愛媛県総合科学博物館

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 愛媛県新居浜市・・といってもほとんど西条市と接する高速インター近くの不便な山裾に建つ「愛媛県総合科学博物館」。小生が新居浜に越してきたのと時期を同じくして“鳴り物入り”で開館しすでに20年近くの歳月が流れたが、さすが黒川紀章設計の斬新な建築デザインは色褪せることなく、今もエントランスホールの美しいアポロニウス円錐が天を衝いてそそり立ち、科学への遙かな憧れを訪れる人々に抱かせてくれる。ただ変わったのは、以前は案内所や発券機、エスカレーター、各階入り口に花を添えていた若い女性のコンシェルジュの人数がめっきりと減り、ほとんど無人の域を最上の4階展示室まで足を運ばなければならなくなったことで、運営面も昨年4月から県の直轄から民間の「イヨテツケーターサービス」に移行したことを考え併せると、利潤を考えなければならなくなったハコモノ行政のツケを垣間見ることができる。そう思うと、美しい建築も古き良き時代の遺物のように見えてくるから不思議だ。

展示は4階の「自然館」と3階の「科学技術・産業館」に別れているが、今回の訪問(2011.1.7)は2年前に「愛媛県立博物館」を吸収合併して、愛媛の地質鉱物に関する展示が如何に充実したかをチェックするためで、特に県立博物館の正面に鎮座していた素晴らしい市之川産輝安鉱がどのように飾られているのだろうか・・と、不安と期待の混じるやや複雑な気持ちを抑えつつ順路に沿って4階から進んでいった。入ってすぐに上写真のようなガリレオとニュートンの等身大の大理石像?が出迎えてくれる。こういった像は科学の偉人達を頌え、身近に感じさせる古典的な方法として小生も嫌いではないのだが、座っている姿勢と、靴は履いてはいるがハダシの如き、上半身と妙に不釣り合いな細い足が今ひとつ威厳を損なっているように見える。また、寂しそうに唐突に入り口に座っているので、子ども達にとっては“変な怖いオジサン”としか映らないのも一因となっているかもしれない。昔行ったミュンヘンのドイツ博物館では大学者の小さな胸像が小生達を見下ろすようにそこかしこに飾られていて、控えめであるがゆえにかえってこちらが得も言えぬ敬虔な気持ちとなったのとは対照的である。まあ、最初から文句ばかり言っても仕方がないので先に進むことにしよう。ここから4階展示場の大半は宇宙と地球の成り立ちについての解説で内容もまずまず充実しているのだがここでは省略する。そこを過ぎると大きなティラノザウルスとトリケラトプスの等身大?模型があり、時間ごとに動くようになっている。博物館の中では最も人気の撮影ポイントでもあり、時間ともなると三々五々、家族連れが集まってくる。「今から2頭の恐竜の闘いがご覧になれます。」とアナウンスされるのだが・・ちょっと待て・・トリケラトプスはおとなしい草食恐竜でティラノザウルスの恰好の捕食対象ではなかったか?・・最強の肉食恐竜ティラノザウルスとは闘いにもならなかったのでは??・・と秘かに思いつつも、子ども達の嬉しそうな顔を見ていると、まあそんなことはどうでもいいか、ガンバレ〜、トリケラトプス!!と一緒に惜しみない声援を送った次第。

 

