6月30日(日)

 黒と赤で描かれた「VAN」の文字が茶色の地に映える紙袋を街で見かけ、「かっこいい」と思ったのは中学生のころである。今治の銀座商店街をうろうろすると、「ヤツヅカ」という店に大きな「VAN」のステッカーが貼ってある。服のデザインは、アメリカンテイストが色濃い「アイビー」というファッションで、アメリカ東部にある大学群の意味だとあとで知った。
 小遣いをもらってすぐ、「ヤツヅカ」に行った。どの服もかなりの値段がする。中学生が買えるものといえば、キャンバス地のデッキシューズくらいのもので、「スニーカー」と呼ばれていた。1,000円台の値段だったと思うが確信できない。徐々に値上っていったので、はっきりとした値段を覚えていないのだ。
 ゴム製の底が厚く、ソールの上の赤いラインがアクセントとなっていた。土ふまずの場所がスポンジで盛上がり、かかとの部分に「VAN」のゴム文字が貼られている。その按配が、少年の心を魅了した。
 製造は「月星シューズ」ではあったものの、初めての「VAN」製品を履いて、意気揚々と学校に出かけた。坊主頭と「VAN」のスニーカーは、少しばかり釣り合いがとれにくかったようだ。

不似合いの靴輝いて新学期
7月1日(月)
 高校2年の誕生日。親に頼んで誕生日に革の靴を買ってもらった。コインローファーは高かったので、デザートブーツにした。値段が3,800円だったことを、今でも覚えている。
 靴底に、VAN・REAGALと刷られている。皮といっても、なめしたものではなく、毛羽立った皮だ。「バックスキン」は、裏皮ではなく、鹿の皮という意味である。VAN・REAGALのデザートブーツが、鹿の皮だったかどうかは、今となってはわからない。それから、デザートブーツは、お気に入りのアイテムとなった。
 ロサンゼルスに行ったとき、リトルトーキョーの土産物屋にあった98ドルのデザートブーツである。懐かしくて買ってしまったが、年に1回履くかどうかという状態で、靴箱のこやしになっている。
黄砂降りデザートブーツで防御する
7月2日(火)
 VANのステッカーを鞄に貼るのが、中学生の間で流行った。シールをVANでは「ステッカー」と呼んだ。その新鮮な響きは少年の心を魅了した。VANのロゴタイプは、ステンシル体という輸送用の木箱に刷り込まれた文字がモチーフになっている。
 「ヤツヅカ」では、服を買うとステッカーをおまけにくれる。おそらく、中学生の鞄に貼られたステッカーは、兄や親戚からもらったものを使ったのだろう。中学生で「ヤツヅカ」で服を買うのは、少数の人間に限られていた。
 丸い「VAN」のステッカーには「for the young and the young-at-heart」というスローガンが書かれている。社名は「VAN JACKET INC」だが「VAN ヂャケット」と日本語で書く。もちろん「VAN」は「ヴァン」と書いた。
 しばらくすると、「JUN」のステッカーも人気となった。「ヤツヅカ」は、JUN製品も販売していた。のちには、ヨーロピアンのデザインとして知られるようになるファッションブランドだが、今から40年近く前には、アイビーのデザインも出していた。JUNのボタンダウンシャツを買ったこともある。ただ、脇は少しばかりシェイプして、身体にフィットするようにつくられていた。
平べったい鞄に貼ったVANの文字
7月3日(水)
 VANは、多くのノベルティを用意していた。特定の期間に服を買うとキーホルダーやマグカップがもらえた。キャンペーンのロゴが入ったトレーナーをワゴンで販売していたこともあった。
 よく貰うのは、スポーツの写真をレイアウトしたB1版の大きなポスターである。「Come on Sportsman」というキャッチフレーズが入っていた。壁に貼るととても迫力があり、その部分からアメリカンテイストが発散させていた。
