南海治乱記・・・天正十四年丙戌十二月十二日、讃州仙石秀久、豊後の戦に敗を取て引退しかば島津方、是に競て大軍を合せ府内に向ふ。大友家は九州積年の戦に疲れて兵機を屈し兵卒の勇猛、軍衆の多寡、島津方に侔（ひと）しからずして禦こと能はず。先祖累代の住所府内、佐伯、臼杵の要地を捨て妙見が嶽に取登り険要の地を守て関白殿下の御進発を待つ。島津中務太輔、府内の地を得て兵衆を込置き年来の本意を達たり。然して筑前立花の城を攻落し九州を合んとて秋月種実と牒合して肥前国に至る。基藪両郡の領主、筑紫上野介廣門を攻て降参せしめ、夫より宰府表に発向し高橋紹雲が籠たる岩屋の城に取寄る。兵士微少の小城なりと云へども紹雲は豊後の吉弘加兵衛と云ふ大剛の者の末子なれば世々の血脈違ずして堅固に城を守り、島津秋月両家二万餘人を請留め若干の敵を亡し数百人の者ども一人も洩れずして戦死して其名を後世の記に遺せり。
夫より島津方の兵、宇美の河内に到る処に杉十郎が兵士、高鳥居の居城を捨て鞍手郡に引退く。島津方、其城を取て筑後州星野少輔太郎を込置て立花飛騨守統虎居住の立花の城に取寄る。統虎十八歳にして未だ壮ならずと云へども紹雲の男、戸次道雪の養子、吉弘加兵衛が孫なれば先祖累代武勇を顕し固く守て降せず、日数を経て三月に至りぬれば上方先鋒の大将関の戸を渉ると聞きしかば島津方、筑前の兵を引て肥後豊後を守んとて筑後を指て引退く。上方の大将軍には大和中納言秀長卿也。相従ふ国々は阿波讃岐伊豫土佐備前備中備後但馬因幡伯耆出雲石見安芸周防長門十五ヶ国の兵将也。中納言殿、二月五日に御出陣有て同月末に長府へ御著く。三月初に関の戸を踰玉へば先陣の諸将、豊後境に在て使价を以て迎奉る。
豊後湯の嶽吉川元長の山陣へ中納言御入陣也。毛利輝元、小早川隆景、吉川元長三万五千人を以て先陣す。黒田勘解由、蜂須賀阿波守、長曽我部宮内太輔、尾藤甚右衛門、宮部善祥坊、南條伯耆、小鴨左衛門尉、亀井能登守等、豊州府内に押し寄る。島津方二万人を以て府内を守ると云へども兵衆の多寡同ずして相保ことを得ず。風雨に紛て浜手より引去り日向の国耳川を限にして相守る。中納言殿より大友宗麟其の子義統を本地に復し府内の城を守らしめ、惣軍日向州に押し向ふ。比は三月初也。島津中書は耳川を踰て海濱の城を持堪る。日向の州は険阨の地なれば猛勢一同に押し入る事成ずして各山陣を取り段々押寄る。毛利家は先鋒なれば吉川元長、家士千代延又兵衛、戀塚三郎兵衛、物見として指遣はし耳川の瀬踏し敵城の尾続の上の丸山を陣所に見定て帰る處に、中納言殿御陣所へ諸大将を召寄せられ明日未明に惣軍川を渡さるべき也。今日の川越し無用にすべしと御下知あって毛利家の川渡相止む也。然る處に島津中書、其夜城中に放火し兵を引て退く。諸勢、是を見て川を越え追懸と云へども相及ずして止ぬ。耳川より五六里先に高城と云ふ城あり。島津中書、此城を持ち堪て固く守る。高城のの山の尾頭に毛利輝元、小早川隆景、田間川の邊に吉川元長同じく組合の北国衆、東の山に中納言殿、本陣南の方浮田八郎并中国衆、御先藤堂與右兵衛門也。日夜仕寄りを附寄る程に、吉川攻口塀の手に十間或いは七八間に成る。井樓を三重に組上げ見下しに鉄砲を仕懸る故に敵人塀の手の陰ばかりに便り居城内の往来も成ぬほどに成ぬ。吉川元長より田間の出丸を乗取申すべき旨を言上す。中納言卿仰せに曰く、乗取る事は左も有べし、其後持堪る事心得がたし、無用也とて許し玉はず。