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 さて、そこを過ぎると遂に「鉱物ギャラリー」に到着。以前と同じ立派な外国産鉱物がブルー調のきれいなガラスディスプレイに整然と飾られている。唯一の変化は、上写真(左)のような愛媛県産鉱物の展示台ができたことだ。その一部を上から撮影したのが右写真。右隅には香川県丸亀市在住のM氏が寄贈した銅山川の砂金標本がひときわ光彩を放っている。そのほかは市之川鉱山と弘法師鉱山の輝安鉱標本が並んでいる。しかし、県立博物館にあった素晴らしい標本はどこにも展示されていないようだ。これはどうしたことであろうか?砂金の横の光沢を持つ2本の輝安鉱標本は、県立博物館廃止間際に外部から寄贈されたものの一部と記憶しているのだが・・せっかく国内有数の自前の標本があるのにそれらを1本も展示せず、寄贈されたものだけをあたかも部外品のように軽々しく展示する姿勢には一抹の疑問を抱かざるを得ない。さらに銅鉱石類に至っては一般的な別子のキースラガーが何点か並べられているだけである。県立博物館では、貴重な自然銅や大きな孔雀石をはじめ往年の斑銅鉱や黄銅鉱が所狭しと並べられていたのだが、これも収蔵庫に収められたままなのだろうか?逆にいままで見たことのない標本に大久喜鉱山の鏡肌(下左)と、五良津のルチル(下右)があった。鏡肌は見事なものだが、ルチルは採集品程度の小さな結晶である。説明も簡単な箇条書き程度に過ぎず、鉱物マニアにとっては少々物足りなさが残る。おまけに残念ながらこれで「鉱物ギャラリー」はおしまいである。これに比べると、続く「愛媛の生物」コーナーは、大きな生物界のジオラマやニッポンカワウソの剥製が広い部屋に並んで非常に充実している。各種標本類もとても多く、この博物館が生物系に力を入れているのが如実にわかる展示となっている。まあ、鉱物だけが愛媛の特質ではないので自分の趣味の“色メガネ”で博物館を評価するのはどうかとも思うが、博物館の趣旨に「鉱物標本を中心に収集する。」と宣言していた割には、マイントピア別子にも及ばない展示の少なさに失望する来訪者も多いのではないかと心配するのである。(「鉱物標本を中心に・・」という表現も新たな博物館の中期運営計画では、「生物・地質標本を中心に・・」と改められた。文面にも表現の後退がみられるのは残念なことである。)

 

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 続く3階は「科学技術・産業館」で、科学博物館としては東京のそれと比較しても遜色のない素晴らしいものである。それは小生も率直に認め賞賛しているのだが、産業館の奥まった一角にある再現坑道は、数年前とほとんど配置や内容物も変わっておらず若干の寂しさを感じざるを得ない。下写真(左)は別子銅山歓喜坑のモノクロ写真と切羽に於けるダイナマイト装填の再現坑道。おそらく諸兄はマイントピア別子などで、坑夫がセットとノミで採掘している姿をよく見かけられるだろうが、ここはなぜかダイナマイトの場面である。なるほど明治時代の科学技術を強調しているのだなと思いながら横を見ると、江戸時代の原始的な水抜き樋が横たわり、その傍らには別子銅山ならぬ市之川鉱山の輝安鉱標本が展示されている(下写真右)。多くを展示しようとする余り、かえって散漫なイメージとなり、別子と市之川が入り交じって初めての来訪者には極めてわかりにくいのではないか・・この場所にこそ各種銅鉱石の産出標本が似合うのではないかとも感じるのだが、それらしき展示品もなく、他の来訪者も足早に通り過ぎていた。余りに収蔵品を出し惜しみする余り、貴重なリピーターを数多く逃しているのではないか。少なくとも県立博物館に展示されていた標本類はすべて常設展示にしなければ、はるばる訪れるリピーターの不満も大きいだろうと思うのである。特に県立博物館の標本は、県民のためにと、八木繁一先生や永井浩三先生をはじめ愛媛の諸先輩が苦労して収集された公開用の標本なので、収蔵庫でこっそり保存することは先生方のご遺志に沿うものでもなく、一刻も早く昔のように全て展示していただくことを願ってやまない。

 

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 以上、なんだかんだ言っても見るべき内容は多く、足早に全部を回るのにも2時間近く費やしてしまったが、予想通り、鉱物関係に関してはまだまだという印象であった。愛媛県立博物館関係の標本がほとんど展示されていないのはやはり不満が残るところである。これは学芸員の専門性も大いに影響されているのだろうが、もう少しなんとかならないものだろうか。企画展・特別展も、平成11年の「愛媛の鉱山」、平成12年の「別子銅山と産業遺産」以降は、鉱山写真展を除いては特に開催されておらず、博物館全体のテーマが、地元中心から子供の科学実験や宇宙方面に移ってしまったかのような印象は否めない。もうひとつ、大きな不満は、博物館が創設されて以来、阪神大震災や芸予地震などの大きな災害を身近に経験した県にしては、そのような地球物理学的なテーマがなにもないことである。おまけに博物館が建っている場所は中央構造線の直上である。これほど地の利を得た博物館も他にはあるまい。有史以来、不気味な沈黙を保っている日本最大の断層が横たわる愛媛の地質が如何に日本列島の形成に中心的な役割を果たしているかを来訪者に知らしめることが、この博物館の当然の義務とも思われるのだが、今回の訪問ではそれを啓蒙しているような印象は片鱗も感じることができなかった。本当にこれでいいのだろうか?

