[所在地]高知県土佐郡大川村、本川村
[登山日]2002年5月5日
[参加数]3人
[概要]石鎚山系、表銀座縦走路の最東端を飾る三ツ森〜平家平の稜線。やや地味ではあるが、登山道、縦走路ともに良く整備されているので、一度は辿ってほしい周遊コースである。出発点の「小麦畝」は、以前は平家平への正面登山口であったが、上部に林道が延びたので、今はもっぱら三ツ森山への専用登山口として使用されている。三ツ森峠を越えて別子に至る道は古く、寛永年間に描かれた「西条藩領内図八折屏風」にすでに記載されているという(塩田康夫先生、「山村文化12号」)。実に別子開坑より遡ること40年以上前のことである。開坑後は土佐からの集炭路として大いに活用され、「杖立」とよばれる炭中宿もあった。峠手前に残る石垣がその遺構と言われている(同 6号)。その傍らを通過するので、ぜひ見学していただきたい。明治41年発行の陸測図「日比原」にも、道は「達路」としてしっかりと描かれ、「杖立」とおぼしき場所にも集落が存在している。当時の典型的な経済路であった。一方、平家平への縦走路は、昭和6〜8年に高知営林局により整備された「国境歩道」の一部である。「高知営林局史」には「・・この経済的には無価値に等しい尾根沿いの登山道を3年がかりで登山者のためきり開いた・・」と誇らしげに記載されているが、切り開いただけではすぐに薮に帰してしまう。70年間、維持管理されている多くの関係者に心から感謝しつつ、ゆっくりと二つの名山に登っていきたい。(写真は、志遊美谷からみる三ツ森山。三ツ森山の由来は
ここ)[コースタイム]
小麦畝(8:00)―三ツ森峠(10:00)―三ツ森山(10:40)―峠(11:20)―
―211番鉄塔(12:20)―平家平(13:20)・・昼食・・―発(14:10)―
―上部登山口(15:40)―小麦畝(16:20)
[登山手記]毎年恒例の「子供の日」登山。前日の雨もあがり、新寒風山トンネルを抜ける頃には薄日も差し込んできました。「いい調子だ!」と快調に高薮付近にさしかかった時、突然「全面通行止」の看板が目に飛び込んできました。前日の雨で小規模な土砂崩れがあったというのです。サッと血の気が引きましたが、ラッキーにも吉野川南側の「脇の山」を迂回することでなんとか通り抜けることができました。ヤレヤレ!・・あとは順調に「小麦畝」着。以前に比べると道幅も広く、舗装もきれいになったようです。平家平下部登山口付近のヘアピンにデポして、5分ほど舗装道を歩くと物置の向かいに小さな「三ツ森山登山口」の標識を発見。物置がないとうっかり通り過ぎてしまうような道ばたです。とにかく記念撮影して登山開始。
取り付きはジメジメした植林の中、蛇が出そうな雰囲気で憂鬱です。ところどころ廃屋や、壊れてしまった「地滑り監視装置」などが放置され、以前に人が住んでいた形跡がまだ歴然と残っています。廃屋の生け垣?にお茶の新芽がいっぱい芽吹いていたのが印象的でした。この付近は有名な「碁石茶」の特産地でもあったわけです。まさに「主なしとて春な忘れそ」の心境ですネ。また、小麦畝は江戸時代「銀山」があったことでも知られています。土佐藩仕置き役「松平長兵衛高継」の元禄13年の視察文書「節録」には「・・小麦畝の銀山へも罷り越し見分仕り候。ただ今長さ八間余、高さ三尺余、横二尺余掘入り候。・・右銀石、かね掘りの者に割らせ、少々吹き(精錬)申し候処、銀ござ候・・」(大川村史)と記されています。その後の採掘については不明ですが、昔は炭、茶、銀と、三拍子揃ってとても栄えた場所なのでしょう。しかし、今はまったく無人の域と化しています。