さて又中納言殿より高城の大手の請手の衆中の陣詰寄せ申すべき也。黒田勘解由、蜂須賀阿波守諸奉行人行て見分すべしと有て各指し遣はさる。両将見分して引取る時に黒田甲斐守長政進み出て申さるるは、殿払ひは我等仕るべく候と也。奉行人衆の申さるるは殿払ひは功者の役に候。若年の務には如何也と申さるる。其比長政は阿波守の聟なる故に家政の曰く、長政若役に然可く候。我が家の武市紹三を附申すべしとて長政を残し置き玉ふ。黒田勘解由の足軽頭二人、野村太郎兵衛、後藤又兵衛を附らるる。二三町引退き田間川の柳堤に又足軽頭二人、上原新左衛門、吉田六郎太夫を伏置き示して曰く、戦始るとき起て敵の跡勢を打立追返べし、戦兵にかまふべからず也。高城より敵の退るを見て兵を出す。紹三、是を見て長政の馬の口を取て引除け田間川踰て引取る。川端を一町ばかりにして長政の馬を立直し野村太郎兵衛、足軽を前にして立て待つ所へ敵進み来り川を越る時、鬨を作って撃てかかりて勝つ事を得たり。黒田孝高の智謀武市紹三、武功符節を合せたるが如し。其時、長政自身の高名あり。近士の手柄猶多し。
然して島津方、請手として黒田勘解由、蜂須賀阿波守、尾藤甚右衛門、宮部善祥坊、垣屋播磨守、荒木平大夫、亀井能登守、南條伯耆守、小鴨左衛門尉等、城向ひに陣を寄する。掘塀柵を構て陣を固し変あらん事を待つ處に、或日、島津中務太輔、夜中に打て出て亀井能登守陣に打て懸る。宮部善祥坊助け合たる處に善祥坊陣に伐りかかる。敵、青竹に鹿の角を結付け或ひは木のかぎを附るもあり。是を塀の手に引かけて引崩んとす。善祥坊、兼て期したる事なれば、営壘を築くとき二間木を柱とし三尺土中にほり立て三尺土手に築込め、其上二間を塀とし塗り上て其覆に巻藁を結ひ付たる故に塀の手を地附くほど引撓むと云へども柱抜けずして倒るる事なし。敵人塀に手を懸け乗入んとする處を鎗長刀にて突落し切払ふ。敵も新手を入替へ終夜攻戦ひ塀は死人にて埋けれども乗入る事成ず。夜明るに依て引還る。是、善祥坊営壘の構へやうの宜しき故也。明日、其の死人を実撿するに何の何がし今宵の討死と両手に書付しあり。勇猛の兵なる事目を驚す所也。彼家の慣ひにて国家の為に死を致す者は子々孫々に至るまで禄を世々にするとかや。
四月 島津中務太輔、高城を明捨て戸の庄の城へ引入る。是、中務が家城也。高城より五六里あり。是に於て和平の御詫事を申上るに附て肥州の関白殿下へ達せられ御赦宥を蒙るに附て伊集院勾勘、御禮として中納言殿へ参候す。献上の物其品あり、諸大名へも進物ありて和平相済む也。
五月 島津家老の内、本郷某和平の事同心在ずに附て大隅の内本郷と云ふ所ヘ御陣を寄せらるる。其の中間に猿瀬川とて山川あり。時候（ときしも）五月なれば水かさ増し通路相叶はぬ處に、諸勢より葛の綱を拵へ寄て大綱となし釣橋を懸て大軍を渡し境内へ乱入しかば、本郷力を落し降参す。是より大隅の州残らず帰服して上方の軍勢を引揚げ玉ふ也。
或る人の曰く、関白殿下、十万の兵を用ひ玉はば日向州、山険たりとも猛勢に切所なければ府内より迯るを逐て日州に入り敵の脚を屯させず、大隅まで追詰め敵の首を刎て猛威を天下に震ひ玉ふべき也。中納言殿の兵制猛からずと云へり。我れこれに示て曰く、然はあらず、用兵の道、地により人により時勢による也。何ぞ一定の形あらんや。一夫突撃するときは三軍無当と云ふは日向の州の事也。敵は島津中書、大剛の武将也。無左と敵を軽じ一挙誤りを取るときは後難量るべからず。中納言殿の用兵や大軍を揚て険阨の地に入り山陣を取て固く守る。是、攻るを以て守をなす。敵は大軍の虚あらん事を窺ひ、是、守を以て攻をなす也。能く兵を用ゆる者、客を変て主とし主を変て客とし、其宣きに合て勝を制す。是、良将の謀也。敵は急迫にして心を攻む、我は悠緩にして心を平にす。兵威を以て敵を圧し、我を以て敵を誘き、刃を恤（ちぬら）ずして敵を降し能く懐（なずけ）て旧好の思をなさしむ。是、仁将と謂つべし。仁者に敵なしと云ふときは此君長命ならば羽柴の家永く伝へんか、孰れか短命を惜まざらん哉。 （羽柴公筑紫征伐記；巻之十六）
（左は天正１３～１４年の島津軍北上経路。右は天正１５年の九州征伐経路。地図はGoogle Map を使用。拡大は画像をクリック！）
