会長あいさつ
S47年卒 井手 浩一
私が東高に入学したのは昭和44(1969)年、その時の吹奏楽部の顧問が杉森幹子先生でした。今思えばその前々年に結婚されたばかりで、お年も30歳になるかならないかだったと思いますが、入学当初は雲の上の人に見えました。無言の威厳があり、音楽準備室に入るにはちょっとした決心が必要だったのを憶えています。
先生は見るからに蒲柳の質で、但しおっしゃることは明晰そのもの、物事の本質をズバリと突く鋭さは中高の六年間で出会った先生の中でも抜群だったと思います。体力的な問題もあって、我々は直接的な指導は殆ど受けていませんが、要所では「井手、ちょっと来なさい」と、血気盛んに暴れたつもりでいても、あれは先生の池の中で泳ぐ鯉でしたね。
ただ「柳に雪折れなし」のたとえの通りきっと長生きされると信じていたのに、去年の8月に最愛の栄治先生を亡くされ、精神的な張りを失われたのか、今年に入ってひっそりと逝かれました。私は決して素直な生徒ではなかったし、先生の言に背くようなことも多々してきましたが、それでも音楽上の恩師を一人あげよと言われたら「杉森先生です」と答えます。今でもその幾つかは折りに触れて思い出しますが、要約すれば「男らしくしなさい」でした。音楽をするなら正々堂々とやりなさい、そう教えられたと自分なりに解釈しています。本日は松山中学・東高創立百周年記念式典で杉森先生が指揮された『フィンランディア』を、先生を偲ぶために演奏致します。
音萌の会40年の歴史は、歴代の吹奏楽部顧問の先生との歴史でもあります。杉森先生の後が中田勝博先生、矢野慶三先生、森田功先生、濱辺英夫先生、曽根春奈先生・阿久津智先生、橋本加代子先生、そして現在の松田直人先生へと続きます。先生方には本当にお世話になりました。改めてお礼申し上げます。
今回は、今春みなら特別支援学校の教頭として栄転された橋本先生をゲストにお呼びして、昨年のコンクールの課題曲・自由曲を演奏できることになりました。先生がご指導下さったのは実は昨年一年間に過ぎないのですが、我が吹奏楽部に本当に沢山のものをのこして行って下さいました。今回のステージには去年の二年生も助っ人として参加します。それも自分たちから「もう一回橋本先生と演奏したい」と申し出てくれました。人と人の絆を結ぶには一年もあれば十分だ、そう思います。
我々OB会は東高吹奏楽部と離れては存在できません。昨年漸く40年の記念演奏会を乗り越えることが出来ました。結成当初はここまで続くとは誰も思っていませんでしたが、色んな意味で幸運でした。これからも第42回、43回へと、現役や吹奏楽部顧問の先生を始めとして、様々な人との縁を大切にしながら、一歩一歩進んで行きたいと思います。
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