しばらく、ゆるやかなジグザグを繰り返すと広い林道に飛び出しました。赤テープがあって二ヶ所ほど斜面直登の近道がありますが、あとは三ツ森峠まで、写真のような、車も通行可能な林道をひたすら辿ることになります。この林道は昔からの馬路を拡張したもののようです。登るにつれて、右手には志遊美谷の深く広大な谷を見渡せるようになります。そして、行く手には三ツ森山の均整のとれた、お椀を伏せたような山容が望めるようになりました。「なんか、かわいい〜!」と女性軍はのたまうのですが、「かわいく見えるということは、結局キツいということじゃん!?・・東光森山しかり、大森山またしかり・・・。」などと私はブツブツ言いながらも、三ツ森山から大座礼山へのゴツゴツした稜線には心を奪われてしまいました。また、いつの日か縦走を試みたいと思っております。しばらく志遊美谷の風景を楽しみながら、のんびりと登っていくと道ばたに恰好の水場があって喉を潤すことができます。フと目を上げると、可憐なシャクナゲの花が咲いていたりして結構楽しい登山道でした。
「杖立」の石垣を過ぎるとまもなく三ツ森峠です。小さなお地蔵様が独り佇んでおられました。このお地蔵様は、道中安全を祈って、小麦畝の庄屋某が建立したと言うことです(山と野原を歩く 高知新聞社刊)が、残念ながら字は摩滅してほとんど読むことはできません。林道はそのまま別子側に下り、広場のように大らかな明るい峠です。赤石山系の展望も良好でゆっくりと休憩してゆきました。ここで道は6つに分かれています。三ツ森山へはお地蔵様の後ろ側の稜線を辿っていきます。すぐ鉄塔があり、ここに荷物を置いて空荷でピストンをかけます。登山道はほとんど頂上まで直登の連続です。急斜面にはロープが張られ、なかなか鍛えられます。女性軍が「キツ〜!!」と叫ぶので、おもわず「ダロ〜!!全然、かわいくないんだよ!」と言い返してしまいました。まったく東光森や大森と同じ状況です。しかし、白いアケボノツツジやミツバツツジが咲き乱れ、心を慰めてくれます。息をせききって辿り着いた頂上も展望はほとんど0、「この、こましゃくれた山め。」と思わず吐き捨てるように叫んでしまいました。記念撮影だけしてすぐに下山。頂上直下に一ヶ所、西側の展望が利く場所があり、登ってきた志遊美谷の登山道や、今から辿る平家平への稜線が美しく望まれました。鉄塔付近で数名の登山者と初めて行き違い、お互いエールを交換しておきました。私は花に詳しくないのでちょっと忘れてしまったのですが、なんとかいう白い花を見に来られたのだそうです。三ツ森山は、その花の名所だとのことでした。ご存じの方は、またご教示ください。
さて、三ツ森峠に戻り、反対側の稜線に続く縦走路に入ります。ここから平家平までは500m弱のダラダラした登りに終始しますので、あせらないようゆっくりと登って行きます。灌木のため、あまり展望は利きませんが、広く刈り込まれた素晴らしい縦走路です。今から9年ほど前、平家平から211番鉄塔を経て小麦畝に下った事があるのですが、鉄塔から東は笹が足下に繁り、灌木の小枝もせり出し、クモの巣だらけで「むこうは足を踏み入れる気がしないね〜。」と囁き合ったのを覚えています。そのいやなイメージも一気に払拭されてしまいました。表銀座コースの最東端を飾るにふさわしい快適な雲上ハイウェイです。残念ながら、登るにつれてガスの中に突入して視界は利かなくなりましたが、誰もいない静寂と周囲の新緑を楽しみながら順調に進んで12時20分、4方向の分岐となる211番鉄塔に到着。案の定、多くの登山者が鉄塔下に憩い、ここからは賑やかな本当の表銀座の雰囲気となりました。天気さえ良ければ笹ヶ峯から大座礼山の大稜線が登山靴の下に拡がり、北には赤石山系のゴツゴツした山稜が、南には稲叢山を中心に土佐の重畳たる山並みがどこまでも続く最高の風景が望まれ、それを見ながら、新緑の中を、または夏雲を背に、あるいは紅葉の錦を着つつ、はたまた厳冬のバージンスノーを踏みながら、四季折々に至福の時を得ることが出来ます。今日はあいにく、全てガスの彼方でしたが、縦走を終えて最終目的地の平家平に立つ歓びは、それを補って余りあるものがあります。のんびりと歩いて他のパーティに追い抜かれるのもまた好し!としながら13時20分、3人そろって無事、頂上を踏むことができました。
