東赤石〜権現越

[所在地]愛媛県宇摩郡土居町、別子山村

[登山日]2001年6月16日

[参加数]4人

[概要]土居町五良津谷から北斜面を東赤石に登り、稜線沿いに権現越に出て、北側に延びる鉄塔保線道を下って登山口に戻る周遊コースである。9月に「第6回国際エクロジャイト会議」の巡検が、権現越で行われるため、その下見も兼ねて辿ってみた。権現越の権現岩には、法皇山脈の名の由来となった「法皇権現」が祀られている。法皇とは、白河法皇のことで、土居町に語り継がれる伝説はこうだ。「・・昔、五良津に杣の平四郎という名杣師がいた。(天狗との話は、「東赤石山」2001年1月27日の項、参照)法皇が三十三間堂を建てることになり、都に出た平四郎は、天狗直伝の「鷹の羽交い」という神業を披露し人々の賞賛を浴びる。このことが上聞に達し、法皇から、「日本一」のお墨付きと短刀を拝領した。伊予に帰った平四郎は、今日の自分の名声はひとえに五良津の天狗のおかげであると、お墨付きと短刀を山の頂上に祀り奉ったと伝えられる・・」一方、南の別子山の人々は言う。「・・あの神様は、とても霊威が強いから、ヘタにお参りするくらいなら素通りした方がまだマシだ。お前達も気をつけることだ・・」と。さすがは赤石山脈の総鎮めの神様。千年経っても、人々を畏怖させる力は少しも衰えていない。

[コースタイム]

 登山口(9:20)―鉱山分岐(11:30)―赤石越(13:00)―東赤石(13:15)

  ・・昼食・・発(14:15)―権現越(15:20)―登山口(17:30)

[登山手記]どうしても北斜面から東赤石に登ってみたい・・五良津谷からのルートは、アプローチの便利さや冬季登山に便利なことなどから当然知っていなければいけないのですが、今まで3回ともトラブルのため成功していません。今回は、9月に向けて、権現越から五良津登山口までのルートの状態を確認しておくことも兼ね、”必勝”の決意で計画しました。おなじみのK君の愛犬「ハル」も一緒です。登山路の紹介は、昭文社の「山と高原地図 石鎚山(清家一明先生著)」の冊子に詳しく書かれています。ご参照ください。ただ、登山口までの林道は途中で崩壊していますので、40分ほどの林道歩きを余儀なくさせられます。登山口に9:20到着。上りはじめは雑草が生い茂り、蜘蛛の巣だらけで不快です。その上、蒸し暑くやりきれません。ブツブツ言うH女史をなだめつつ、ゆっくりしたペースで登っていきます。鉱山分岐までは慣れた道。氷穴を過ぎたところの朽ちた桟道はすべりやすいので充分注意してください。ここからも単調な山道が続きます。山神様の祠を過ぎ、次第に傾斜が急になってきますが、黙々と耐えて登るしかありません。8合目あたりから周囲の木々の背が低くなってくるのですが、道は悪路となってきました。倒木を乗り越えたり、むき出しのカンラン岩を滑りながら身を引き上げていきます。よく冬にこんなところを登ってきたものだと感慨に浸る頃、ちょっとした平坦地にでました。見覚えのある地形。1月の登山はここで道を見失ったのです。横掛けになっているため、深雪の吹き溜まりに阻まれてしまったのでした。この平坦地は、旧赤石鉱山の索道基地跡です。カンラン岩が石垣状に積まれ、すぐ近くに水場もあります。晴れておれば北の展望も良さそうで絶好の休憩地点ですが、あいにくのガスで何も見えません。残念!ここを過ぎると最後のふんばりどころです。急斜面の直登、直登!咲き残ったシャクナゲの花にやさしく慰められながら、やっとのことで赤石越着。13時。そのまま進んで東赤石に到着です。ガスが多いものの雲湧く八巻山の勇姿は、とても素晴らしいものでした。

ゆっくりと昼食のあと、東に延びる細道を辿っていきます。少し下ったところに真新しい「三等三角点」が埋設されていました。ここの三角点は「まぼろしの三角点」といわれ、40年ほど前から行方不明だったのですが、この度、地籍調査のため、新たに埋設し直されたものです。このあたりから次第にガスが深くなってきました。道もところどころ不明瞭ですが、稜線沿いに進めば、まず迷うようなところはありません。大きなカンラン岩がゴロゴロしていて、ちょっぴり岩稜のアルペン気分が満喫できます。カンラン岩をよく見ると、黒い鉱物が墨状に入っています。これがクロム鉄鉱です。稜線では風化のためクロム鉄鉱だけが、くぼみに溜まって砂鉱を形成しているところもあります。道は次第に下りとなり、赤石山荘への捲道分岐を過ぎると、ほどなく権現越です。頂上から一時間ほどの道のりでした。笹原のなだらかな楽園。のんびりと昼寝をしたくなるところです。コルから北にくだる踏み跡がありますので、少し入ってみましたが、夏場はブッシュでイバラも多く、ガスで見通しも悪いので途中で引き返し、権現岩を過ぎたところの鉄塔まで50mほど登り返しました。権現様に向かって「9月には世界中から数十名の学者がここに集います。法皇権現の神様も、天地開闢以来、前代未聞のことだけにさぞ驚かれることでしょうが、何卒よろしくお願いいたします・・。」とお参りしておきました。

鉄塔で少々休憩の後、鉄塔後ろから北に下る保線道を辿って行きます。下りはじめは、状態が不安でしたが、しっかり整備された驚くほど素晴らしい道です。あまりの快適さに歓声があがるほど・・・どんどん下っていきます。例の清家先生の冊子には「・・約25分下った鉄塔16号下に分岐がある。」と記載があるため、鉄塔に着く度に其のあたりを探すのですが道らしいものはありません。鉄塔に番号もなく、3,4本の鉄塔を過ぎるとさすがに不安になってきました。もし分岐がないと河又まで下りきらなければなりません。日暮れてしまうのは必至です。ひょっとして、もう見過ごしてしまっているのでは・・ヤバイ!・・おまけにうっかり「ヘッチン(ヘッドランプのことです)持ってきた?」と聞いたばかりに、余計、女性軍に不安感を与えてしまいました。なおも鉄塔を過ぎ、ますます足早になったとき、ひょっこり道ばたに設置された指導標が目に飛び込んできました。(上写真です。)このときの嬉しかったこと!焦燥感から解放されて、思わず座り込んでしまいました。清家先生の「鉄塔下」という表現は誤解を生じやすいと思います。「鉄塔を過ぎたところ」のほうが適切だと思いましたが、いずれにせよ、このような立派な標識がありますのでご安心ください。登山口方向に歩を取ります。横掛けしながら次第に高度を下げ、道標に記された通りに40分で最初の登山口まで還ってきました。まったく問題ない快適な道ですが、最後の鉱山跡付近の林道は崩れていますので、足をすべらさないように充分注意してください。H女史も、すんでの所で転がり落ちるところでした。吉田兼好の格言の通りに、最後まで油断しないで慎重に行動しましょう!18時に車まで帰還。「さあ、次は9月だネ!」とお互い気合いを入れながら、車に乗り込みました。