黒森山

[所在地]愛媛県新居浜市

[登山日]2000年5月7日

[参加数]3人

[概要]新居浜市の南西に突兀と聳える黒森山。霊峰笹ヶ峰を守護する仁王の如きその巨大な山体は、新居浜岳人の心の「拠りどころ」である。笹ヶ峰を「石鎚山」として奉ずる往生院正法寺(新居浜市大生院)。当山の先達行者によって、この黒森越えの参道は今も守られている。しかし、その行程には多少の変遷があったようだ。戦前は大野山から傾山を越えて堂ヶ成に至る、いわゆる「中萩道」が表参道としてもっぱら使用されていたが、現在は廃絶して薮と化している。4年前の登山でも大変な苦労を余儀なくされた。最近は愛媛鉱山跡から鉄塔道を利用して堂ヶ成に至る渦井川源流コ−スが整備されている。堂ヶ成は黒森山北西の1607m小ピ−ク付近の平坦地を言い、往古は堂宇が建立されていたという。ここに「権現さん」と呼ばれ親しまれている石仏が2体あって、道はこの石仏に向かって正法寺からずっと続いているのだ。権現さんから頂上までは尾根上の快適な道。黒森山上は第1から第3ピ−クまでアップダウンが激しいが、かなり充実した達成感が楽しめるだろう。

[コ−スタイム]

 大野山車デポ(6:00)―愛媛鉱山跡(7:00)―林業小屋(7:50)―

  233番鉄塔(8:50)―堂ヶ成権現(10:25)―山頂(11:40)・・昼食・・

  発(12:45)―車デポ(16:00)

[登山手記]連休最終日。あいにく前線の通過が予想され天気は良くありません。雷注意報まで出ています。いつもの事だ、と半ば諦めつつ、西条インタ−チェンジ東の国道11号線沿いにある「ママイ(M2)」の所から南に折れ、渦井川に沿って山道に入っていきます。途中、名瀑「銚子の滝」分岐を過ぎ、廃村となった大野山を進むと突然、車両通行止め!となってしまいます。仕方ないので車を捨てて舗装道路を辿ること30分余りで水平の林道が交差する三叉路に到着しました。水平林道は「鹿森−吉居線」と呼ばれ、かなり延長されていますが両端とも行き止まりの状態です。ここで、一枚の地図を拡げて今からの行動を再確認します。この地図は、数日前、正法寺のご住職からいただいた物で、堂ヶ成(権現さん)までの道筋が詳しく記されています。特に前半は、鉄塔道を辿っていくようご住職から教えていただきました。ここで、出来れば2万5千分図「別子銅山」を広げてください。黒森山頂から鹿森ダム西の「辻ヶ峰」まで長大な尾根が張り出しています。「シャクナゲの尾」と呼ばれています。この尾根上に登山道があることは、よく知られていて、鉄塔道をそのまま進むと多分、1387m付近のクロスポイントに出るだろう。そのまま尾根上を辿って頂上に至る、即ち、権現さんへは至らず、鉄塔道のみを利用してシャクナゲの尾から最短に頂上を極める、というのが当初の考えでした。これが幸いしました。結局のところ、途中から権現さんへの道に変更することになるのですが、今日のコ−スは、途中、分岐が多く、訳のわからないピンク色のテ−プがあちこちにぶら下がっていて、心理的に迷いやすい場所があります。迷わず鉄塔巡視用の小さな標識に従って、まず233番鉄塔方向に進まれることをお勧めします。鉄塔直前に「権現さん」への分岐(標識あり)があります。

 さて、林道からまっすぐ進むとしばらくは幅の広い山道。ちょっと急登したところから右手の小径にはいります。ここは赤テ−プを巻いておきました。まっすぐ行っても愛媛鉱山に辿り着くのかもしれませんが・・。小径は植林帯を一直線に登っていて次第に息が切れてきますが、長くは続きません。10分ほど辛抱すると再び幅の広い水平道に飛び出しました。左手に少し進むと石垣の残る「愛媛鉱山跡」に到着です。ここは別子銅山と同じ含銅硫化鉄鉱床で、住友鉱山ではなく日本鉱業が大正13年から稼行していました。今、その繁栄を偲ぶものは何も残っていません。小さな横道が至る所にありますので探検してみたいところですが、時間的余裕がないため先を急ぎます。道は次第に沢に向かって降りて行きます。途中、小さなガレ場を通り過ぎますが、これはただのガレではありません。鉱山の廃石を捨てたズリ場です。そこに散乱している表面が茶色の重い石を割ってみて下さい。中は金色に輝いているはずです。これがキ−スラガ−と呼ばれる含銅硫化鉄鉱です。キリンラガ−ではありませんので、くれぐれもお間違いなく・・と馬鹿な事を言っている間に沢に到着。以前懸かっていた木橋は跡形もないため注意しながら徒渉するしかありません。増水時は少し注意が必要です。渡ると再び山道が続いています。しばらくは沢から離れたり近づいたりしながら高度を稼いでいきます。