 2011年3月、東北の太平洋沿岸はM9.0というとてつもない地震と津波に襲われ壊滅的な打撃を受けたが、それ以上にショックだったことは、絶対に安全と言われていた原発神話が脆くも崩れ去った事実である。四国にも伊方原発が中央構造線上にあり、おまけにプルトニウムを用いたプルサーマル発電を採用している。これが地震で損傷すれば福島以上の深刻な事態になることは容易に想像できる訳だが、県民はそのような“想定外”に対する心の準備ができているのであろうか?心の準備をするためには、まず“知り”、“理解”しなければならないが、博物館はその役割を全うしているのであろうか?

 そこで浮上してくるのが、愛媛県総合科学博物館の「ジオパークミュージアム」化である。といっても、愛媛がジオパークに指定されている訳ではない。日本のもうひとつの背骨ともいうべきフォッサマグナはジオパークに指定されミュージアムまで完備しているのに対し、西日本は何ひとつ指定もされていないのだ。これは科学にとっても片手落ちであるばかりでなく、愛媛における科学行政のお粗末さという恥を世界に曝していることにもならないだろうか?せっかく素晴らしい博物館があるのに中央構造線の意味について何ら展示がなされていないのは、やはり大問題と思うのである。もちろん全館とは言わないが、せめて1フロア程度を確保して、中央構造線とは何か?から始まり、その生い立ち、地質上の特徴、人類の受けた恩恵と被害、断層の動く時、そして中央構造線と運命を共にする日本の未来・・などを時系列的に解説することは、今から生きる若い人達にとって必ず知っておかなければならない基礎知識であると考えている。館内に散在している愛媛の鉱物、鉱山関係もこのコーナーの中でまとめて展示すれば非常にスッキリするだろう。日本の繁栄を根底から脅かす今回の未曾有の国難から、何も学ばず、何も変わらず、何もしない者がいたとすれば、それは単なる阿呆である。それが教育者や学者ならなおさらである。「今度はあなたの番だ。」と著明な地震学者が言っていたが、日本で安全な場所などもはやないのであって、東南海地震が明日起こっても何ら不思議ではないまでに立ち至っていることを、我々もよく理解しなければならない。いままでは国策としての原発にあからさまに警鐘を鳴らし、その原因となる断層についての展示を県として控えていたのかもしれないが、この期に及んで何を遠慮することがあるのだろうか。もっとも身近な県民の危険やリスクを広く知らしめることこそ博物館の第一の役割と感じているのは小生だけではあるまい。今後、地質関係の学芸員を増やし、地質鉱物関係を充実させることこそ、愛媛県総合科学博物館の喫緊の課題と思われるのである。その意味では、この博物館の入り口を飾るものは、ガリレオやニュートン像よりも寧ろ、巨大な断層が一直線に走る四国の大きな衛星写真であるべきかもしれない。

 

 最後にエントランスホールに戻ると、子供の研究発表が数多く展示されていた。その中に「関川の岩石と鉱物」と題された入賞作品もあった。子ども達にとっても、地元で採れる岩石や鉱物は大きな興味の“源泉”なのだが、今の博物館の内容は彼等の好奇心を満たすに充分な展示になっているであろうか?さらなる知識を充たす学習が可能な内容になっているであろうか?聞くところによると、中予の「こども自然科学教室員」が25名にまで減少しているそうだが、松山の子供から県立博物館を取り上げてしまった影響もさりながら、子供の興味と博物館のテーマが解離していることも大きな原因のひとつかもしれない。ここに紹介した小さな興味の芽を摘んでしまわないためにも、そして、将来の愛媛を救ってくれる人材を育成するためにも、ガリレオならぬコペルニクス的転回が今の博物館には求められているのではないだろうか?

 

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