天正１３年、島津氏に領土を圧迫される大友氏は豊臣秀吉に救援を要請した。すでに島津氏は破竹の勢いで九州の南半分を支配し、さらに秀吉の停戦命令を無視する形で北上を継続した。左上図はその侵攻図。八代城より熊本を経て筑後平野に入った左翼の島津忠長軍は、天正１４年７月に筑紫広門（⇒❡）の勝尾城を抜いて高橋紹運（⇒❡）の岩屋城に迫った。７００名の城兵は２万の島津軍を引きつけてよく防戦したが衆寡敵せず７月２７日に壮烈な玉砕を遂げ、そのまま実子の立花宗茂（⇒❡）の籠もる立花城を包囲した。大軍の来襲でここもまた風前の灯と思われたが、折しも秀吉軍が、赤間が関（下関）に到着したという情報を得て、宗茂が偽りの降伏受諾で時間稼ぎをしながら間一髪で島津軍の包囲を解くことに成功した。立花宗茂という武将は家康も惚れ込んだほどの気骨さとともに生涯を通じて非常な強運の持ち主だが、この立花城の戦いもまた時勢の運に助けられたとみることができよう。
一方、右翼の日向本面は島津家久が担当した。すでに大友氏の勢力が衰微した日向は無人の荒野を行くが如くであったが、豊後に入ると天正１４年１０月の栂牟礼城の戦いでは佐伯惟定（⇒❡）が頑強に抵抗するし、利光宗魚の守る鶴賀城はなかなか陥落せず、救援に来た大友、四国連合軍と１２月１２日、戸次川の合戦（⇒❡）で勝利してようやく戦況は島津に傾いた。連合軍が壊滅した２日後には早くも府内城を占領し、総大将の大友義統も累代の本拠地を脱出して高崎城に後退し、ここも守り切れずに天険の要害である龍王城に籠もって秀吉軍の来陣を待つしか術はなかった。父の大友宗麟は臼杵の丹生島城で応戦、舶来のフランキー砲（国崩し⇒❡）などで善戦しなんとか守り抜く事ができたが、すでに豊後の大部分は島津家久の手に落ち、その辛苦が祟ったのか、島津氏の降伏と前後して豊後津久見で死去している。進攻のもう一軍は、島津義弘・歳久軍で、忠長と八代付近で分かれて阿蘇を経て岡城の攻略にかかったが、護る志賀親次（⇒❡）もまたしぶとく抵抗し、さしもの義弘も押さえの軍勢を残して、九重方面に向けて転戦せざるを得なくなったのである。
翌天正１５年正月、豊臣秀吉が九州征伐の大号令を発し、３月に秀長軍が小倉に到着すると、前線の延びきっていた島津軍はその不利を悟り、後退を始めた。豊臣軍が小倉に到着するまでに筑前、豊後方面の進攻を完了して小倉で渡海を阻止する水際作戦を描いていた島津軍は戦略を根底から練り直す必要性に迫られたのである。しかし、さらに４月になって１０万に余る秀吉本隊が小倉に渡海すると、秀長軍と併せて２０万という勢力は島津軍を遙かに凌駕し豊前の岩石城や筑前の秋月城も一日程度の攻戦で落城すると、他の筑州、豊州の諸将も次々と秀吉側に寝返って、島津氏が北上したほぼ逆のルートを辿る形で２ヶ月もしないうちに日向の高城、肥後の八代まで快進撃したのであった。右上の図はその概略を示したものである。島津氏が生命線と位置づけていた日向の根白坂の戦い（⇒❡）に敗れたことが引導となって、５月８日、総大将の島津義久は全面降伏。黒衣の出家姿で川内の泰平寺で秀吉に対面し薩摩一国を安堵された。其の後も島津義弘が海老野の飯野城で、北郷時久が都之城で徹底抗戦を主張したが義久の説得でそれぞれ降参した。当時、北郷氏は大隅国の大部分も支配していたので、「南海治乱記」で本郷某とあるのは、北郷氏のことであろう。読みはどちらも「ほんごう」であるのも面白い。
「南海治乱記」におけるこの項の最後の一節は、香西成資の大和中納言豊臣秀長への頌詞。秀長死後に起こった千利休切腹、秀次卿自害、朝鮮出兵など豊臣家自壊のことを振り返ると、仁将秀長の短命を痛惜に思うのは誰しも同じことであろう。