石畳風の道を登り、再び沢の左岸に渡ったところには立派な住友の「林業小屋」があります。戸口が壊れてはいるものの雨露は充分凌ぐことができます。夏場は蛇が出そうで一寸入ってみる気にはなりませんが緊急時のビバ−ク場所として心強い存在です。中間地点としてゆっくりと休憩していきました。ここを過ぎたところに「権現さんへ」と記された木標があり一安心です。沢を渡り右岸へ。植林帯を一登りで、再び沢へ。この辺りは渦井川の源流で水量は少なくゴロゴロの石伝いに自由に登っていきます。右手には傾山が見上げるように雄大に聳えています。左岸に渡ると山道の急登にかかりますが、ピンク色のテ−プがここかしこに懸かっていて迷う要因となっています。鉄塔巡視の表示を頼りに233番鉄塔方向に進んで下さい。古い石垣が残っている場所は三叉路になっているため特に注意が必要。ピンクテ−プの方に進んではいけません。帰りにも充分注意してください。ここを過ぎるとあとは確信を持ってしっかりした山道を突進していくのみです。最後の大きな沢筋を右岸に渡ると、ジグザグのつづら折れの単調な登りが続き、次第に稜線らしきに達する辺りに「権現さんへ」の標識を再び発見することができるでしょう。それを無視してなおも真っ直ぐに行くと、ほどなく233番鉄塔に到着です。東側に視界が開けているようですが、あいにくのガスで何も見えません。このまま鉄塔道を突き進んでいくか、それとも少し引き返して「権現さん」への道を選択するか思案のしどころです。もし晴れていて「シャクナゲの尾」が眼前に確認できれば躊躇せず、まっすぐ進んでいったでしょう。しかし今日は「教えてもらった通りに行った方がいい。」という不安げな女性軍の忠告を素直に受け入れ、少し引き返して「権現さん」ル−トを選択しました。

しばらくは、心細い横掛け道に終始します。小さな、それでも急なガレ場を三、四カ所通過して、この付近が本当の渦井川の源流であることが容易に認識されます。ひとたび大雨でも来ると無くなってしまいそうな悪路ですが、正法寺の行者様が一週間前に付けたという、銀色のテ−プが要所要所にあって迷うことなく「堂ヶ成」まで私たちを誘ってくれます。ピンクのテ−プはダメですが、キラキラ光る銀色のテ−プはどうか安心して信じて辿って下さい。とはいうものの、地図上では近そうに見える「堂ヶ成」までなかなかたどり着けません。横掛け、急登、そしてまた横掛けの繰り返しです。アケボノツツジやミツバツツジの大きな花が、次第に疲れてきた私たちを慰めてくれます。最後は、銀色のテ−プに従いつつ斜面の直登です。見上げていた傾山が少し見下ろせる位置となる頃、ようやく斜面を登りきって傾斜が緩くなり、ゆったりとした平坦地に飛び出しました。遂に「堂ヶ成」に到着です。笹ヶ峰信仰登山盛んなりし頃は「お籠もり堂」が臨時に建てられ、大いに賑わったと伝えられています。今は流れていく霧の彼方に、その幻を追うのみです。平坦地を突っ切って稜線に駆け上がると、そこには懐かしい二体の「権現様」があのときのままに在していました。笹ヶ峰頂上に遷座しようとしたところ、それを荒々しく拒んだという逸話を持つ荒ぶる神様ですが、見た目はユ−モラスな可愛らしい権現様です。お供え物と持ってきた水を捧げて、ゆっくりとお参りしました。「これからも、どうか健康で山登りが続けていけますように・・・。」

 ここから頂上までは狭い稜線上を適当に登っていきます。途中、K女史の足が攣って、慌てましたがなんとか回復してくれてホッとしました。ゆっくりしたペ−スで、まず第3ピ−クに到着。山上は結構アップダウンが激しく苦しいですが最後の頑張りどころです。木の根っこや枝にすがりながら急斜面を登りきって、11時40分、あこがれの黒森山山頂着。雲は多いものの笹ヶ峰から平家平までの大展望。東側は大きく切れ落ちて、住友重機の「大永山荘」の赤い屋根が足下に沈んで素晴らしい高度感です。その後ろには赤石連峰がどこまでも霞んで、6時間かけて登ってきた甲斐があったというものです。誰もいない山頂で3人ガッチリと握手して完登を祝いあいました。なんといってもいままで天気があまり崩れなかったことが最大のラッキ−であったと思います。時間が許せば、このまま沓掛山を越えて笹ヶ峰まで縦走したいところですが、明日からはまた仕事が始まるため、泣く泣く元来た道を引き返していきました。第3ピ−クで簡単な昼食。権現様に戻る頃から急速にガスがかかり始めました。いままでの上天気が嘘のようです。雨が降らないうちに出来るだけ下ろうと下降し始めたとき、凄まじい雷鳴が轟き渡りました。ゲッ!ヤバい!やっぱり天気予報は当たっていたのか!と頭の中が真っ白になりましたが、猶予は許されません。あっという間に夕暮れのような薄暗さが周囲を支配して、雷雲のまっただ中に置かれてしまったことがわかります。足早に進もうとするのですが、悪路のため、なかなかはかどりません。閃光と雷鳴の繰り返される中を怯えながら黙々と下山を続けました。二人の麗しい乙女を被雷させてしまっては私も生きて帰ることはできません。「権現様、どうか私たちをお守り下さい!」と祈り続けるしかありませんでした。雷鳴は凄まじいものの雨にはほとんど遭わないまま、やっと林業小屋まで帰還。このあたりから下界の視界が開けてきました。雷雲から逃れることが出来たのです。ヤレヤレ!一安心です。精神的にも余裕がでて、「愛媛鉱山跡」ではキ−スラガ−鉱を探してお土産にしました。山上はまだまだ暗雲に包まれて雷光が光っているのが遠望できましたが、それを見ながら、のんびりと大野山まで帰っていきました。

 山から下りると路面が一面に濡れています。同時刻、新居浜は一寸先も見えないほどの豪雨に見舞われていたとのこと。私たちは最後まで不思議に濡れずに帰ってくることができました。これも霊験あらたかな「権現様」のお陰!と雲の彼方になってしまった「堂ヶ成」に向かって、改めて手を合わせてお参りしました。