 「ヤツヅカ」は、VANだけではなく、他のファッションブランドも扱っていた。印象に残っているのは「EDWERD'S」の伊坂芳太良のポスターだ。サイケデリック調の服に身を包んだ人物の髪を一本ずつていねいに描いていた。題材は当時の最先端ファッションなのに、どこか和の雰囲気が漂っていた。一時期、「ビッグコミック」の表紙も担当していたから、懐かしく思い出す人もいるかもしれない。
 ウィキペディアを見ると、1970年に42歳で亡くなっている。これからという時期に早世したのは、無念だったろうと想像する。
ポスターを眺めて故人を振り返る
7月4日(木)
 アイビーファッションには、細かいルールがあった。
 「オクスフォード」という粗い生地でつくられたシャツに、柔らかい襟のボタンホールに小さなボタンを入れて襟を留める「ボタンダウン」というスタイル。シャツの背は、ボックス状になっていて、小さなループが取り付けられている。襟の背にもボタンがつけられる。
 ジャケットは、三つボタンである。一番上のボタンは留めず、真ん中のボタンだけを使う。背のベント(裾の切れ込み)はL状になっていて「フックベント」といった。
 靴は、コインローファーかウイングチップ。コインローファーは、靴ひもがなく、甲の部分に切れ込みが入り、ここにコインを挟むことができるので、この名がついた。ウイングチップは、「おかめ」とも呼ばれ、つま先に飾りがついている。これらのファッションを、清潔に着こなすのが「アイビーファッション」である。
 スラックスを下げたり、少し下品に着ると「ヤンキー」となった。今では「ヤンキー」と呼ばれる人たちも絶滅しつつあるが、もともとの意味はアメリカ人の俗称である。
アイビーのルールを尊守した時代
7月5日(金)
 今治時代、バーゲンは女性服に限られていると思っていた。
 京都のミッション系私立大学に入り、京都での生活がはじまると、VANのバーゲンがあることを知った。1階にマクドナルドが入店していた四条新京極の近くの「藤井大丸」のバーゲン広告が新聞に載っていたのである。「藤井大丸」は、ヤングバーゲンと銘打って、VANやJUNなどのロゴを散りばめた広告を掲載していた。
 バーゲン期間は、70%や50%でお気に入りの服を買うことができる。仕送りのお金だけでは、なかなか服を買うことができないので、バイトをはじめた。旅館の手伝いを皮切りに、飲み屋の調理や炉端焼きなどを体験した。
 バーゲンを利用したのは、もっぱら河原町のBALビルだった。VANよりワンランク上のシャツメーカー「GANT」のボタンダウンシャツ、エルボーパッチのついたツイードのカントリージャケットを買ったこともある。バーゲン品だと思われたくないので、次のシーズンに着た。帰郷した際にもバーゲン品が活躍した。
バーゲンの服をしまって次夏に着る
6月6日(土)

 大学2回生の頃、大学の生協でサマースーツを買った。「JOEL」というブランドで、三つボタンのアイビーモデルである。黄色で、ポプリンという薄手の生地が使われている。ジャケットでも使えるよう、スラックスが別売りされていた。色番をあわせて、スーツにした。
 その服を下ろしたのはゴールデンウィークだった。京都を訪ねてきた女友達の夜の案内に、恰好をつけてサマースーツを着たのである。三条河原町の露地を入った所にある「田園」という洋酒喫茶で、酒を楽しんだ。
 酔いが少し回った頃、煙草の先がスラックスに落ちた。「熱っ!」と思ったら、スラックスに焼け焦げができていた。騒いでは沽券に関わると思い、焼け焦げを隠して酒を飲んだ。初めて着たスーツがもったいないなと思いながら…。
 ズボンは捨て、スーツの上着にチャコールグレイのスラックスを合わせた。通常のスーツなら、上着を他のスラックスに合わせると、ちぐはぐな印象を与えるが、もともとジャケットで売られていただけに不自然さはない。そのことだけが、ありがたかった。

焼き焦げてスーツの上着をジャケットに
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