さすが人気の山だけあって、多くの登山者でゴッタがえしています。休んでいる人に、チャッカリ、シャッターをお願いしたりして、次第に明るくなる空に期待して、昼食を摂りつつ晴れ間を待ちましたが、残念ながら時間切れ!、14時を過ぎ、諦めて下山しかけたとき、幸運にも一気にガスが切れて素晴らしい景色が眼前に展開しました。左の写真は、その時の一こまです。遠くの三角山が、”こましゃくれ”三ツ森山です。あすこから、ずっと歩いてきたんだな〜、と思うと今日の苦しかった行程が思い出されて感無量です。しかし女性軍は「やっぱり、かわいいよネ〜。」とお互い頷きあっています・・・「こいつら、懲りてない・・・」と思いつつも聞いていないふりをしながら一服して、足早に下山にかかりました。211番鉄塔から小麦畝に向けて、南斜面を駆け下りてゆきました。最初は150mほどの急降下。疲れた足にはとてもこたえますが、崩れたところは鉄橋がかかり、段差のある場所には鉄の階段が整備され、鉄塔の巡視路だけあって非常に快適です。下りきると、しばらくは尾根を廻りながらの水平道となります。途中には恰好の水場があって顔を洗えば気分一新です。
一か所、登山道の脇から平家平を仰ぎ見る最高の展望所があります。踏み跡があるので、注意しておけば見過ごすことはないでしょう。しかし、とても日当たりがよいため、私が足を踏み入れようとすると、K女史が後ろから「そんなところに行くと蛇が出るヨ!」と忠告してくれました。素直に忠告に従っておればよかったのに・・・行くと、そこでやっぱり私は蛇のしっぽを踏んでしまったのでした・・。うごめく蛇体、そして鎌首をもたげてにらむ眼差し・・思わず目と目が合ってしまったから堪りません。「ヒエ〜!」と叫びながらすっ飛んで女性軍のところに逃げ帰ってきました。「ば〜か、だから言ったのに・・。」と二人でヘラヘラ笑われたのには自尊心を傷つけられて閉口してしまいました。結局、最後を飾る平家平の景色はまともに拝めずに下るしかありませんでした。植林地帯を過ぎ、明るい灌木帯を抜けると上部林道の登山口です。15時40分。数台の車が所狭しと駐車されています。それを横目に道を横断すると、再び暗い植林地帯の中に細道は続いています。ここからは登山者が減ったせいでやや草深くなりますが道はしっかりしています。鉄塔を過ぎ、気持ちよく進んでいくと、突然、尾根の突端で登山道がなくなってしまいますが、あせらないでください。道は折り返すように左側に下っています。すぐに沢沿いの広い道に出ますので右に取って下さい。尾根の先端で道は再び二つに分かれますが、左に下るようにしましょう。車デポまで、わずかに2,30mです。しかし、ここはもっともわかりにくく迷いやすいところです。9年前はここで迷って、1時間以上のタイムロスとなった苦い経験があります。状況は当時と何も変わっていません。逆にここから登る場合も、広い沢沿いの道をまっすぐ進んでしまうとパニックになります。充分、注意してください。道標などは何もありませんから・・。
しかし、なんと言っても本日のクライマックスは最後の最後に訪れました。それが写真の「国体橋」です。朽ちるだけ朽ちています。欄干もほとんど腐っていて、力を加えるとポキッと折れてしまいそうです。歩く度に足元の丸太がキシキシ不気味な音を立て、いつ崩れてもおかしくない状態です。橋の下は急流の上、20m以上の滝になっていて落ちるとまず無事ではすまないでしょう。迂回路もなく覚悟して渡るしかありません。K女史などはもう半泣きの四つん這いでなんとか渡りきりましたが、二度とここは来たくない!としばらくわめき散らしていました。確かに9年前とは比較にならないほど朽ちきっています。近く、ここで再び国体(高体?)の山岳競技もあるようなので、この機会にぜひ、補強するか掛け替えて頂きたいと思いました。往年のルートが次第に失われていくのを見るのは本当につらく悲しいことです。
そんな訳で16時20分、なんとか無事、車まで還ってきました。まあ、いろいろありましたが、面白い一日周遊コースだったね!と涙ぐんでいるK女史を、H女史(こちらはまったく平気でした)と一緒になだめながら、露天風呂ができた「木の香温泉」に向けて車上の人となりました。