それは一目瞭然である。また、読書好きなら別に図書館を利用する手もあるのだろうが、小生は手元になければ絶対に満足できないというのも、そのことを如実に物語っている。したがって冒頭の文も、本を読むことが好きなのではなく、本を集めることが好きなのである。じっさい、3年前に埼玉に移って登山をやめてからは徐々に山岳文献から興味が薄れてきているというのも事実であって、距離的には近くなったにもかかわらず、あまり神田古書街界隈もウロチョロしなくなった。まあ、四国で始めた鉱物趣味だけは依然続いているので、今も鉱物関連の本に関しては一応チェックしているのだが、さて、これもいつまで続くことやら・・自分の性分を考えると、漠然とした不安感に駆られることが最近は多くなったようだ。こうした何事も中途半端で移り気な性格ゆえに、結局は生涯の友も得ることもできず、五十路になっても何も大成できないのだという自責の念だけが強くなってきているのは返す返す寂しいことである。せめて本の収集と共生しあっている鉱物趣味だけは、生涯最後の趣味として大切にしてゆこうとは思っているが、子供のいない小生にとっては、こうした本や鉱物などコレクションの後始末をどうつけていくかということも、新たな悩みの種なのである。

 

 蛇足ではあるが、思い巡らして、小生のコレクション趣味の根本的なルーツを尋ねると、やはり父の影響が大きいようである。父は、中学校の数学教師をしていたが、趣味は郷土史研究であった。寡黙で人付き合いも下手(これは小生も同じである)だったから、積極的にその道の研究会や同好会に参加することも少なかったが、その欠点をひとり読書でカバーしていた。余暇の時間はほとんど読書で過ごし、手持ちの小遣いも大半を本代に費やしていたため、いつも可哀想なくらい金欠状態であった。40年以上にわたってコツコツ収集してきた香川県の郷土史文献は約千冊、書架にして5架程度であるが、そのほとんどが今は容易には入手できない稀覯本であることを思えば、やはり立派なコレクションだと思う。以前、整理の折りに、高松市が誇る「高松市立図書館郷土資料目録」と照らし合わせてみたところ、統計書を除く単行本ではその8割以上を蔵していたのには、さすがに驚いた。一般図書まで入れると優に数千冊以上の蔵書なのだが、父の死後、処分に困って、結局、これも物置で永い眠りに就くこととなった。まあ、親子で血は争えないということか!?しかし、父は研究成果を一冊の本に残しているから、小生よりはずっとマシである。本の収集はあくまでも自分の研究用であり、小生のように「本のために本を集める」ということはなかったのだから・・。そんな父も64才で、あっという間にこの世を去ってしまったが、人事を巡って教育委員会との葛藤で長い間悩んだり、定年後すぐに癌で手術を繰り返すなどその晩年は決して恵まれたものではなかった。さぞ、この世に未練も多かっただろうとも思うのだが、父が夢枕に立ったということは、その後の20年で一度もない。単に霊に鈍感なだけかもしれないが、曲がりなりにも小生が、父の趣味の一端を引き継いでいることに案外、草葉の陰で満足しているのかもしれない。だからこそ、小生の死後はともかく、わが生のある限り、本という同じコレクションを処分せずに共に管理をしてやることが、せめてもの親孝行だと自分なりに納得もしているのである。

 

 

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(実家の物置にある父の肖像画と香川県の郷土史関係蔵書の一部。今は誰も見る人とていない・・

肖像画の右下は坂出市開法寺出土の鴟尾破片。白鳳時代の複弁蓮華紋付きは四国唯一のものである。

讃岐最古の寺で、菅原道真の漢詩に詠まれている。菅公も見上げた鴟尾かと思うと限りなく愛おしい。

以前に県の文化財関連施設に連絡したこともあったが、何の音沙汰もなくここに埋もれたままである。)

 

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